日記・コラム・つぶやき

2017年6月24日 (土)

しまなみ海道

以前に「橋作りの技術」として下関と門司との間にかかる関門大橋を題材に書いたことがある。九州に住んでいて山口県と行き来することが多いだけに、この関門大橋の壮大さにはいつも感嘆してしまうのだが、今回、尾道と今治をつなぐ「しまなみ海道」をはじめて走ってみた。

 

時間があったので本当に久しぶりに尾道市街に立ち寄ってみた。街も家並みも昔とは様変わりしているけれども、当たり前のことながら、今も坂が多い。映画『東京物語』の笠智衆さんが縁側で夕涼みをしていても全く違和感がないような古い家もある。自分が瀬戸内育ちだからかも知れないが、やはり何か情緒を感じる。

 

しまなみ海道は “橋づくし”とでも言うような壮観だ。正式には西瀬戸内自動車道と言うらしい。向島は尾道からほんの川ほどの狭い海峡でしか隔てられていないが、それでも橋があるかないかで大違いではある。向島から因島、生口島、大三島、伯方島、大島、そして今治とつないでいるわけだから、すごい事業をしたものだ。(図はWikipediaより)

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写真は因島大橋
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写真は生口大橋
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この橋は姿が異なる。橋作りには色々な工法があるそうで、理由を調べてみたい気もする。ただ、そんなことをしていたら橋にはまって、橋オタクというか、橋マニアになってしまうかも知れない。

 

これは来島大橋 この来島海峡というのは潮流が速く、小島があったりして船の難所らしい。
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来島と言えば、もう若い世代は知らないだろうが、坪内寿夫という来島ドックを再建し、請われて、危機に陥った佐世保重工をも救った立志伝中の人がいる。毀誉褒貶があるにせよ、私はこの人はたいした人だったと今も思っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA%E5%86%85%E5%AF%BF%E5%A4%AB

 

四国に渡って、帰りは坂出と倉敷を結ぶ瀬戸大橋を通った。正式には南北で10の橋からなる備讃瀬戸大橋というらしいが、これも巨大な橋だ。
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瀬戸内海の橋のことを書いても、内海に小島がたくさん浮かんでいるようなところは東北にはないので、東北地方の人にはなじみがないかも知れない。けれども、もし機会があれば、立ち寄ってみて欲しい。その価値はあると思う。私は逆に、まだあまり知らない東北を知りたいと、これから檜枝岐や下北半島の方も予定している。

2017年6月16日 (金)

思い出のスーダン Part 2

スーダンの首都ハルツームは砂埃の街という様相だ。だが、ここはエチオピア高原から流れてくる青ナイルと、ケニアとタンザニア国境にあるビクトリア湖から流れてくる白ナイルの合流点で、ここから大きなナイル川となってエジプトの方まで途方もない距離を流れていく。日本列島の軽く倍以上の長さになるわけで、そのスケールを実感するのは難しい。

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夕暮れ前、ホテルの周辺を散策してみる。名前でしか知らなかったナイル川が眼前にあり、感慨深い。国立博物館に接した公園は緑が多く静かなところで、親子連れもいて、危険な雰囲気は微塵もない。心地よい風にあたりながら、本当にここはアフリカ、それも、欧米には悪名高きスーダンなのかと思ってしまう。

 

ホテルで見たテレビでCNNが繰り返し報道していたのが日本で起こったテロ、いわゆる地下鉄サリン事件だ。死亡者もいて何千人も負傷したらしい。遠くスーダンから母国のこんな悲惨なニュースに接するとは思いもよらなかった。これではどっちが危ない国かわからない、としみじみ感じたものだ。

 

ハルツームではイブン・シーナ病院を訪問した。出迎えてくれた細面の魅惑的なスーダン人の女医さんが、「ようこそいらっしゃいました」と流暢な日本語でにこやかに挨拶してくれたのにはびっくりした。聞けば、JICA(国際協力機構Japan International Cooperation Agency)の研修で日本に滞在していたらしい。イブン・シーナ病院もJICAの支援で建てられている。

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イブン・シーナ病院は特に泌尿器系の疾患を多く取り扱っているこじんまりとした近代的な病院なのだが、建物の外壁に回廊がある。日本ではあまり見ないが、これは、電力事情が不安定な国だとエレベーターの作動が不安定で、こういう回廊を使って患者の移動をするそうだ。

 

翌日だったか、ハルツームから400㎞離れたゲダレフというエチオピア国境に近い街に行くという。昼過ぎの出発予定が車両の手配の都合で遅れて、夕暮れになってしまった。勘弁してもらいたいと思ったが、今さら逃げ出すわけにもいかない。聞けば、4時間で着くそうだ。高速道路があるわけでもなし、いったいどうしたらそんな時間で着けるのか理解に苦しむ。出発してみると、中国が整備したという道路を猛スピードで突っ走る。確かに早いが、全く生きた心地がしなかった。ただ、途中で休憩した日本で言うドライブインから見上げた夜空には今まで見たこともないほど多くの星がきらめき、これは感動ものであった。

 

翌朝はゲダレフのUNHCR事務所を訪問。なんとここで日本人女性がスタッフとして働いているという。現地スタッフが、「彼女は難民キャンプのパトロールに出かけているので連絡を取ってみる」ということで、無線から聞こえてきたのは若い女性の声で、「せっかくいらして下さったのにお会いできずに申し訳けありません」と。我々は短期訪問だが、彼女は長く滞在するわけで、なんとも逞しい。当の彼女には後年にジュネーヴのUNHCRの本部でお会いする機会があった。国際機関には日本人女性も多いようだ。

 

そういえば、日本人医師川原尚行氏は、ロシナンテスというNPOを設立し、長くスーダンで医療を主体とした支援活動をしている。スーダンの日本大使館の医務官をしていたこともあり、スーダンとの往復回数は日本人として氏がダントツなのではないだろうか。時間のある折にホームページを参照して頂ければ幸いである。

https://www.rocinantes.org/

 

川原氏が活動をはじめたのは私のスーダン訪問よりあとのことだが、直接の知遇を得る機会があり、時にささやかな寄付もしている。それにしても、私のような軟弱な凡俗とは、その行動力、逞しさにおいて、次元が違う。

 

PKOとして自衛隊が活動したのは南スーダンの首都になっているジュバだ。当時は紛争地だったこともあって私は行く機会はなかったが、国際線のジェット機も離発着できる飛行場が整備されていると聞いた。この地には5年以上にわたってのべ3000人を超える自衛隊員が派遣されている。日本から遠く離れた地で、慣れない暑さの中、任務の困難さは半端ではなかったと思う。今年527日に無事に撤収が終了し、私も安堵する思いであった。イブン・シーナ病院がそうであるように、自衛隊が整備した道路も、長く心にとめて頂けるのではないだろうか。

 

末尾に余談を一つ。スーダンにはスーダン航空というのがあって、以前に触れたWHOのイラン人所長は、これを「インシャラー航空」と呼んでいた。インシャラーというのは「神の御心のままに」というアラビア語で、飛行機の時間がいつも遅れ、ドタキャンもあって全くあてにならないのは、誰のせいでもない、「神の御心」だそうだ。本来は敬虔な言葉のようだが、飛行機以外にもよく出てくる。最高の言い訳ではあるだろう。スーダンの人に「そんなにあてにならないのか」と尋ねると、「いや、スーダン航空は定刻だ」と言う。怪訝な顔をしていると、「よく遅れるけれども、時に早く出るから、平均したら定刻だ」と。イラン人も面白いかも知れないが、スーダン人もなかなかに面白い。

 

ゆっくりと外国旅行というのもシニアの楽しみのひとつだろうけれども、私の場合は、国内でまだ行っていない街や場所を訪れてみたいという思いを以前から抱いていた。今にしてようやく愛車での日本列島ジグザグ縦走の旅が叶いそうになった。計画通りに行けば来週に出発するので、次回からは、旅のつれづれをも写真入りで綴ってみたい。

2017年6月 8日 (木)

早起き三両、宵寝は五両

「早起きは三文の得」という諺がある。


西洋にも「The early bird catches the worm.」というのがあるから、洋の東西を問わず、早起きは好ましいことなのだろう。

 

表題の言葉もほぼ同義だが、私は桂米朝さんの落語「持参金」で初めて知った。「そのぐらいのことで三両、五両だのということはないだろうけど、まあまあ、そうしたもんや」とうまくおさめている。「昔の人の言ったことにおろかはない」そうで、時代が変わり科学技術がいかに発達したとしても、人間がそうそう変わるわけではないので、諺にそれなりの重みはあることは確かだ。

 

ちなみに、「持参金」というのはやや下ねたチックな滑稽噺で、米朝版も全編これ大爆笑だ。早起きしたがために借金の催促をされ、「ロクなことあらへん」とのボヤきが本筋の頭におかれている。以前にもちょっと触れたが、現時点でもYouTubeで楽しめる。よくも自分で笑わずに語れるものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=QpjYFJzyuIs

 

長たらしい前置きになってしまった。これはひとえにブログをアップする間隔を空けてしまった後ろめたさと、その言い訳の前フリ。いや、義務で書いているわけでもないし、誰に責められるというわけではないので、後ろめたく思う必要はないのだが、自分で、大体週110日に1つというのを目標にしてきたのが随分空いてしまった。

 

実はこの5月、完全に早寝早起きであった。心がけてということではなく、なぜか午後10時を過ぎたら眠くなり、午後11時前には就寝し、午前5時か6時に起きる、という繰り返しであった。定義上で高齢者になったからいきなり早く目が醒めるというものでもなかろうが、大体が夜更かし型だったので、いつまで続くかはともかく、ライフスタイルの大きな変革ではある。

 

夜に何か書いていると寝つけなくなる傾向があるので、それで翌日睡眠不足で辛くなるよりは早寝の方がいいかも知れない。その分、夜に筆が進まない。早起きがどうかというと、これは落語とは違って三文どころではない得をして結果的には非常によかった。

 

その得が何かと言えば、ゴルフである。ギリギリに起床してバタバタとコースに出かけ、ストレッチもそこそこにスタートしていくというのでは、初めからいいスコアを放棄しているようなものだ。午前6時前に起きればゆったりなので、レンジで50球ぐらい打って、コースではスタート前にパットの練習がしっかりできる。それにしても、早朝の練習場にあんなにたくさん人がいるとは知らなかった。

 

それで、何を得したかというと、40人ぐらいのコンペで優勝し、余勢をかって所属コースの理事長杯でも優勝してしまった。どちらもハンディ戦だったので、ハンディの多い私がさほど自慢できる筋合いでもないのだが、それでも、理事長杯と言えばコースの三大競技の一つで、私にとっては身に余る光栄であった。大きな優勝カップに名前が刻まれて長く残るというのは何とも嬉しい。

 

理事長杯では、カメラが趣味の理事長が参加者の写真を撮ってくれていた。嬉しさついでの余興で、1枚紹介しておこう。運動神経ゼロの私にしてはこの時はまずまずサマになっていたようだ。ついでに付記しておけば、優勝した翌週にネズミ捕りにつかまって長く維持したゴールド免許がパーになり、2点の罰金を払うはめになった。「好事魔多し」というが、皆様もいにしえからの諺をどうぞ大切に。
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2017年5月 8日 (月)

ごみ捨て難民

以前にも書いたように、難民というのは、そのように認定される必要があるが、そもそも内乱や政治的、宗教的迫害などの理由から国外に逃れる人達をさす言葉だ。本来あまりいい言葉ではないけれども、口に出しやすい語感もあって、色々と転用されている。買い物難民、介護難民、お寺難民などなど、枚挙にいとまがない。

 

かつて私は坂の中途にある段々型のマンションに住んでいた。静かで見晴らしはよかったものの、エレベーターもなく車が横付けできず、外にある階段の上り下りが必要。ふと、これではいずれ間違いなく“買い物難民”なってしまう、と蒼くなり、あれこれ探してようやく平地に居を移した。売り買いに肝を冷やしたものの、無事済んだ時はいたく安堵した。

 

介護も、幸いにして長くみてくれる施設に老母が入れてもらえたからよかったようなものの、当初在宅で面倒を見ていた姉が限界になり、ようやく入所できた老健も長くはおれないので、一歩間違えば、という思いは強くある。姉には「施設にお願いするのがいいのではないか」と重ね伝えてはいたのだが、感情としてそうそう簡単に割り切れなかったのかも知れない。私に介護などできそうにもないが、適切な施設がなくもし頑張ってやったとしたら生活が大きく制約されることになったであろう。“介護難民”も他人事ではない。

 

今まさに味わっているのが“ごみ捨て難民”だ。施設への訪問で月に2回程度、誰もいない実家に帰省し、その都度、1日か長ければ3日ぐらい滞在する。さしたる量ではないにせよ、その間、どうしてもごみやペットボトルなどが溜まってしまう。ごみの回収は分別して平日の朝の限られた時間帯にそれぞれ出さなければならないのだが、滞在は週末が多いので、それがなかなか難しい。

 

この難しさは私だけではないようで、コンビニや駅のごみ箱には、「家庭ごみを捨てないで下さい」と書いてあるにも関わらず、捨てる人が後を絶たない。高速道路のパーキングエリアも同様だ。
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マナー違反だ、けしからぬことだ、と切って捨てるのは易いが、一人暮らしの場合はごみ捨ては頭が痛い。山間部には「ごみの不法投棄は犯罪です」と大書されているところも多くある。悪質な産廃業者対策かも知れないが、一般人でも、人けのない場所や空き地にこっそり捨ててしまうということもあるのだろう。先般には、こともあろうに清掃課の市職員が不法投棄で逮捕されたという報道があった。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017050100694&g=soc

 

実家にある我が隠れ家で長年使って調子が悪くなった小さい冷蔵庫の廃棄が必要になった。どうしようかとあれこれ思案し、結局、電気店に持ち込んで安くはないお金を払って処分した。それは仕方ないけれども、小さくても結構重くて、高齢者ではとても動かせない代物だ。

 

ゴミ屋敷の住人のことが巷間しばしば話題になる。思うに、捨てそびれた、面倒になって、というのがズルズル溜まって、相当な量になってしまい感覚がマヒ、あるいは自力で対処できなくなって、というケースも少なからずあるのではないだろうか。特に独居の高齢者がそうなってしまうというのは容易に想像できるような気がする。

 

行政の、分別ごみ出し、限られた時間帯のごみ出しも、正論である。しかし、不便をかこっている住民が少なくない現状、正論をかざしての実質的なサービス低下だと感じる。救いをどこかに用意してもらえないものか。

 

いっそのこと、コンビニに有料でのごみ捨ての管理を委託するというシステムはどうだろうか。家庭ごみの持ち込みに業を煮やしているコンビニにも、ひとつのビジネスと割り切ってもらう。大流行の100円コーヒーの原価が45円だそうだから、例えば可燃ごみ大袋50円とか。もちろん、コンビニでなくとも、システムがあればいい。“ごみ捨て難民”の私は必ず利用するであろう。

2017年4月23日 (日)

「ローマの休日」

「ローマの休日」といえば世界で最も多くの人に観られた映画の一つだろう。二十世紀を代表するかのような美女、美男、オードリー・ヘップバーン扮する王女と、グレゴリー・ペック扮する王女の特ダネ狙いの新聞記者がローマを舞台にしておりなすコメディタッチの淡いラブロマンス。これぞエンターティンメントという感がある。
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オードリー・ヘップバーンはこの映画で大女優への道を歩み、グレゴリー・ペックにはそれ以前に製作された「紳士協定」という映画通から高い評価を得た名画が残っている。

 

これだけ有名な「ローマの休日」は、おそらくは世界中で、そして日本でも、リメイクされたり、あれこれパロディのネタになったりもする。桂文珍さんは「老婆の休日」と題して、病院に集うヒマな老婆のやりとりを落語として面白おかしく演じている。武田鉄八さんが坂本龍馬に扮して、ローマのトレビの泉の前で「今日はおやすみなんです!」としたコマーシャルも面白かった。一瞬、「ん?」とさせて、このヘップバーンスタイルの上戸彩さんが「リョーマの休日!?」とオチをつける。

 

著作権の問題がなくなったのか、「ローマの休日」のシナリオとDVDがセットになった冊子が880円と安かったので購入した。映画で英会話を勉強しようというのが趣旨のようだが、今さらうまくなりそうにもないのでそちらはあきらめて、スクリーンと英語・日本語訳を対比させながらセリフの妙味を読み物として楽しもうと思っている。

 

同じく世界的に評価の高いハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画「カサブランカ」(1942年製作のアメリカ映画)はセリフをほとんど暗記するぐらい読み込んだ。英語はさっぱり上達しなかったものの、そうしてみると、この映画には色々な隠し味があることを知った。

 

ボガード扮するリックの酒場で、リックに思いを寄せる女性が「昨夜はどこにいらしたの?」と尋ね、「そんな昔のことなんか覚えちゃいない」(That’s so long ago, I don’t remember)とそっけなく答えるリック。さらに、「今夜会える?」に対して、「そんな先のことなんか考えたこともない」(I never make plans such far ahead)という有名なセリフがある。

 

この言葉は、リックと恋人だったイルザ(イングリッド・バーグマン)のやりとり、「(ドイツ軍がパリに侵攻した日のことは)僕は全て覚えている、ドイツの軍人は灰色で、君は青い服だった」(I remember every detail. The Germans wore gray, you wore blue)と対をなしている。そして、二人でマルセイユに行って結婚しようと言った時のイルザのセリフが、「That’s too far ahead to plan」である。待ち合わせの駅に現れなかったイルザにリックは深く傷つく。

 

「カサブランカ」のシンボル的なセリフ「君の瞳に乾杯!」(Here’s looking at you, kid)は二人が恋人同士だった時にリックが口にしていた言葉だが、思いがけないイルザとの再会にも固く心を閉ざすリックからは決して出てこない。

 

最後の最後、夫が亡くなったと当時思い込んでいたという事情をのみこみ、「(夫である彼と一緒に行かなければ)君はきっと後悔する」、「今日ではないかも知れない、明日でもないかも知れない、でも、すぐに、そして生涯にわたって」(Maybe not today, maybe not tomorrow, but soon, and for the rest of your life)、続けて「この狂った世の中ではちっぽけな三人のことなんか取るに足らないことだというぐらいこんな俺にも分かる、いつか君にも分かるだろう」と言ったまさにその時に、「Here’s looking at you, kid」と出てくる。アメリカ人にはこの一連のセリフがジーンとくるらしい。

 

もちろんこんなことは私の英語力では映画からは全く分からない。30年以上も前のこと、ニューヨークで手に入れたカサブランカのシナリオ本を読みこんで初めて知ったことだ。評価が高いからこそだろう、『君の瞳に乾杯』と題された日本語での対訳の書もDVD付きの冊子も出ている。

 

「ローマの休日」の対訳本は以前から持ってはいたが、改めて見て、何か発見があるかも知れない。江戸時代から量子力学、はたまた映画と、なけなしの頭の中は何とも忙しく、本業を忘れてしまいそうだが、それもまたシニアの特権かも知れない。

2017年4月15日 (土)

楽しかった誕生日

私事ながら、414日が誕生日であった。いよいよ前期高齢者かと思うと、寂しいような、それでいて中途半端な歳とサヨナラした清々しさ。桜も綺麗に咲いてくれていた。
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今にしてこんなに咲いているというのは、ちょっと山の中というのがバレバレ。したがって、何をしていたかもバレバレだが、今まで感じたことがなかったような楽しい誕生日であった。

 

桜が華を添える快晴の澄みきった青空のもとでするゴルフの爽快感は何にもかえがたい。スコアもバックティーから80台だったので私としては上出来。いつもは情けないほどヘナヘナのドライバーショットも、心なしかよく飛んでいたような気がする。そういえば、何年違うのかはおそろしくて聞けないが、私と誕生日が同じでそのことをよく覚えてくれている、とあるゴルフ場のフロントのいつも愛想よくしてくれる熟女風の美人嬢はこの日をどう過ごしただろうか。

 

ゴルフのあとは、施設にいる老母に会い、変わらぬ笑顔に癒された。いくつになっても、少々ボケてはいても、母親は母親。「気をつけてね」と別れ際に手をふってくれた姿が心に残る。

 

Face Bookでは多くの知己のかたから、また、大原綜合病院の理事長からも、メッセージを頂き、これまた感謝感謝。懐かしい高校の同級生もメッセージをくれた。もう40年以上も会っていない。FBが動画サービスを提供してくれたのには驚く。

 

「ブログを楽しみに読んでますよ」と伝えて下さったかたもいる。自己陶酔型の趣味でつらねる駄文であっても、読んで頂ければやはり嬉しい。

 

久しぶりのカラオケも大いに楽しんだ。難聴ゆえうまく取れない音も、なんだかよく取れたような気がして、「今日はよかったよ」と有り難い言葉。何度も歌った曲は“耳タコソング”で、初めて披露する曲は“耳ハツソング”。誕生日に免じてお許し頂こうと、今回はYouTubeで聴いた曲で思いっきり耳ハツソングにしてみた。うまくやれるかどうかは別として、やはり歌は好きで、ここのところの、キナ臭く、たまらなく憂鬱な朝鮮半島問題からもしばし離れることができたような気がする。

 

救急医療に従事というかつての仕事柄、不幸を多く眼にしてきただけに、この歳の誕生日をこんなに楽しく過ごせたことをただひたすら神に感謝するほかない。皆様にも幸多かれと、珍しく殊勝な心にひたった一日であった。

2017年4月 6日 (木)

板門店

ブログを綴っていて、ここのところ、韓国や北朝鮮の問題、雪崩事故、外国籍の少女の殺人事件、シリア情勢などなど、気が滅入ることばかりで、スーダンの思い出をテーマにするつもりの手が止まってしまった。そこで、今回は朝鮮半島について少し記してみたい。

 

どこまで正確な把握ができているかはともかく、私に関してはスーダンより朝鮮半島の方がはるかに詳しいことは確かだ。以前のブログでそのことに触れた。

http://bogeytetsu.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-1770.html

 

スーダン訪問より少し前のこと、韓国政府の元大臣級のかたのエスコートを受けて南北の境界線に位置する板門店を訪れ、非常な緊張感を覚えたことが心に残っている。“思い出”という生易しいものではなく、空気で感じた冷え冷えとした恐怖の記憶である。

 

写真の青い建物が軍事停戦委員会の本会議場で、後方正面に見える北側の板門閣からは北朝鮮の兵士がしきりと双眼鏡でこちらを観察していた。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E9%96%80%E5%BA%97

 

上空から見るとここにある建物はこんな形をしている。青い建物の真ん中が軍事境界線とされている。
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国境はというと、南北双方の主張が食い違い、決めきれていない面がある。だからこの建物近辺を共同警備区域と呼称し、かつては双方が移動できたが、何度か深刻な事件が発生したため、今は南北の兵員が入り交じることは規制されている。非武装区域というのは、偶発的な衝突を避けるために国境線に沿って設けられた非武装の概ね幅2㎞の区域である。当然のことながら板門店はこの区域内にある。

 

幸いなことに長く続いているものの、現在はあくまで朝鮮戦争(19501953年)の「休戦」に過ぎない。したがって、板門店は紛れもなく戦争の最前線だ。

 

通常のルートとして板門店に行くには特定の橋を渡る必要があり、許可がない限り一般人が行けるのは橋の手前までだ。不用意な行動をしないように訪問者には事前にこまごまとした注意が与えられる。自己責任だという書類にサインし、許可証を胸にかけて橋を渡る時にはさすがに背筋が震える思いであった。なお、「帰らざる橋」というのはこの橋ではなく捕虜交換に使われた板門店の西側にある小さい橋である。

 

板門店には不思議なことに少数の一般の居住者がいる。昔から住んでいる人の既得権として認めていると聞いた。

 

同行した韓国人のかたが、帰り際に、橋の板門店側で警備をしていた米兵(正確には国連軍兵士)に「Have a nice day!」と声をかけ、米兵も屈託なく「You too!」などと返答していた。他愛もない定型の挨拶とはいえ、こんなところの職務ではどうやっても「nice day」は過ごせそうにはない。閑話休題。

 

スーダンでは、「displaced people」という言葉を多く耳にした。難民は「refugee」と表現されているが、これは通常には国境を越えた避難民を指し、内乱や飢餓などで郷里を追われ国内での避難を余儀なくされた人々はdisplaced peopleと呼ばれる。スーダンにおいて、特に南スーダンの独立前にはこの国内避難民が多くいたわけである。

 

UNHCR、すなわち国連難民高等弁務官事務所が管轄するのはrefugeeであり、displaced peopleは対象外である。そうでないとしても、とてもではないが手が回らない。displaced peopleに対しては国際NGOが支援しているが、国家規模、国連規模ではないので限界がある。

 

ここでその言葉に言及したのは、朝鮮半島でもしものことが起これば、夥しい数のdisplaced peopleを生じ、そして中朝国境や海を越えるrefugeeが発生することが確実だからである。アメリカ、中国、ロシアなどの大国が、北朝鮮への対応に苦慮し、韓国の政情不安定を苦々しく思うのは、少なくともひとつはこの点にある。

 

displaced peopleという言葉がピンとこなければ、福島の原発事故で避難せざるを得なかった人々を思い起こしてみればよい。日本も決して無縁ではないのである。そして、そう遠くない将来、強く関わらざるを得なくなることはほぼ間違いない。

 

板門店は、かつての同一民族が激しく敵対している中で、お互いが直接に接しうる唯一の貴重な場所である。そのつもりでこの場所での動向にも留意していかねばならない。このことは、決して他人事ではない。

2017年3月23日 (木)

思い出のスーダン

PKOで派遣されていた自衛隊が今年5月で撤収することが決まったと報道されていた。南スーダンのジュバで道路整備などの支援事業を行ったという。本当にお疲れさまでした、とその労をねぎらいたい。これから撤収の準備作業が始まるのだろうが、撤収というのも案外に大変な作業のようで、滞りなく無事任務を終えることを心より祈っている。
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私もそうだったが、多くの日本人にとってスーダンはなじみの薄い国だろう。だからこそか、一度しか行ったことのないスーダンは私にとって貴重な思い出の地である。とあるNGOに関わっていたことから、短期研修視察として「スーダンに行きませんか」という話があり、即に「行きます」と返事をした。あそこは内乱状態にあって危ないんじゃないですか、と心配してくれた人も周囲にいたし、当時は現役最前線にいたので少々辛いところもあったが、こんなチャンスは滅多にないと同僚に頭を下げまくって段取りを整えた。

 

実のところ、この旅は最初からあれこれケチがついた。急に重いバッグを持ったせいか、成田空港で、じっと座っていても起き上がろうとする時も、ひどい腰痛。いわゆるギックリ腰、筋筋膜性腰痛である。鎮痛剤を飲んで少しずつ緩和はしたものの、これには最後まで泣かされた。

 

中継地のアムステルダムはひどい風雨で、外が全く見えず、着陸体制に入った飛行機がグラグラとひどく揺れる。ようやく見えたのはまさに直下の滑走路。いよいよ着陸と思ったものの、まだグラグラしていて、なかなか着地しない。これではオーバーランしてしまう、と目をつぶった瞬間に再上昇。これがまさしくタッチダウン寸前からのゴーアラウンド。上空を旋回してから再度着陸を試み、グラグラしながらも今度はうまく着陸。飛行機好きの私にしてさすがにこの時は冷えた。パイロットも相当な緊張だっただろう。乗り継ぎの待ち時間に空港から見るに、どの飛行機も苦労していたようだ。

 

アムステルダムからカイロを経由していよいよスーダンの首都ハルツーム。午前4時なので真っ暗かと思いきや、灯りが多く見える。

 

外に出るとムーッとする暑さ。ホテルに一旦チェックインしてすぐに役所に挨拶。さらにまたハルツームのWHOの事務所を訪問して活動内容についての説明を受ける。所長はイラン人で、この人がなかなかひょうきんな人で親近感を覚えた。後年、『イラン人は面白い』という書を読み、確かにその通りだと思ったものだ。イランというと今ではガチガチのイスラム原理主義と受け止められているが、イラン革命の前のパーレビ王朝の時代は親米だったためかなり西洋化が進んでいて、文化がかなり混在している感がある。

 

いつどこに行ったか、手帳や資料なども引っ越しのどさくさで失くしてしまったので、よくわからないのだが、このスーダン訪問は19953月のことだというのははっきりわかる。もう22年も前のことだ。なぜ分かるかというと、スーダン滞在中に地下鉄サリン事件が起こったからである。この稿続く。

2017年3月 6日 (月)

『怒る富士』

黄金の稲穂のかなたに

 仰ぎ見る 富士の姿は

どんなにか 美しかろう・・・

 

これは、前進座の舞台『怒る富士』の主人公伊奈半左衛門忠順の最後の言葉である。1707年、宝永4年の富士山噴火で窮地に陥った村人に、命を賭して幕府の蔵米を放出して救済した忠順の、死を前にした語りには、大きな感動を覚えた。「何年かかろうとも、この村々を復興せねばならぬ」とは、彼の代官としての一途な信念であった。

 

私は演劇には全く造詣はない。『怒る富士』を観劇したのは、行きつけの喫茶店に宣伝用のパンフレットがおいてあって、富士山、噴火、江戸時代、新田次郎とあっては、「これは是非観なければ」とばかり、半ば冷やかし的気分で店のママさんからチケットを購入したからである。劇団の名前も知らなかったし、主演の嵐圭史さんのことも全く知らなかった。
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改めて調べてみるに、前進座というのは歴史の荒浪に翻弄されながらも、苦難を乗り越え創設85周年を迎える歴史と伝統ある劇団だと知った。嵐圭史さんも、演劇家系の名門に生まれ、幅広い役がこなせる実力派と高く評価されている人であった。当初、素人演劇に毛が生えた程度のドサ回り劇団かと、かりそめにも思ったことがまことに恥ずかしい。
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伊奈半左衛門忠順の生きざまにも、また、嵐圭史さんの、朗々とした張りのある声、それでいて決して過剰な演技にならず、その場面場面で、抑制のきいた、観客に何かを伝える表情の豊かさにすっかり感銘してしまった。そして、心から拍手をし、「来てよかった」と余韻にひたりつつ会場を後にした。なお、上に掲げた写真は、その時に会場で購入した冊子に掲載されていたものである。

 

新田次郎さんの、上下2冊の歴史小説『怒る富士』(文春文庫)については、観劇の前に読んだ。氏がこの作品を書き上げるために集めた資料は膨大になったという。

 

もともと気象庁の職員として富士山の測候所に逗留し、あるいは長く関わり、富士山に関する著書も多い。新田さんは、その中で、伊奈半左衛門忠順の伝承を聞き、その生きざまに惹かれ、惚れ込み、可能な限りの資料を集めて著したのが『怒る富士』である。冒頭に挙げた一節は小説にはないので、演劇の脚本として書かれたものであろう。胸に沁み込む。彼の死後、村人達はそれぞれにひそかに祠を設け、感謝を捧げていたという。今は浅間神社に接してそれらをまとめて伊奈神社として祀られている。

 

前進座の『怒る富士』は、3月末から4月にかけて会津、郡山、福島市など、福島県での公演も予定されている。この素晴らしい作品を是非に観劇して頂ければと願っている。

http://www.zenshinza.com/stage_guide3/2017ikarufuji/index.html

 

幕末史を少しでも見れば必ず名前があがってくるもう一人の忠順がいる。この人は相当な偉人なのではないかと、私にとってどうしても気になる人物であった。ようやくまとまった書を何冊か読んだので、いずれ紹介したい。

2017年2月23日 (木)

「ニュートンプレス」が民事再生

雑誌『ニュートン』を発行している「ニュートンプレス」が民事再生法の適用になったとネットで報道されていた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170220-00000066-jij-soci

 

ちょっと前に、元社長が出資法違反とかで逮捕されたとの報道もあって心配はしていたが、何とも残念な話ではある。幸いに、雑誌の発行を続ける努力がなされるとのことで、是非そうしてもらいたい。

 

当たり前のことながら、『ニュートン』は読む人は読むし、読まない人は全く読まないという類の科学雑誌なので、この報道にどれだけの人が関心を寄せたかはわからない。でも、駅の小さな書店にすら並んでいるし、宇宙や物理、火山、生物科学などをテーマにして、綺麗なイラストがふんだんに載っているので、愛読者は結構いるのではないかと思う。かくいう私もその一人だ。少なくともここ数年は必ず手に取り、宇宙関連はだいたい買っている。特集号など、もう少し安くならないものかと嘆きつつ、興味のあるものは結局購入。今もっているだけでも軽く20冊を越えているし、このブログでもよく引用させて頂いている。最近は、特集号に焼き直しの再版というか、改訂版とか増補版が目につき、ちょっと首を傾げていた。何か社内に問題はあったのだろう。
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『ニュートン』はもともと竹内均氏が科学をもっともっと一般人、特に子供達に近づけようと退官後に創設したものだ。東京大学教授といういかめしい肩書ながら、かみ砕いた面白い語り口の科学解説で人気があった。確かタケキンという愛称で親しまれていたと記憶している。イラストを多くしたのも氏の方針だったらしい。学者が雑誌を創刊して、当初は3ヵ月も持たないと危惧されたようだが、その分頑張ったということが初代編集長メッセージとして紹介されている。
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http://save.cms2.jp/newtonpress/newton/message.html

 

雑誌についてはわからないが、本がどれだけ読まれているかの目安が、巻末の第○刷、第○版という記載だ。初版が何部印刷されるかは書によって異なるけれども、出せば間違いなく多く売れるという人気作家の作品は別として、だいたいは初版が3000冊くらいで、注文が多ければ増刷となる。宇宙などサイエンス関連の一般書は数多く出ていて、増刷になっているものも少なくない。この領域に関心を寄せる読者は少なくないはずだ。

 

話を『ニュートン』に戻して、この雑誌の意義のひとつは、研究者が最先端の科学を一般の人に橋渡しするよき場だということだ。難しい研究への取り組み、その成果をまとめる研究論文、教育などが本業ではあろうけど、専門家たちの間でインパクトのある論文はそうそう書けるものではないし、竹内均さんの姿勢がそうだったように、一般の人にサイエンスを近づけるというのも研究者の仕事だろう。それに、読んでいると、研究者も楽しく書いている、あるいは語っているように感じる。一般書にまとめるとなるとかみ砕く必要があり相当な労が必要だが、一般向けのサイエンス誌はスポット的にやれる貴重な場だ。

 

実弟の話によれば、最近は原子核や素粒子論の研究者の層が薄くなっているという。文部科学省の予算も削られているのだろう。なんとも残念なことだ。働かない文科省の天下りも多くあると報道されている。削れる無駄はたくさんあるはずで、それらを排し、一見無駄とも思える、成果が出るまでに時間を要する基礎研究にしっかり目を向けて欲しいと思う今日この頃である。こと『ニュートン』に関しては、学者がやれた私企業の事業なので、気合いを入れて、ビジネスとしてしっかりやって欲しいと切に願っている。

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