日記・コラム・つぶやき

2017年12月12日 (火)

大原綜合病院新病院棟完成祝賀会

123日の一般の方々への大原綜合病院新病院棟内覧会に引き続き、1210日、医療関係者や工事関係者を主な対象として、内覧会とその後に完成祝賀会がサンパレス福島で開催された。私も関係者として1210日に参加させて頂いた。
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新病院の内部を見るのは建設途中もあわせ4回目だが、嬉しいとか感慨深いとかの思いはなく、むしろ見るのが怖い、といった感が先に立つ。テストの成績発表を見る時の気持ちに似ている。「あそこはこうした方がよかった」というのが出てこないかとヒヤヒヤである。いや、あれだけの規模の複雑構造なので当然にして出てはくるだろうけど、今はただ、問題点が運用で軽減できる範囲であることを祈るほかない。

 

私がスタッフとして関わったのは新病院のグランドデザインというかコンセプトの練り直しと企画設計だが、病院の会議室で、あるいは設計会社の会議室で、設計士や病院のコアメンバーと幾度となく激論を交わしてきただけに、新病院には思い入れが深い。都市の中心部によくこれだけの敷地を確保したものだとその手腕に感心しつつも、南北の端で2m以上の高低差がある傾いた細長い土地でのレイアウトには思った以上に手こずった。

 

救急車の進入路ひとつとっても、ああでもないこうでもないと頭を悩ませたことを思い出す。平子健理事長と一緒に消防署を訪問して救急隊員の意見を集約して頂き、結果、通行量が多く他の車がスピードを出していて危険なため、国道13号側からの進入は避けたいというのが大勢の意見であった。これでは当初の想定は棄却せざるを得ない。

 

このことに限らず、そういった感じで意見を聴いていったので、設計士には数限りなく図面の書き換えをお願いした。もちろん、非常に厳しい予算の制約もあった。専門家ならではの経験と技術で根気強く取り組んでくれたことには感謝のほかない。

 

私に関しては特に救急部門について、「現状からすればオーバースペックではないか」という内なる葛藤との闘いであった。しかし、地域から救急への強い要望がある以上、大原綜合病院は現状に甘んじず人的整備を重ね、それに応えていかねばならない病院であり、この機にハードを整備しておかねば、という思いは強くあった。祝宴の際に竹之下誠一福島県立医科大学長がそのことに触れて下さったのには感激であった。

 

導線や部門の位置、広さなどを策定する作業である企画設計がようやくまとまって、これなら建築図面を作る作業の実施設計に移行できるとなった時には、ともども快哉を叫ぶ思いであった。でも、それはあくまで図面の上でのことである。だからこそ実際の建築物を見るにあたって上記のような思いにかられたのである。

 

さて、祝賀会は、その冒頭に遠藤千晶さんの箏(そう)の演奏があり、式典に大いなる華を添えた。まことに惚れ惚れするような澄んだ音色の演奏であった。私は全く知らなかったのだが、箏というのは13本の弦と、音程の調整をするための可動性のある柱(じ)が弦を支えているのが特徴で、これに対して琴の弦は6本で、柱はない。遠藤千晶さんは福島市の御出身で身内のかたが佐藤勝彦院長の治療を受けたという縁があったようだ。既に名をなしている一流の演奏家である。

https://www.chiaki-endo.com/

 

錚々たるかたがたの祝辞、乾杯、病院のあゆみの紹介などに引き続いて、福島県立医科大学混成合唱団の合唱が披露された。さらに職員で構成された大原グリーンハーモニー合唱団が加わり、佐藤勝彦院長作詞作曲の曲を、佐藤院長自らの指揮の下での合唱は圧巻であった。病院の御厚意で参列させて頂いた、高校・大学時代に混成合唱団に所属し今は宮城県で勤務医をしている次男に尋ねてみたところ、「指揮もすごく上手だし、合唱も素晴らしいと思う」ということであった。
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中締めのスピーチで小山善久副院長が、「赴任後に、5年後に新病院になる、と聞かされ、その2年後に尋ねたら、4年後という、その次の年に尋ねたら、4年後と返答があった。本当に新病院になるのだろうか」と不安にかられたエピソードを絶妙な語り口で紹介し、会場の大爆笑を誘っておられた。

 

会で配布された『あゆみと未来』と題された「大原綜合病院新病院棟開院記念誌」は涙なしには読めないぐらい、苦労苦労の連続であったことがわかる。経営苦境に追い打ちをかけるような東日本大震災という悲運もあったけれども、特筆されるべき東邦銀行の勇断など、あまた多くの人々に助けられたこともあって、どん底から不死鳥のように立ち上がってきている。

 

「人を愛し、病を極める」、大原綜合病院の理念である。大正13年に世界に先駆けて「野兎病」を発見した大原八郎博士を先人に拝する大原綜合病院ならではの素晴らしい言葉だ。その頌徳碑は今、新病院玄関に掲揚されている。大原綜合病院に関われたことを誇りに思い、これからまだまだ続く苦闘を乗り越え、地域に信頼される確固たる医療の砦とならんことを願ってやまない。

2017年11月29日 (水)

不正続きの日本工業界

これではメードインジャパンの名が泣くというものだろう、と月並みで大仰な嘆きをしてみたくもなる。ちょっと前には三菱自動車のリコール隠し、燃費不正、東芝の不正会計、神戸製鋼や東洋レーヨン子会社のデータ改ざん、日産やSUBARUの検査不正、などなど、何とまあゾロゾロ出てくるものだ。

 

我が愛車のスバル・インプレッサG4もリコールの対象になるのか、と懸念していたら、案の上、ディーラーから連絡があった。「手抜き検査だったんですか?」と意地悪的に尋ねてみると、「いやいや、そう言われてしまえばそうなんですけど、資格者2人がすることころを資格者1人と無資格者1人でやっていた次第で、製品自体には問題ないはずなんですが、改めて2人できちんと再検査させて頂くようにします。どうもすみません」とのことであった。

 

私もバッシングの輪に加わりたいところだが、実のところ医療界も、カルテ改ざん、隠蔽、誤診や医療ミスなど、あまた多くの不祥事で紙面を賑わせてきた。今も少なくない。工業界へのバッシングどころではなく、そういうのを見聞きするにつけ、他人事ではないと、医療界で長くお世話になった者として身が細る思いの方が先に立つ。「血液型を誤って投与してしまった」との報告に蒼くなったのがつい昨日のような気がする。投与したのは血漿製剤で、すぐに気づいて止めたので実害はないはずだと思いつつ、ミスはミスとしてきちんと伝えるのは、情けないながら、やはり勇気が必要であった。

 

楽観と対応の拙さが惨憺たる結末になったのがまだ記憶に新しい雪印乳業の事件だ。健康被害とともに、誰でもが知っていた超一流ブランドがあっという間に崩壊してしまった。「不安が残る原料を廃棄していれば、あるいは、異常を知った時点で最大限の手段を講じていれば」と、当時の社員は痛恨の思いだったであろう。だが、遅かった。社長の対応の拙さもバッシングに輪をかけた。

 

メディアは概してすべからく悪意表現で糾弾するが、起こった事柄は、悪意度というか怠慢度は、あるいは被害は、それぞれにかなり異なっているのだろうと思う。大体にして共通しているのは、あるいはメディアが叩きやすいのは、当事者というか会社に誠実さが欠落していて、内部告発的なもので明るみに出るということだ。

 

コンプライアンスの遵守ということがよく言われる。ルールはルールであって守らねばならない。守る必要がないのならルールを変更すればいい。話としてはいたって単純なのだが、いざ実践となると、それがきちんとできないからこんなことになってしまう。


概して言えば、いくら現場が頑張っていても、社長か、あるいは取締役であれ部長であれ、役職に相応しくない人がその役職についている状況だと、トラブルが起こりがちで、その後の対応も拙くなる。有能な指揮官が少ないことを「第二次世界大戦の日本軍兵士状態」と揶揄して語ったことがある。下から上への力が働きにくい構造も問題だ。名門の大企業東芝が危機に陥ったのはほぼ間違いなくトップの判断の誤りだと思うが、裕福なトップは前途不安な若手社員から罰される心配はない。東芝再興の祖とも評価されるメザシ好きで有名だった元社長は自らを律し、相当な緊張感を持って組織を率いていたのだろう。

 

しかし、起こったことを嘆いても仕方がない。日本は、いくら外国人観光客が増えても、観光では存続できない。依るべき資源がない以上、技術力、工業力、そして貿易で生きていくほかない。例え目先の利益を損ねたとしても、失った信用を是非に取り戻してもらいたいと切に願っている。

2017年11月18日 (土)

医療報道拾い読み

ちょっぴり医療とうたいながら、ここのところチョッピリも書いていないので、今回はネットや新聞で見た医療関連の報道の拾い読みを、どんなことを考えながら見ているのか、ちょっと書いてみる。なお、私にはメディア以外の情報はなく、あくまで個人的な推測である。

 

板門店で北朝鮮兵士が南側に脱出しようとして銃撃されたという事件があった。どういうわけか「生命に別条ない」と当初は報道されていた。銃撃されてそれはないだろうと思っていたが、実際、非常に危ない状態だという。

 

短期間で二度の手術が施行されたことの意味は一般のかたには分かりにくいだろうが、これは外傷外科ではしばしば行われることで、状態が悪い場合は、最初の手術では、致命的となる出血をおさえ、腸管の損傷による腹腔内汚染を最小限にすることに特化する。完全な修復は期さない。これをダメージコントロールと言う。まずそれをして命をつなぎとめ、しかる後にまともに縫合すらしていない腹壁を開け、損傷を再確認して必要な処置を行う。銃撃で心停止に近い状態になるほどの重傷を負った國松元警察庁長官の場合に施行されたのもこのような手術である。いずれも外傷専門医ならではの適切な処置だ。

 

北朝鮮兵士の事例は、未だ意識不明ということが報道で強調されていたが、頭部外傷や心停止をきたしたエピソードがなければ、救命できれば意識は必ず戻る。状態が悪くて人工呼吸が施行されていれば、仮に意識があっても鎮静剤などで人為的に無意識状態におくため、意識があるとかないとかはあまり意味がない。

 

それにしても、拉致問題の悪辣さにも度重なる威嚇や恫喝にも怒りを覚えるが、その一方、一般の国民一人ひとりに罪があるわけではなく、かの国の人権無視の悲惨な状況には胸が痛む。トランプ大統領はあまり好きではないが、20年以上の北朝鮮ウォッチャーとしては、彼の北朝鮮に関する言は正しいと思う。強大な戦力が展開中は口実となるような挑発行動を何もしないのはかの国の狡猾な常套手段だ。いつまでも大規模訓練をしてはおれないわけで、トランプさんも手玉に取られている。

 

元若嶋津、二所ノ関親方がサウナの後、自転車で転倒して意識不明で倒れているところを発見され、緊急手術を受けたという報道があった。当初は「生命に別条はない」とも書かれていたが、それはあり得ない。そもそも、意識不明だけれども生命に別条ない、という状況は極めて少ない。例えば睡眠薬の大量服用が明らかであれば、意識不明であってもほぼ確信をもって「死に至ることはまずない」と言えるが、通常は、意識不明というのはそれだけで命にかかわる重症である。仕方ない面もあるにせよ、急ぎの報道では、「何のことやら」と、理解に苦しむような内容が少なくない。報道から時間が経てば少しずつ正確になってきて、ああ、そうだったのか、となる。

 

二所ノ関親方については、未だに意識が戻っていないのなら、転倒による急性硬膜下血種である可能性が高い。紛らわしい病名に急性硬膜外血種がある。どちらも意識障害をきたすほどの血種があれば緊急手術の対象となる。頭蓋骨のすぐ下に血の塊ができる急性硬膜外血種は後遺症なく意識回復が得られることが多い。急性硬膜下血種は血の塊がより脳の表面にできるもので、脳実質の損傷を伴っていることが多く、意識回復が遷延するか、回復しない。緊急手術をしても死に至ることも少なくない。

 

自転車に乗る前にくも膜下出血を起こしていたのではないかという推測もあるようだが、確かにくも膜下出血をきたしても当初は意識がはっきりしていることはある。それであっても、ひどい頭痛でとても自転車には乗れないだろう。ただし、当初は出血量が少なく、肩こりや気分不良、軽い頭痛で発症し、経過を見ているうちに再出血により重篤な意識障害になることはある。頭のCT写真を見ればどれかはたいてい一発で分かるけれども、そこまで報道されることはないので分からない。ともあれ、かつての人気力士で、アイドルだった高田みづえさんの夫の二所ノ関親方の回復を祈りたい。

 

アンパンマンの番組で声優をしていたかたが57歳で高速道路上で急死していたという。大動脈解離と報道されているが、動脈が裂けて破裂するこの疾患ならそういう状況は起こり得る。多分そうだろう。それにしても、ハザードランプをつけて路肩に停止していたというのはすごいことだ。激烈な痛みに襲われ、薄れゆく意識の中で咄嗟にそうしたのだと思う。

 

大動脈解離にも色々なタイプがあるが、最重症例はこのパターンであっという間に命を失う。こぶ、すなわち瘤を作るタイプであれば健診などで事前に見つかることがあるが、瘤がなく動脈の膜がいきなり裂けて破裂するタイプは事前には全く分からない。

 

くも膜下出血も大動脈解離も、直前まで元気で、青天の霹靂のように襲ってくる病魔なので、何とも恐ろしい。しばしば報道される壮年期のバスの運転手の突然死も多くはこれらだ。健診ではまず予測不可能で、休養を取っていたかどうかも関係ないように思う。急性心筋梗塞はいきなり心停止の一種である心室細動をきたさなければ事故回避行動の余地はある。

 

 

私の場合はそれを職業としてきたので、医療関連の報道は、時に首をかしげながらも、読みやすい。他の分野は、やはり分からない。特に経済に疎いので、株価についての報道には検証能力が全くないのが残念だ。医療報道などからして、メディアを無検証に過信するのは禁物だと思うようにしているが、どうなのだろうか。そんなこんな、今回は思ったまま感じたままに綴ってみた。

2017年11月 9日 (木)

早期の英語教育

2歳の孫と一緒に絵本をめくっていた時、言葉がまだ覚束ないない彼が「ィク!」とのたまう。「ん、イマなんつった?」、と思わず聞き返す。そうするとニコニコと嬉しそうな顔をしてやはり「ィク!」。「ああ、ケーキのことなの」と私。そうは言ったものの、英語の発音としてはたかだか2歳の孫の方が正しいと、我がジャパニーズイングリッシュの「ケーキ」が思わず恥ずかしくなる。
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そのあと、今度は飛行機の絵を見て「ァプㇾン」。さすがにこれは再現性があると悟ったものの、はてなぜなのか、と、狐につままれたような思いにかられる。母親に尋ねてみると、「この子は幼児向けの英語番組がすごく好きで、いつも見てるんです」と。そういうことかとようやく納得。余計な雑念が全くなく、真っ白な状態で音をそのままとらえるので、正確な発音になるわけだ。どうせそのうち忘れるだろうが、音への親和性は残るだろう。

 

早期の英語教育には賛否両論があるようだが、英語に泣かされた私としては、大いに賛成である。日本語は日本にいる限りどうやったって必ず習得できる。

 

thの音は非常によく出るし習うのでさすがに覚えるけれども、日本人にとってこの音は自然には絶対に出てこない。また、日本語にはないというか、区別をつけないので、lrの発音は相当に英語が達者な人でないと音が出せないし聞きとれない。英語圏の人達にとっては全然違う音らしいが、それが我々にはわからない。bとvも気をつけないと間違うし、csheも日本語ではさして区別はないが、音としてはかなり違うようだ。sitshitを間違うとえらいことになる。

 

こと左様に日本人にとって英語は悩ましいわけだが、いにしえのいきさつからどこか共通しているのか、韓国語は習得が早いようだ。スペイン語は日本語と同じ表音文字なので、覚えやすいらしい。

 

外国人の日本語習得は結構難しいのではないと思うのだけど、デープ・スペクターさんやパックンことパトリック・ハーランさんは実に見事に操るし、流暢な日本語を話す外国人は少なくない。感心するのが外国人相撲力士だ。みんな日本語がうまいので、組織として相撲部屋は語学教育に長けているように思える。これはあくまで推測だが、外国語を喋る人が少ないので、遠慮容赦なく日本語のシャワーを浴びせる中で自然に習得させているのだろう。

 

ノーベル賞の益川敏英さんは、英語なんてできなくても関係ない、と豪語しておられた。このぐらいの人になるとそうだろうけど、やはり世界の公用語として最も多く用いられている英語に慣れた方がいいことは確かだ。私の世代だと受験以外にはあまり役に立たない文法ばかりやっていた英語の授業も、今は相当に実用的なものに変わりつつあるらしい。いいことだと思う。

 

とはいえ、言葉はあくまでコミュニケーションの道具に過ぎないので、面白い話とか、しっかりした意見交換、あるいは自国の歴史や文化のことなど内容のある話、ができることが重要だ。英語を話したいがために日本人に話かけるアメリカ人はいない。負け惜しみながら、私はそちらで勝負したい。

2017年11月 1日 (水)

空から見た浅間山と一切経山

初めて伊丹空港から仙台空港に飛んだ。機体はエンブラエル190で、私にとっては初搭乗。どういうルートを飛ぶのかなぁとキョロキョロと下を見ていた。台風21号が通り過ぎ、また次の台風が来つつあるという、台風にはいささかウンザリではあったが、幸いにしてこの時はその合間の快晴であった。

 

伊丹空港を離陸して、日本海側を飛ぶのかと思いきや、機体はあまり高度をあげずにそのまま北東に飛ぶ。富士山の直上かやや北側を飛んだのではないかと思う。遠くに冠雪した北アルプスの峰々が綺麗に見える。

 

しばらくすると、大きな火口というか外輪山の中にくっきりとした火口がある山が見えてきた。頂上付近に雪が積もっているため姿がはっきりとわかる。浅間山である。過去に何度も大きな噴火を繰り返し、今も小噴火を続けている現役バリバリの活火山だ。
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1783年、天明3年の大噴火では1500人近くにものぼる犠牲者が出ている。火口から12㎞、山の北側にある鎌原村は岩屑なだれによってほぼ埋め尽くされ、477名が犠牲となり、村の生存者は小高い場所にある観音堂にかろうじて避難できた93名だけだったという。この時のことは発掘調査で次第に明らかにされており、『浅間山大噴火の爪痕』(関俊明 新泉社)に詳しく記載されている。位置的には鎌原村とは反対側だが、軽井沢と小諸は浅間山麓にあるので、万が一にまた大噴火が起これば多くの人々は、軽井沢のセレブの皆様も、生きた心地がしないであろう。大噴火がないよう祈るほかない。

 

しばらくすると、福島の山々が見えてきた。吾妻山系である。この時は仙台空港に向けて高度を既に下げていたので、山というより大きながけ崩れとしか思えない一切経山と火口がはっきりした吾妻小富士がよく見える。
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写真でわかるように、一切経山の表側は火山ガスのせいで緑が全くないが、北側には緑があり五色沼という鮮やかなコバルトブルーの綺麗な湖がある。恥ずかしながら私はそれまで山の裏側にこんな湖があるというのを知らなかった。これは、別名、魔女の瞳と言うらしい。魔女はこんな素敵な瞳をしているのだろうか。少々祟られてもいいからお会いしてみたいものだ。
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http://www.yamaquest.com/detail/issaikyozan-1949/375.html


今は忙しくも何ともないが、少しは忙しかった頃からの習性で、予定はできるだけ早くポンと決めて、一旦決めたら変えないようにして、航空券なども安いうちに早く取るようにしてきた。今回の伊丹‐仙台航路もそうで、初めての機体が体験でき、窓側の1人掛けの席で、綺麗な景色を見ることができて1万円というのは実に割り得感のある移動であった。台風で泣かされることもあるけれど、やはり空の旅も楽しい。

2017年10月24日 (火)

マンガ

マンガ、と言っても、政治の話ではない。ずっと以前、管理職として職域からのマンガ本一掃を指示したことがある。ずいぶんと反発を受けたが、私にしてみれば、週刊誌程度とか、コソッと机に隠しておくぐらいならともかく、いくらくつろぐ場所だけとはいえ、職場におおっぴらにマンガ本を棚にずらりと並べているようなところがどこにあるのか、と反発は大いに意外であった。

 

これまたずっと以前、何かの話の時に、「ええっ、マンガを見ることがあるのですか!」と驚かれたことがあり、私はそういうふうに見えるのかなと、逆に意外だった。確かに活字が好きだし活字を読むのは苦にならないが、あえてたくさん見ることはないにせよ、マンガも好きだ。こちらは理屈抜きに面白い。

 

私が印象に残っているマンガは「じゃりン子チエ」だ。大阪の下町を舞台に、自称“日本一不幸な少女”のホルモン焼き屋の娘チエと、酒飲まずタバコも吸わずだがまるでグータラおやじのテツ、ネコのジュニアと小鉄、花井先生などがおりなすドタバタ喜劇はまるで落語でも見ているように、他にちょっと例のない一種独特の面白さがある。マンガ史上の傑作だと今でも思っている。
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 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%8A%E3%83%B3%E5%AD%90%E3%83%81%E3%82%A8

 

ゴルゴ13も面白い。こちらはシリアスで見かたによれば残酷ものだが、世界を舞台に、超一流のスナイパーのデューク東郷が、報酬は莫大でも受けた依頼は必ず成功させるという痛快な作品だ。作者は外国に行ったことがないままに創作したというのが信じられない。マンガ好きで知られる麻生太郎さんもこの作品のファンらしい。もしかしたらゴルゴ13を雇ってでも、どこぞの憂いを除去したいと空想しているかも知れない。
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 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413

 

4コマのギャグ漫画はやはりコジローが第一人者なのではないだろうか。デフォルメしてシンプルな筆さばきながら、誰が見てもすぐにわかる本人そっくりの絵にしていて、それだけでも思わず吹き出してしまう。半端な才能ではない。4コマで描くギャグも最高に面白い。スポーツ界を中心に世相ネタを取り上げているが、相当に情報を仕入れているに違いない。『サンデー毎日』だったか、選挙にのぞむ「このハゲェー!」で超有名人となったかの豊田真由子氏をネタにした作品は大爆笑で、しばらく思い出し笑いが止まらなかった。膨大な連載を抱え、よくもまあギャグのアイデアが続くものだとただただ感心するほかない。ゴルフに関心がない人は読むことはないだろうけど、「くるくるパラダイス」や「バンカー野郎」というゴルフ月刊誌や週刊誌の連載も傑作が多く、毎回楽しませてくれる。

 

「黄昏流星群」や「課長島耕作」で一躍人気作家となった弘兼憲史さんは私より少し年長ながら同郷の人で、一時は市内を走るバスにもその名前が冠されていた。今は老後の生き方について多く書を出している。リッチさが違うのであまり参考にならない気もするが、心情はあまり異なるところはないようで、なかなかに含蓄があると思う。

 

いつも四角四面に考えず、場をわきまえた上で、時にはマンガで癒しを得るのも悪くはない。自戒しつつ、ふとそんなことも思ってみた。

2017年10月10日 (火)

感銘深いスピーチ

ネットのニュースは手軽に何が起こっているのかを知るのに便利だが、ここ最近は、大仰な見出しに乏しい内容、広告や有料購読への誘導などなど、いささかウンザリしてきた。YouTubeは面白いし便利だけど、サーフィンをしていたらきりがない。下手をすると知らぬうちに怪しいサイトに誘導されることもあるらしい。ネットはありがたいには違いないけど、何ごともほどほどにせねばならないのだろう。

 

だが、つい最近、ネットニュースと動画の組み合わせで素晴らしい記事を見ることができた。情報源を新聞と書物だけに依っていたのでは、少なくとも、こんなに早く、また、こんなに強烈な印象を持つようなことはまずなかった。

 

それは、「米コロラド州にある空軍士官学校予備校の学生寮で、黒人学生を侮蔑する人種差別的な罵倒が、学生の部屋のドアについた伝言板に書かれた問題を受け、士官学校校長のジェイ・シルベリア中将は928日、士官学校の全校生徒と教職員を集めて、このような振る舞いはまったく受け入れられないと強い調子で話した。」という報道である。イギリスのBBCが報道したことから広がったらしい。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171002-10002126-bbcv-int

 

彼は差別を厳しく糾弾した上で、「多様性の力があればこそ、我々はその分だけ強くなる」として、「もし誰かの尊厳を尊重し、敬意とともに接することができないなら、(この学校から)出ていきなさい」とのべている。「たとえどんな形でも人を侮辱するような者は、出ていきなさい」「人種が違う、あるいは、肌の色が違う相手を、尊重し敬意をもって接することができないなら、出ていきなさい」と強い口調で語り、そして「我々がみんな一丸となって、道義的な勇気を持てるように」と呼びかけた。
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私の貧弱な英語力では部分的にしか原語としてはとれないが、彼の厳しい表情と字幕からその気迫は十分に伝わってくる。素晴らしいスピーチだと率直に称賛したい。特に意識したわけではないと思うが、「need to get out」と韻を踏んでいる。

 

アメリカの人種差別の歴史は長い。日系人も差別に苦しんできた。原子爆弾という人体実験にも近い日本人大量殺戮をしたのもアメリカである。黒人に対する差別が法の上で解消されたのは1960年代になってからのことだ。今もなお人種差別は根強くある。しかし、シルベリア中将の力強い真摯な言葉に、アメリカの良心を垣間見たような気がする。教材にしてもいいのではないか、そんなことも感じた名スピーチであった。

2017年10月 3日 (火)

死の彷徨

彷徨(ほうこう)というのは難しい字だが、「(迷って)さまよい歩くさま」を簡潔かつ的確に表現した言葉だとも言える。これに死がついて「死の彷徨」となれば、恐怖をともなった切迫感を字面が醸し出す。

 

まさにこの通りのことが明治351月、青森県の八甲田山麓で起こっている。いわゆる八甲田山雪中行軍遭難事件である。当時の軍のこととて、秘されたところもあったようだが、訓練で210人中199人が死亡という事実は隠しようもなく、世間に知られることとなった。

 

生存者も、自力で麓の田茂木野の村落まで辿りついた者はおらず、多くは凍死寸前の状態で救助されている。特に、雪中で凍てつき屹立したまま仮死状態で救出された後藤房之介伍長はこの遭難事件のシンボルになり、銅像が建立されている。私が訪れた時は人の気配もなく、周りに霧が立ち込め、なんだか鬼気迫るものがあった。後藤伍長が発見されたのはこの場所から少し青森寄りである。
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この事件を題材にとった小説が『八甲田山死の彷徨』(新田次郎 新潮文庫)で、『八甲田山』として映画化もされた。こちらはフィクションではあるが、脚色や誇張はあるにせよ、ほぼ実際に起こったことを描き出しているようだ。気象の専門家でもある新田次郎さんは詳細な取材に基づいて書いているし、映画も八甲田山で過酷な長期ロケを敢行しただけに、どちらも凄い迫力で迫ってくる。

 

いくら明治時代とはいえ、どうしてこのような行軍を試みたかだが、当時、日本とロシアの間には不穏な空気が漂っていて、ロシアの侵攻により海岸沿いの鉄道が攻撃を受けた際に、青森と八戸が分断されないための補給路の確認が必要と考えられたようだ。その補給路は、青森から今の十和田市に抜ける八甲田山麓の峠越えである。また、ロシアと戦争状態になった際に、寒冷地での戦闘を想定した装備を検討しておく必要性もあったようだ。

 

訓練は弘前の第31連隊が少数で弘前から十和田湖をぐるっと回って三本木(今の十和田市)から八甲田山麓の峠越えで11日かけて青森に抜ける行程を取っている。青森の第5連隊は規模を大きくして、青森から1日か2日で八甲田山麓の田代温泉に行く距離としては10㎞足らずの行程である。ほぼ同時期に行われたにも関わらず、第31連隊は全員が生還、第5連隊はほぼ全滅である。
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八甲田山は8つの峰からなる山系で、その山麓においても、雪に加えて津軽海峡からの猛烈な強風が吹き付け、今の時代においても厳冬期の踏破は容易ならざることだと聞く。遭難事件の時は特に寒気が厳しく、数mの積雪があり、零下17度以下、強風により体感温度はさらに下回っていたという。今でこそ舗装された道路があるが、昔はこのような灌木の間に細い道があるだけだったのだろう。実感はとうていできないものの、この雪中行軍の道に迷っての彷徨がまさに“白い地獄”であったことは想像に難くない。
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この雪中行軍遭難事件に関しては、銅像近くにある銅像茶屋と、田茂木野というか幸畑にさらに本格的な資料館がある。悲惨な事件に思いを馳せるとともに、これらを訪れてみてふと感じたことは、これほど多くの犠牲を出しながら、知る限り幹部が誰も罰せられていない、ということだ。命令をする人が責任を取らない、すなわち、日本は、上からしか力が働かない二等辺暴力三角形で作られていると、とある思想家が評していたが、今に至るまでその構造は本質的に変わっていないような気がする。そんなことも感じた八甲田行であった。

2017年9月21日 (木)

旅と文学

作家の浅田次郎さんがJAL機内誌で綴っているエッセー『つばさよつばさ』は毎回楽しく読んでいる。氏は温泉とギャンブルが好きで、小説のための取材もあって、旅ネタが多い。浅田次郎さんに限らず、作家は旅が好きなようだ。旅をしながら題材を得たり構想を練るのかも知れないし、締め切りだとか次回作だとか、あるいは時には私事の、煩わしさからしばし離れて癒しの場としての旅が必要なのかも知れない。

 

『城の崎にて』は事故による傷の湯治でこの地に滞在した志賀直哉による古典的名作だと言われている。城崎温泉は知る人ぞ知る古くからの名湯のようだが、一般にはこの小説で一躍有名になった。私も一度くらいと、訪れてみた。ただ、私には温泉に対する造詣はなく、なかなかにおしゃれな駅と情緒ある街並みを見るにとどめ、資料館が好きなので、城崎文芸館に立ち寄る。ここで『城の崎にて』が収載されている『小僧の神様』(岩波文庫)を買った。短編集なのですぐに読める。

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城崎温泉には、志賀直哉はもとより、島崎藤村や武者小路実篤、司馬遼太郎など、多くの文人が訪れている。文芸館には「命短し恋せよ少女(おとめ)」とした「ゴンドラの唄」の作詞者である吉井勇の展示もあり、下記の彼の歌が紹介されていた。失意の中で城崎温泉に滞在したらしい。

曼荼羅湯の

名さえかしこしありがたき

仏の慈悲に浴むとおもえば

 

場所はかわるが、愛知県の渥美半島の先端にある伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡った際に、何だか妙に気になる島があった。どうみても小さい島なのだけれども、山の中腹にぽつんと灯台が佇み、海沿いの坂になった狭い地域に人家が密集している。住民のかたには大変失礼な言い方だが、「よくもこんな小さい島に住めるものだ」と感心しながら見ていると、島の裏半分には人家はなく、緑なす小高い丘と岩壁、小さくごつごつした細い岬があるのがわかった。
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この島は神島といい、周囲は3.9㎞で、住民は主として漁業を生業としている。愛知県の伊良湖岬の方がはるかに近いが、所属は鳥羽市となっている。小島だけれども、由緒ある神社もあり、伊良湖岬との間の伊良湖水道は伊勢湾の要衝でもある。軍事訓練に用いた監的哨もおかれていたようだ。

 

恥ずかしながら私は知らなかったのだが、実のところ、この島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった島である。いにしえには歌島とも称されていたらしく、小説では歌島となっている。デキ王子と呼ばれる場所もあるそうなので、熊野古道に多くある王子とも繋がっているのかも知れない。

 

三島由紀夫の『金閣寺』や『仮面の告白』などは若い時分に読んだことがあるが、『潮騒』は読んでいなかった。この小説は、今はもう死語となった感のある「純愛小説」で、柔らかい筆致での情景描写がふんだんになされている名作だと思った。三島由紀夫は、ギリシャの古典に着想を得て、俗気のないこの神島に滞在して作品を書いたという。『潮騒』は純愛小説なのだけれども、どこか官能的な匂いをも漂わせている、それは多分に、主人公である健康でみずみずしい肌を持った若い男女の禁欲的な情愛が逆にそれを醸し出しているのかも知れない、とまあ、柄にもない評論家的な言はこれでおいておく。

 

小説の中の一節に、心中した者に対して、「自分のことしか考えない勝手なやつらだ」と主人公の新治が思い巡らせる箇所がある。この小説を三島が書きおろしたのは1954年で、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入し、バルコニーから派手な激演説を試みたあげくに割腹と斬首という形で自死したのは1970年である。当時高校3年生だった私にとっても衝撃的な事件であった。盾の会を結成したいわば右翼人三島由紀夫とこの優しく清々しい『潮騒』を結びつけるのは容易ではない。

 

ともあれ、小説の舞台となった場所を訪れる、あるいは思い起こす、というのはやはり何がしかの感慨を覚える。実は、小説を読んでどうしても訪れてみたいところがあった。それは八甲田山である。峠越えの雪中行軍で199人が遭難死するという他にほとんど例のない悲惨な事故をもとに、新田次郎が『八甲田山死の彷徨』を書いており、高倉健や三國連太郎、北大路欣也らが主演する『八甲田山』として映画化もされている。いったいどんなところなのだろう、と思いつつ、ようやくにして機会を得た。以下、次稿に。

2017年9月12日 (火)

下北半島と舞鶴

本州の最北端である下北半島と、日本海に面する若狭湾につながる舞鶴、この遠く離れた二つの地点を結びつけて考えるというのは“牽強付会”に過ぎるかも知れない。だから、以下はあくまで私感による “双六”である。

 

やはりまずあげられるのは映画『飢餓海峡』だろう。北海道で放火殺人を犯した犯人と関わり、仲間割れから彼らを殺害した疑いの男(三國連太郎)が小舟で下北半島の先端の大間近くにある仏ヶ浦に渡り、そこから恐山を経て大湊へと向かい、釜臥山のふもとの娼婦と縁を持つ。最近にここを訪れた者としては、この移動は現実には不可能だと思うが、下北半島を暗く描き出し貧困の蔓延を背景にした、殺人犯を追う刑事(伴淳三郎)との人間ドラマだ。役者の予備知識なしにこの映画を若い人が観れば、伴淳三郎がコメディアンだったとは想像もできまい。
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消息を絶った殺人犯が、篤志家の会社経営者として現れるのが舞鶴で、会いたい一心で舞鶴に訪ねてきたかつての娼婦を殺害した事件を追う東舞鶴署の刑事が若き日の高倉健である。

 

この映画で出てくる鉄道は、大畑線と呼ばれ、かつて大湊から大畑まで走っていた。1930年代に人手不足からこの鉄道建設に多くの朝鮮半島出身者が駆り出されている。日本の敗戦により、彼らの帰還のため、3000人以上とも言われる朝鮮人労働者を乗船させて浮島丸が大湊を出港し、釜山に向かおうとしている。ところが、GHQによって舞鶴への寄港を指示され、その際に、戦争中アメリカ軍が舞鶴湾内に施設した機雷に触れて沈没し、500人以上の死亡者が出ている。戦争が終わった後も多くの悲劇が起こっているが、この浮島丸事件もそのひとつである。

 

良港であることから、大湊と舞鶴には共に海上自衛隊の基地がおかれている。大湊には艦船用の専用ドックがあり、また、定期的に掃海艇が集められ、陸奥湾で機雷などの掃海訓練を行うらしい。舞鶴はイージス艦の基地がある。余談ながら、レーダーを多く装備したハイテクの塊のような米軍のイージス艦が衝突事故で船体が大きく破損し死傷者を出していることに不思議に感じた人も多いだろう。これは、高速にするために装甲を薄くして船体を軽くしているからで、上空の索敵や攻撃にはやたら強くても、水平面や水中の潜水艦などの索敵には弱い。船同士の衝突も想定しておらず見張りでやるしかない。だから、イージス艦は多くの場合艦列を組み対潜哨戒機とセットになって運用がなされている。

 

さて、若手医師の教育に熱心な病院は多くあるが、私が特に敬意を抱いているのがかつての舞鶴市民病院である。内科系疾患は全て診る、すなわち、総合診療を実践し、“大リーガー医”と称してアメリカの教育実績のある医師に指導に携わってもらうというアイデアなどで、日本の若手医師教育のメッカであった。全国から意のある若者が門を叩き、ここで学んだ。行政のお粗末な対応もあって、それを推進していた医師が病院を去った途端に全ては潰えてしまった。

 

下北半島はというと、むつ総合病院が臨床研修制度で気を吐いている。舞鶴以上に、どう考えても地理的に有利な場所ではないのに、毎年、研修医が多く集まっている。医師が集まらないことを地理的な理由に帰して怠慢をかこっている病院は、この病院を見習うべきであろう。私が見るところ、これはひとえに先代の院長の医学教育への情熱の賜物である。是非にこれからもその魂を引き継いでいって欲しい。
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地理的に不利だったからこそ舞鶴と下北半島にこのような優れた指導者が生まれたのかも知れない。今回は地理的な点を話題として取り上げたが、歴史においても、糸をタテに結びヨコに結びつけてみることで、驚くほど多角的に、また立体的に見えてくるような気がしている。その中には偶然もあるだろうし必然もある。まさか坂本龍馬の暗殺者の話を大間で聞くとは思いもよらなかったが、これは会津藩という糸から出てくる。

 

今さら試験を受けるわけではないし、論文を書くわけでもない。そういう学びと楽しみは素人の特権で、ブログで皆さまと分かちあいつつ大いに享受していきたい。

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