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2020年6月 1日 (月)

賭け麻雀

賭け麻雀は常習賭博になるらしい。黒川弘務前高等検事長が新聞記者と賭け麻雀をやっていたということで、例によってメディアが叩きやすいところをとことん叩くという習性をいかんなく発揮している。

賭けのレートは点ピンというから、大勝ちすれば2、3万円、大負けしてもそのぐらいの額だ。普通はそこまで動かない。もうすっかり流行らなくなったと聞くが、大学生でもやる時はそのぐらいのレートでやっているだろう。インフレルールでやればもっと動くかも知れないが、それでも身上が倒れるというほどのことはない。これは大人の遊びの範囲ではないか。

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私も、もう40年近く前のこと、“はしかに罹った”かのごとく麻雀に熱中していたことがある。教師が保守的で上から目線の地方で、面白きこともなく高校生活を過ごしたので、進学してより、こんな面白い遊びがあるのかと、はまり込んだ。もちろん賭け麻雀だ。先の論からいけば私は賭博の常習者だったことになる。やったことがない人にはわからないだろうが、そもそも何も賭けない麻雀は面白くない。ツキか腕か、うまくこなしたゲームには何がしかの褒章が欲しいというのが人間の性だろう。

点数の数えかたすら忘れかけている今でも、機会があれば喜んで麻雀をやると思う。そのぐらい好きだったが、我がセンスのなさに嫌気がさし、また、仕事を抱えてそうそう思うようにできないまま足が遠のき、ここ30年くらいはほとんどやったことがない。

私はあまり知らないので語る資格はないのだが、身上を壊すという意味であれば、競馬、競艇、競輪、オートレースなどの方が、よほどリスクが高いのではないだろうか。こちらはギャンブルとして堂々と認められている。それでも足りないのか、カジノまで公認しようとしている。“聖人君子”のマスコミ諸子は是非こちらの構想を潰して欲しい。

『三たびの海峡』など多くの作品がある作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)こと、精神科医の森山成彬氏は「ギャンブル依存症」がいかにやっかいで、自分自身を苦しめ、家族を苦しめているかを伝え、その悲劇の軽減を訴えている。お金がなくなればやりようがないはずだが、あちこちからお金をかき集め、あるいは借金などをして、そうまでしてやりたい人もいる。どうしたらいいのか私にはわからないし、病気にしてしまうのもどうかと思うが、ともかく、ギャンブルには魔性が潜んでいることは確かだ。

高等検事長の麻雀については書いた通りだが、ネット報道によれば、送迎のタクシー代を記者に持ってもらっていたという。高い地位にあり強大な公権力を有しているわけで、事実であれば、それは好ましくない。

検事の強大な権力は冤罪の温床である。村木厚子元厚生労働省局長が5ヶ月も拘留され、無罪となった事件は今も記憶に新しい。この事件の場合は検事が逮捕されているが、現実には、強引な捜査で冤罪を作り、そのままになっている事件も数多いように思われる。

リクルート創業者の故江副浩正氏、ライブドア事件の堀江貴文氏などの有名人、さらに政治家、『検察に死の花束を捧ぐ』という書を遺して自殺した人もいるし、撚糸工連事件での横手文雄氏、リクルート事件に関連した元官房長官の故藤波孝生氏、ムネオハウスの鈴木宗男氏のことなど、どうもひっかかる。その手の書は結構読んだつもりだが、総じて、検察は脅しのような苛酷な取り調べと強引な調書作成をしようとしている。「それは違う」と調書を突っぱねたら勾留が長くなる。ひどい話だ。皆が異口同音に嘘をついているわけではあるまい。ちなみに、撚糸工連事件に関わった検事のひとりは、車を暴走させ、人をひき殺したあげく、居丈だけに開き直り、知る限りでは逮捕下での取り調べを受けていない。

ともあれ、検察は強大な権力にあぐらをかいて人権蹂躙をやり得る組織であることは確かだ。麻雀のことなど私にはどうでもいいが、社会は検察に厳しい目を向けていかねばならないと改めて強く思う。

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