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2020年6月 8日 (月)

横田滋さんの慟哭

横田滋さんは、奥様の早紀江さんと同じく、おそらく日本でもっとも有名な一般人のひとりだろう。愛娘のめぐみさんが拉致されるという、あのおぞましい悲劇さえなければ、市井の一家族、一夫婦として、普通の、そしてかけがえのない、幸せな日々を過ごしたはずだ。

その横田滋さんが6月5日午後2時57分に87歳で逝去された。どれだけ悔しく辛い思いであったか、私には表現する言葉もない。慟哭の半世紀に思いをはせ、涙が止まらなかった。

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翌6月6日の読売新聞「編集手帳」は、「たくや てつや おとうさん おかあさん もうすぐかえるよ まっててね めぐみ」という当時小学5年のめぐみさんが旅先から出した便りを紹介して哀悼の一文を捧げていた。この便りの2年後、1977年11月15日、新潟市内で下校中だった中学1年のめぐみさんは、まるで神かくしにでもあったように忽然と姿を消す。

理由も何も全くわからず、「いったいどうして」と、御夫妻は帰らぬ愛娘の行方を探して狂奔する。北朝鮮に拉致されたことが判明したのはそれから20年後のことだ。しかも生存していると。この時の御夫妻の衝撃と怒りはいかばかりだったろう。

「帰して」「おとうさん、おかあさんにあいたい」と、船中で、そしてかの国で、めぐみさんは繰り返し泣き叫んでいたという。「めぐみ、おとうさん、おかあさんがきっと助けてあげるからね」と大きな運動を起こしたのはそれからのことである。署名運動、広報活動、日本政府への請願、アメリカ政府への訴えなど、考えられること、やり得ることは全てされたのではないか。

2002年10月、当時の小泉政権と北朝鮮との交渉により、拉致被害者の一部が帰国を果たす。その中に横田めぐみさんの姿はなかった。めぐみさんは死去した、として遺骨の一部が渡されたが、鑑定により、別人だと判明している。

読売新聞の編集手帳子は、横田滋さんへの哀悼の一文を次の一節で結んでいる。全くその通りだ。

     日本海の向こうに人の心を持たない国がある

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