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2020年3月24日 (火)

西川渉氏への追悼

西川渉(にしかわわたる)と聞いても、多くの人はどういう人なのか全く分からないだろう。だが、航空業界、とりわけヘリコプター業界の役員クラスの人であれば絶対にその名を知っている業界の超有名人だ。

その西川渉さんが2020年2月16日に逝去された。氏のブログ『航空の現代』は「お気に入り」において欠かさず読んでいたのだが、更新がなくなり、体調が悪いのだろうかと思いつつ、そのままになっていた。久しぶりにアクセスして訃報を知った。一日のアクセスカウントが3000ぐらいあったそうだから相当に広く愛されたブログだ。

大腸がんを患い、手術を受け闘病しておられたし、1936年生まれで83歳ぐらいなので、仕方がないとも思う。しかし、それでも残念だ。

西川渉さんは、今では全国50ヶ所以上に基地がある日本のドクターヘリ事業の最も強力な推進者の一人である。業界に身をおき数々の役職を歴任した人でもあったが、何よりも特筆すべきはその高質な評論であろう。内外の航空関連誌に丹念に目を通し、現状の分析だけでなく、最先端を、そして歴史を、わかりやすく読みやすく解説し、時には厳しい批判、あるいは賛辞をも送っておられた。また、空の安全を常に気にかけ、結果的に最後の掲載となった2019年1月31日付けの記事は『<山岳飛行>その安全を確保するには』と題されたものであった。

1996年から続けられた記事はあまりにも膨大で、そのどれもが含蓄が深く、かいつまんで紹介することはとてもできない。それらから私がどれだけ学ばせて頂いたかわからない。「航空の現代」で検索すれば今でも一部を読むことができるので、是非に訪れてみて欲しい。

氏のように柔らかい筆致で流麗な文章を書くことは私にはとうていできないが、その都度、その都度に、写真や絵を折り込む手法は私も真似もどきをしている。前回の稿の地球がマスクをしている姿も西川氏のブログから拝借したものだ。「引用してもよい」と書いておられるのも有難かった。

航空分野だけでなく、野次馬之介、小言航兵衛などとシャレたニックネームで書評や時事についてユーモアのセンスあふれる記事も書いておられた。どこからどう持ってきたものか、戯画の数々はまことに面白い。下掲は、非効率でなる外国の政府の病院では患者も働かされると揶揄したもの。

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鳴り物入りで航空機の市場に参入するはずだった三菱重工業の国産ジェット機、MRJ、今はスペース・ジェットと名付けられているが、未だに商用機として承認が得られていない。西川氏は、開発集団を「学歴のある馬鹿」として、次のように批判している。少なくとも現時点ではその通りである。

航空機の開発には好奇心に富んだ独創性と冒険心が必要で、入学試験や入社試験の成績だけを追い求めてきたような連中に出来るはずがない。馬之介から見れば、いずれ絵に描いたワラの餅に終わるに違いない。

批判はしても航空機への愛情あふれる西川氏は、本当は国産MRJの成功を待ち望んでいたはずだ。翼の上にエンジンを置くという独創性と冒険性を実現させたホンダ・ジェットの成功には、病床にあってさぞ快哉を叫ばれたことだろう。

航空業界はがんじがらめの規制があり、頭のいい高学歴のエリートが馬鹿なことをしていると政治家や官庁を批判したものもあるが、実は西川渉氏自身も東京大学理学部の卒業生総代、つまり主席卒業である。御尊父も九州大学医学部卒の精神科医で、紀行文などもものしていた逸材だったようだが、そういうエリート臭は全くなかった。ただ、容貌は端正で、友人の医師が、“お公家さんみたいですね”と語っていた。私は本物のお公家さんを見たことはないが、そういうイメージ、という点では確かにそうで、うまいことを言う、といたく感心したものだ。

実は西川渉氏には何度もお会いしている。長崎で開かれた航空医学関連の勉強会では西川氏の講演の前座を務めさせて頂いた。私は格違いと開き直って好きなように喋らせて頂いたのだが、「現役の医師にこんな迫力ある話をされた後ではやりにくくて仕方がない、逃げ出したい思いだ」と苦笑しながら前ふりをして、素晴らしい話をされた。我が人生の数少ない光栄な思い出である。

在りし日の西川渉さんを偲んで、HPにあった写真を掲げておく。合掌。

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