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2019年7月 3日 (水)

西郷隆盛 その35 身分制度

西郷隆盛はいわゆる下級武士だと言われている。柔らかな語りとテレビ映りのいい爽やかなルックスから、タレントになったかのような歴史学者の磯田道史さんは、西郷は決して下級ではなかったとのべている。身分に相応して召し抱えの義務などもあり、上下に関わらず総じて武士は貧乏で、西郷も例外ではなかった。ともあれ、西郷隆盛が、家老など、生まれがいわゆる藩のトップクラスにはほど遠かったという受け止めで十分だろう。

江戸時代は士農工商という身分があったとされている。実際には農工商の線引きは曖昧であった。概ね総人口の1割以下であったと言われている武士にも、武士かどうか微妙な位置づけだった層もあり、薩摩のようにその割合が高かったところもある。有名どころでは坂本龍馬や伊藤博文など、商、あるいは農から、武士身分になった者もいるが、そういう移行が日常にあったわけではない。

武士は、特に上になるほど、家格というかガチガチの身分制度に縛られていた。大名はどうかというと、これも格づけされていて、参勤交代で登城した際の控えの間なども、かなり厳しく差別化されていたらしい。御三家、親藩、譜代、外様など、さらに、大納言とか中納言あるいは従四位とかは形の上では朝廷からの位階づけで、こういう何重もの格づけはまことにややこしい。石高の多い大藩ほど老中など政治中枢の役職に就けなかったというのも江戸幕府統治の知恵だったようだ。

将軍に拝謁できる旗本は概ね1万石以下の将軍家直轄の身分だが、石高が同じであっても拝謁できない御家人もいる。各藩にまたそれぞれに身分秩序があり、公家にも厳とした家格があった。重要なことは、それらが原則的に世襲であったということである。

つまり、好むと好まざるに関わらず、生まれにより決まってくるのである。1946年に公布された日本国憲法は、第十四条において、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めている。明治維新からこの文言を憲法に得るまで80年近くを要しているわけだ。ただし、皇位継承権のある皇族は例外である。

ちなみに、いわゆる明治憲法、大日本帝国憲法において国民は“臣民”であり、知る限り日本国憲法第十四条に謳われている内容に該当する条項はない。今ここで改憲の是非を論じる気はないが、統帥権問題など、大きな欠陥を内包した明治憲法は、改憲なきまま国家を惨めな崩壊に導いたことは知っておかねばならない。

天皇の神格化が図られ、華族、士族、平民の区別がなされたが、それでも、江戸時代のがんじがらめの身分制度は、明治維新において大きく崩壊した。これは極めて重要な変革であった。いかに西洋化が推し進められたとしても、江戸幕府のままではこれは果たせなかったであろう。

身分制度の変革の最大の象徴は、「賤民廃止令」である。士農工商の身分差別どころではない、社会の外と位置づけられていた“賤民”を社会の中においたわけである。今から考えると全く馬鹿げた話だが、江戸時代から明治への移行において、あえて「廃止令」を必要とするほど疎外された人々が現実にいた。それがどれほどのものであったか、未だに尾を引いていることから、推して知るべしだろう。

『明治維新と賤民廃止令』(上杉聰 解放出版社)という労作がある。高価で、ほとんど研究書に近いが、私にとって極めて衝撃的で貴重な学びであった。引っ越しの度に処分せざるを得ない書が多い中、この書は長く大切に保管している。明治維新の意義という点で、もう少し触れていきたい。

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