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2019年6月18日 (火)

西郷隆盛 その34 江藤新平

江藤新平と聞けば、士族の叛乱たる「佐賀の乱」の首謀者で、それに失敗し、西郷隆盛を頼って鹿児島に落ちのび、西郷に拒否され、土佐にわたってそこで逮捕され、佐賀に送られた後に斬首刑に処せられ、晒し首になった、というのが、事実でもあり、それだけが私の旧来のイメージであった。毛利敏彦氏の『明治六年政変』で描かれている留守政府で大活躍した江藤新平と同一人物だとはとうてい思えなかった。

それは今からもう30年近くも前のことだ。『明治六年政変』の中公新書版が出たのは1978年頃で、私が読んだのは1980年代後半のことだったと思う。江藤は、人権擁護、民権擁護の革新的政治家として描かれている。

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「これはいったいどういうことだろう」と、本業で多忙な時期ではあったが、以後、江藤新平に関する書を手当たり次第に読みあさった。江藤の郷里である佐賀の県立図書館にも足を運んで関連書籍に目を通した。

結論的には、この江藤新平こそは、明治維新を明治維新たらしめた最大級の立役者であり、近代日本の制度整備に大きな功績を残した、というのが、愕然とする思いからスタートして、ようやく辿り着いたところの私の理解である。江藤が心を砕いた身分差別の撤廃については稿を改めて記す。

全く別方面、憲法の関係から、大正時代には衆議院議長も務めた島田三郎に関心を抱き、調べ、書き溜めたことを記念的に書としてまとめたことがある。一般にはほとんど知られていないが、政治家としてよりも、歴史家、言論人として彼の評価は高い。拙著も学者には評価して頂き、Wikipediaには島田三郎の参考文献としてあげられている。その島田三郎は、若き日に江藤新平の謦咳に接しており、終生、この江藤新平を心の師として仰いでいた様子がある。

江藤は佐賀の貧しい武士の家に育ち、脱藩や蟄居の時代を経て、明治新政府の中枢であるところの太政官の中弁という立場に就いている。今なら官房副長官といったところだろうか。そして、岩倉使節団の一員として少し遅れて出発する命が下されており、彼も行きたかったことだろう。だが、これは内政が大変な状況にあるということで沙汰止みとなっている。

誰が江藤の洋行を止めたのだろうか。薩摩に度々帰るなど腰の落ち着かない西郷はそれまでは江藤との接点は少なかったはずで、おそらく彼ではない。この辺りを詳述している書を知らないので、ここに私の大胆な推測を書いておけば、これは太政大臣の三条実美(さねとみ)によるものである。三条は、江藤を高く評価していた一人だ。三条自身も洋行を勧められているが固辞している。

三条実美は上級公家であり、優柔不断、清廉で温厚篤実、そして“お飾り”的な政治家として語られてきた。それは事実であろうけれども、彼は文久2年八月十八日の政変の時には、長州に近い尊皇攘夷派の公家として、公武合体を叫ぶ朝廷の一部や薩摩を中心とする勢力によって京を放逐されている。これが「七卿落ち」である。これによって、長州、そして大宰府と、流転の憂き目に遭い、上級公家らしからぬ悲惨な境遇で何年にもわたって辛酸をなめている。この時に相当に鍛えられたのであろう。

三条実美は、1867年の「王政復古」で政治に復帰してよりは、議定、副総裁、右大臣、そして明治4年には太政大臣になっている。元来、ボトムアップ的な政治家であるが、東京遷都は、色々な人の提言、特に江藤新平の提言を受けて、トップダウン的に三条実美が決断したものと思われる。

大久保利通は大坂遷都論であったし、そもそも朝廷を京都から東京に移すわけだから、朝廷と新政府に睨みが効く人以外には決定できない。徳望のある、そして、硬骨な面もあった三条がこれを担ったのであろう。このことは近刊の好著『三条実美』(内藤一成 中公新書)に記されている。

ついでに記せば、廃藩置県も提唱者としては江藤新平がその一人であったことはほぼ確実である。このことは『大日本憲政史』に書かれている。江藤が決定できたはずはないので、節目において、そしてまた留守政府において太政大臣たる三条実美が重要な決断をしている可能性がある。江藤新平、副島種臣ら、そして、西郷隆盛、三条実美のラインはよほど相性がよかったのだろう。残念なことに、上記の『三条実美』には留守政府時代の記述がすっぽり抜けている。その時代、洋行組との約束などどこへやら、西郷隆盛が非常に重要な役割を担ったことは間違いないが、太政大臣たる三条の決裁は必要であったはずだ。

幕末・維新についてあれこれ学んでみて、小栗上野介忠順(享年40)、赤松小三郎(享年36)、江藤新平(享年40)は、「悲劇の三大偉人」だと私は勝手に心の中で思っている。彼らについて、知ることも、綴ることも、知的興奮を覚えることながら、反面、悲しくもある。

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