« 西郷隆盛 その32 岩倉使節団 | トップページ | 西郷隆盛 その33 留守政府 »

2019年5月21日 (火)

原発事故被災地の今

久しぶりに原発事故被災地の福島県相双地域を訪れる機会があった。かつて、大熊町での医療プロジェクトに関わり、震災前はここに足繁く通っていた。日照時間が長く、温暖で風光明媚な地であったが、それだけに悲惨な災害には声も出ない思いであった。立ち入ることすらできなくなり、ましてやプロジェクトの継続などできるはずもなく、私も立場を降り、すっかり足が遠のいていた。

大地震、大津波に加えて原発事故が起こったのは2011年3月11日だから、あの日から8年以上が経過した。筆舌に尽くし難い惨禍を経験したかたがたにとっては、もう8年なのか、まだ8年なのか、どちらにしても生涯決して癒えることはない傷跡だろう。

放射線量が高い帰還困難区域は次第に縮小されてきたとはいえ、まだまだ海沿いから山あいの地域にまで設定されている。あちこちに設置されているモニタリングポストだと0.2~2.27μSv/hと表示されていたが、帰還困難区域では年間50mSvを超えるという。大熊町はいまだ帰還困難区域である。図は福島県の発表資料より。

Photo_12

帰途に通った国道114号線沿いには、帰還できないまま放置せざるを得なかった家屋があり、本当に胸が痛む。どれほど懐かしの我が家に帰りたいことだろうか。

Photo_11

それでも、燭光はある。ひとつは、宮城県からいわき市までほぼ直線の高速道路が開通したことだ。浜通りの縦の移動はかつて随分時間を要したが、時間的には大幅な短縮となった。常磐線も、あと少しの区間を除いて開通している。双葉町のやまあいや富岡町には新しい家屋が多く建てられつつあった。帰還者はまだ多くはないようだが、この地区に流入する事業者が多くなれば、商業地としての活性化にはつながる。それは少しずつではあっても、帰還事業につながるだろう。

教育、医療、インフラの整備は帰還事業の要となるわけだが、医療に関して、今回見学させて頂いた新設の双葉医療センターは救急疾患にも対応できるようにヘリポートを併設しコンパクトによく整備されていた。これにより、必要に応じて、基幹病院のある福島市、郡山市、いわき市とも医療用ヘリコプターで迅速な移動が図れる。

Photo_13


双葉医療センターは県の付属施設として設けられ、私が長年にわたって尊敬してやまない非常に優れた医師がリーダーとして配置されていた。災害時にいち早く現地に赴いたひとりである。大変ではあろうけれども、期待を負うにこれ以上の人材はいない。彼の心意気にうたれる。

自然災害、人為災害と、起こった悲劇はどれほど嘆いても嘆き足りない。まさに痛恨の極みである。被災されたかたがたにとっては遅々たるものかも知れない。しかし、復興に向けて確かな力強い歩みが進められていることが今回の訪問で感じられ、非常に嬉しい思いであった。また再訪し、そのダイナミズムに触れていきたいと願っている。

« 西郷隆盛 その32 岩倉使節団 | トップページ | 西郷隆盛 その33 留守政府 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事