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2019年1月23日 (水)

西郷隆盛 その26 江戸から東京へ 新しい空間の創設その1

王政復古、戊辰戦争、江戸無血開城、廃藩置県などなど、それらが何年に起こった、何がどうしたこうした、というふうに年表式に簡潔に記述していけば整理しやすいし、我々が習った日本史というのは大体にしてそんなものだったと思う。ただ、それでは躍動感が失せて面白くない。今さら試験を受けるわけではないので、いささかの興奮を覚えながら、歴史を感じていきたいものだ。最近に『応仁の乱』がベストセラーになったりする現象も、覚える歴史ではなく、知る喜びで学ぶ歴史が多くの人に受け入れられてきたからだろう。

 

さて、戊辰戦争が一段落して、形として朝廷を軸とする新政府(太政官政府)は、京都から江戸、つまり新しい名前の東京に遷都する。簡略に記せばそうなのだが、これは大変複雑かつ大変な作業であった。

 

そもそも江戸という地名の発祥はあまり知られていない。江戸に限らず、例えば蝦夷地を北加伊道(太政官布告で北海道)と提案したのが今の三重県出身の松浦武四郎(1818-1888)だと知っている人は少ない。「江戸」も「北海道」も言葉が今の我々にあまりにもなじんでいるので、特に意識することがないわけだ。

 

太田道灌が江戸城築城を開始したのが1457年、徳川家康が江戸に入ったのが1590年と言われている。一般向けの冊子『大江戸の都市力』(洋泉社MOOK)によれば、地名としての江戸が確認できるのが1261年で、地名からとって名字とした江戸は1180年の資料にあると記されている。ということは、その前から「江戸」と呼称されていたわけだ。そもそもこの地域は、河川が多くあり、台地と湖沼、低地と平地の凸凹からなっていたという。居住の痕跡は縄文時代からあるらしい。今では想像もつかないが、日比谷あたりまで海から続く細い入江があった。

 

そうしてみると、水に恵まれているとはいえ、治水技術や橋梁技術、浄水の確保や下水処理方策がなければとうてい人口密集地にはなれない。鎌倉時代にもなされてはいたものの、利根川東遷など、大規模な水路変更、築堤、堰や用水路建設、埋め立てなど、それらを盛大に行って大都市にしたのが江戸時代であると言ってよいだろう。

 

ただ、それを家康が構想したかのように感じるのは多分に神話的伝説である。家康の江戸滞在はのべにして5年かそこらで、しかも当初は秀吉配下の一大名に過ぎなかった。どのみち一気にできるはずはなく、代々の将軍、特に初期の将軍達が勢いをつけ、戦乱のない時代、官僚化あるいは専門家と化した旗本などの幕臣が天下普請として地方大名を動員しながら脈々と整備を重ねてきたわけである。

 

先に掲げた『大江戸の都市力』では、筆者の一人の陣内秀信氏が、「江戸ほど自然の地形を活かした都市づくりをした例は、世界でも珍しいといえます」とのべている。一般書ながらいささか論文的だが、江戸の地形利用についてさらに詳しくは『江戸はこうして造られた』(鈴木理生 ちくま学芸文庫)という大変な労作がある。

 

幕末江戸の居住人口は100万で、その半数が武士、半数が町民だったという。ところが、400万石とも言われた徳川幕府は70万石に減らされ静岡に移封となってしまった。江戸は幕府の直轄領である。各藩の土地はあくまで幕府からあてがわれていたもので、上屋敷、中屋敷、下屋敷、倉などに分かれて広大な面積を有していた。中心部の面積の約7割が幕府や各藩の屋敷で占められていたようだ。それが、幕府の崩壊により、そっくり宙に浮いた、というか、あらかた新政府のものとなってしまったわけだ。ちなみに、残り3割は寺社地や町人地であった。
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幕末は京都が政局の中心になってしまったが、旧秩序でがんじがらめの京都に政権を担う新しい空間を創設することは難しく、大久保利通は大坂に遷都することを考えていたという。ところが、大坂は町人の街で、既得権に縛られて充分な空間が得られない。建設の資金もない。

 

ここに、中心となる城郭があり、周辺に広大な武家地のある江戸が、東の京、すなわち東京と改められ、そこに遷都することが決定されたわけである。京都と東京の二都論ではあったが、遷都の提唱と、「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」という詔書が出されるにいたった命名は東征大総督府軍監として江戸開城にも立ち会った佐賀出身の江藤新平である。遷都の最終的な決め手となったのは幕臣だった前島密の建白とも言われている。

 

江藤新平は、後年、切れ者として西郷隆盛の力強いパートナーとなっている。そのことについては先に記すとして、まずは、あまり語られてこなかった東京の新たな空間というのがどういうものであったか、次稿で紹介する。

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