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2018年12月30日 (日)

2018年歳末寸感

今年もあとわずかとなってしまった。私にとって2018年は特記するほどのこともなかったが、大病も事故もなく、とりあえず無事に過ごせたことは有難いとしみじみ感じる。

歳末おしつまった時に幕末維新のややこしい話でもなかろうと、今回はさっと書けるつれづれの寸感。

 

手帳

毎年、来年も無事に過ごせるだろうかと思いながら、年末に手帳を更新して予定などを書き入れている。スマホに入れておけばよさそうなものだが、私には手帳の方が使いやすい。その手帳を新幹線に置き忘れた時は蒼くなった。

大騒ぎするほどの予定があるわけではない。が、メモで安心して、頭においていないので、当面の予定の正確な日時がわからなくなってしまう。それに、隠し文字にしたパスワードの数々からゴルフのスコアまでメモしているので、誰かに見られたら大変だ。幸いに駅員が保管してくれていて、着払いで送ってもらって安堵した。

 

ゴーン氏逮捕

手帳の置き忘れは蒼くなったが、こちらは驚いた。高報酬のことはつとによく知られているわけで、何が何だか分からない。容疑があるとしても、そもそも逮捕して長期拘留をする必要があるのだろうか。村木事件の大失態の二の舞にならないか。

堀江貴文氏の時もそうだが、憶万長者の“逮捕”に快哉を叫ぶような風潮がある。これは絶対に誤っている。民間会社であれば、どれだけ高報酬であろうと、それは庶民の知ったことではない。逮捕はあくまで証拠隠滅や逃亡のおそれがある時の必要悪であって、容疑の段階で代用監獄とも言われている苛酷な扱いの留置場に入れるのは慎重にすべきだ。あれほどの有名人が逃げ隠れできるものか。逮捕が先取り刑罰化している現実には大いに異議を唱えたい。

酒に酔って夜に道に寝ていた人をはねたというほとんど不可抗力の交通事故でも運転手が逮捕されているが、逮捕ならではの情報が得られるとは思えない。痴漢容疑の人もそうだ。手が触れたとかで大騒ぎされて冤罪逮捕されたのではたまらない。満員電車で誰とも接触しないというのは不可能だ。世の淑女諸子には、男性はかなり恐怖していることを知っておいてもらいたい。ただし、本物の痴漢や犯罪的なストーカー、傷害や殺人などの容疑者は身柄を拘束してもらわないと、自らを守ることのできない者は枕を高くして眠れない。

 

日韓問題

以前にも触れたように、私はかつて日韓問題の小冊子をまとめる過程で韓国の歴史を学んだことがある。限られた時間の中で、一般にはまず知られていない朴正煕全集にまで目を通した。

その過程で、長い間独立が奪われていたにもかかわらず、また、朝鮮戦争で焦土と化した中から、見事に立ち上がり先進国となったことに深い敬意を抱いていた。その小冊子は、韓国の学者からも、在日韓国人からも高い評価を得て翻訳されて韓国で出版という栄に預かった。考えは今も変わっていないので、その意味では私は親韓派だ。

しかし、さすがに最近は、あきれ、ウンザリしている。韓国には「日本には何をやっても許される」という風潮があるそうだ。哨戒機への駆逐艦レーダーのロックオンはただただ論理のない開き直り。少女像だの徴用工だのの像をやたら立てるのが好きなようだが、あの像にどれほど芸術性があるのだろうか。少なくとも私にはそう思えない。どうであれ、あまりにもしつこく、不快だ。

前科のある日本のナショナリズムへの挑発は、また日本が誤った道に踏み出してしまわないかと、市井の一小市民として不安にかられてしまう。ヘイトで知られるように、日本にも過激グループが存在している。

悪は確かにあった。しかし、ひとつひとつのことがらへの対応はとうていできることではないので、日本は「過去の清算」として双方合意の上で既に莫大な支払いをしている。それを朴正煕元大統領が韓国の発展のために投資したことが「漢江の奇跡」の起動力のひとつになった。国民は少なくとも間接的にはその恩恵に預かったはずで、それが知らされていないとしたら、教育に大きな問題がある。これでは、日本の統治政策は他国の植民地政策とは異なった面もあったという歴史研究の深化は不可能だ。

それでも、そこを曲げて、実態にも議論のある慰安婦問題を、「もう終わりにしましょう」と改めて国家間の合意で念をおしたはずが、大統領が変わってあっさりと反故。北朝鮮という国が韓国でどのように知らされているのかも不思議だ。どちらの国も私にとってはdisgustingだ。

今をさる150年前のこと、明治新政府も、日韓問題というか日朝問題で悩まされた。小冊子で知識が増えたのち、西郷隆盛の“征韓論”なるものはいったい何だったのかと、一般書だけでなく、専門書まで漁ったことがあるので、いずれ紹介する。

 

喪中欠礼

12月になると「喪中欠礼」の挨拶状が多く届く。今年は特に多かった気がする。知己の多くが親や身内を亡くす世代だということもあるかも知れない。かく言う私もそうである。老母は97歳という天寿だったこともあって、「喪に服する」という殊勝な思いもなく、かと言って新年の挨拶というのもどうかと思案しているうちに、結局、「喪中欠礼」も「賀状」も出さないままになってしまった。ここに書いてもあまり意味ないとは思うが、非礼をお詫びしておきたい。

 

現在進行中のことがらへの批判的な論評は本ブログの趣旨ではないのであまり書かないが、今回は少し踏み込み過ぎたかも知れない。時には思いの吐露もお許し頂きたい。

来年が皆様にとってよき年になることを祈りつつ、本年最後の稿とさせて頂く。

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