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2018年11月 3日 (土)

西郷隆盛 その20 王政復古1

大河ドラマの『西郷どん』は既に明治に入り、本ブログの西郷隆盛シリーズは大きく抜き去られた。撮影も終了したという。さして観ているわけではないし参考にしているわけでもないのであまり関係ないが、私の四苦八苦をよそにややこしいところをさっとクリアしたようだ。

 

前回に「大政奉還」と「王政復古」は似て非なるものと表現した。徳川幕府が「大政奉還」として政権を返上するとすれば当然にして天皇と朝廷で、それはそのまま王政復古につながるはずだ。本来、屋上屋を架すごとくの言葉なのに、何が違うのか、ここはわかりにくい。

 

この点、書題そのままの『王政復古』(久住真也 講談社現代新書)に下記のような記述がある(太字引用)。

 

慶喜の大政奉還は、たしかに局面を一変させる大きな意味を持ち、周囲に与えた影響も大きかった。また、本書の冒頭でも記したように、大政奉還をもって「王政復古」の実現とする見方も当時は少なくなかった。しかし、政権は朝廷に移動しても、数えで十六歳という若年の天皇に代わり、摂政が政治を主宰する体制に変化はない。つまり、宮中での身分秩序の表現である空間には何も変化はなかったのである。

 

「宮中での身分秩序の表現である空間」というのはいい表現だと思うが、なじみがないとわかりにくい。私なりの理解は、身分の違いによって相互が近しく接することすらできないような構造では政治は遂行できないということだ。これを変えない限り実務は幕府の既存の秩序に依拠するほかはない。

 

朝廷とひと口に言っても、その内部は天皇を頂点として家格による厳しい身分秩序で縛られていた。天皇が大名と謁見するのは小御所で、それも天皇の座に御簾を垂らした上段と、中段および下段に分かれている。大名が入れたのは中段までで、下段は評議に用いられたようだ。天皇と公家が対面するのは御学問所で、天皇の居室は御常御殿とされており、ここに入ることができるのは将軍と後見職などそれに準ずる立場の人に限られたという。

 

大名が参内する際の場は、諸大夫間(しょだいぶのま)で、それも格によって、虎間、鶴間、桜間に分けられる。大名ですらそうだから、藩士は天皇に近づくことすら不可能であった。ところが、幕末期に忽然と「仮建(かりだて)」が鶴間の南側に現れる。そもそもは参内する大名のために増設されたもののようだが、ここが宮中作法から解放された場となり、藩士が入ることができるようになった。それまでは藩士は御所(皇居である禁裏御所)に入ることはできず、公家との接触も外でするほかはなかった。それが、「仮建」により空間的に結ばれた。『王政復古』ではそのように説明されている。

 

つまり、本来がんじがらめの宮中作法に、抜け道ができていたのである。そして色々ないきさつからやがて鶴間にも入るようになる。ともかくその頃に藩士が政治中枢に参画する素地ができたということだ。あくまで素地であって、藩士が朝廷を直接に動かせたわけではない。

 

公家とひとくちに言っても、家格があり門流がありまた一族とするものもあり、非常にややこしい。有名な岩倉具視を例にとれば、彼は家格としては羽林家と、さして高位ではないが、一族としては天皇系の村上源氏で、門流としては一条家である。もちろんそんなことが私にわかるはずはないので、これは『公家たちの幕末維新』(刑部芳則 中公新書)での記載の受け売りである。維新150年というのを私が特に意識することはないが、記念しての幕末維新書が売れ筋なのか、このような実証的で優れた一般書が多く発刊されていることは非常に有難い。

 

江戸時代は、公家、大名、武士、庶民、それぞれにがんじがらめの細かい身分制度があり、原則的に相互移行はなく、世襲が重んじられていた。意図してか結果としてか、明治維新の最大の意義のひとつは、これらを破壊したことにある。これは刻むべきあまりにも重いテーマなので、おいおい触れていきたい。

 

話を戻す。徳川慶喜は体政奉還をし、将軍位も返上するわけだが、佐々木克氏の『幕末史』には、大政奉還と慶喜の将軍職の辞職について、「しかし現実は、何も変わらなかった」と記されている。「朝廷との空間」には慶喜が座し外国との交渉も担い多くの武家集団のトップとしてやる気まんまんであったように見受けられる。このままでは知略と変転で矛先をうまくかわしていく慶喜の思うままである。

 

ここに武力示威による「王政復古」のクーデターが打開策として登場する。これを画策したのは中級公家である岩倉具視と、一藩士に過ぎない大久保利通が主だったと思われる。だからこそ公家の秩序を崩せたのである。シリーズのひとつとして具体的に何をやったかについて語ってみたい。

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