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2018年10月21日 (日)

惜しんであまりある一医師の死

過日、私が尊敬してやまなかった医師が逝去された。かいまに聞く病状から、難しそうだと思ってはいたが、まだ現職にあった68歳で、やはり何とも残念である。ようやくに念願叶い新病院がまさに落成せんとする時であり、さぞ心残りであっただろう。体調が許す限り酸素ボンベを携行して出勤しておられたという。

 

一医師の死と表現したが、救命救急センターを擁する規模の大きい病院の院長であり、また、数々の全国レベルの学会の要職を歴任した著名な小児科医であり、とても「一医師の死」ではないかも知れない。しかし、私の心の中では地位も名誉も関係ない。やはり「一医師」である。真摯に病児と向き合い、障害児を含めた小児のためのよき療養環境の整備を願い、尽力されたかたである。「是非に実現させたい」と、この夢を直接にお聞きしたことがある。

 

院長に就任された際、「あのようなかたに院長職の煩いをかけるのは全くもったいない」と心から思った。御本人も決して本意ではなかっただろう。院長就任後にも何度かお会いする機会があったが、それまでと全く変わらない態度で接して下さった。

 

今も、コンビニ受診の抑制、医師の疲弊問題だとかで喧しいが、もう20年以上も前のこと、救急関連の会で、「母親が子供の体調を心配するのは当然で、いくら受診してくれてもいい。24時間365日、我々は診療します」と壇上で公言されたことが心に残る。小児科ではないが、私も同じ志向で、ささやかな実践はしたつもりだが、ほぼ同世代と言ってよい私には、そこまで断言する胆力もそれを裏付ける実力もなかった。

 

それだとブラック病院、ブラック診療科になってしまうのではないかと心配するむきもあるかも知れない。しかし、そうならぬよう、医師5人体制だった小児科をなんと35人体制にまで整備された。

 

「救急をやると医師が集まらない」「若い医師は救急をいやがる」というのは大嘘で、それを如実に証明されたかたでもある。彼の哲学とその実践に惹かれ、現実として、多くの若き医師が集い、慕ってきたのである。しかも建て替えを必要とする老朽化した病院である。現場にいる人は現場で汗をかき、本来、管理職は体制整備で汗をかかねばならない。彼はその両者をやってのけた。

 

通夜の席で奥様が「家庭を全く顧みない夫でした」と語っておられた。時には腹立たしく寂しい思いをした反面、誇らしくも感じておられたのではないだろうか。

 

小児の死因の第一位は「不慮の事故」である。溺水や窒息、転落や交通事故などの外傷などがある。「不慮の事故」以外にも、死につながる血液系の疾患や先天性、腫瘍性の疾患、原因不明の突然死もある。医師にとっても、死というのは患者さんへの思いに加えて、敗北感、無力感にさいなまされるものだが、小児の死はことさらである。愛児の死に泣き崩れる親の姿を目にするのは辛かった。

 

小児救急、救命救急センターという性格上、多くの小児の死に接し、生死の線上にある重症の小児の診療にも数限りなく携わってこられたはずだ。その精神力も並大抵ではない。家庭でもいつも患児のことを気にかけておられたという。遺影はウィスキーグラスを手にして微笑んでいる姿だった。ささやかな癒しだったのだろうか。

 

「一医師の尽力」が地域にどれだけ安心感を与えたか図り知れない。実はこれは、小児の診療体制が弱い病院にとっても同じで、小児で困ればあの病院なら必ず診てくれる、というのは大きな安心であった。歴史は個人だけで作られるわけではないけれども、抜きんでた個人は大きな歴史を作る、そう思えてならない。

 

哀惜、哀悼の思いは尽きない。私など知己の末席にいただけのことだが、せめてもと、その思いを綴らせて頂いた。合掌。

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