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2018年7月12日 (木)

読み間違い雑感

サッカーの本田圭祐選手が、「清々しい(すがすがしい)」を「きよきよしい」と言い間違えたことが話題になっていた。(画像はWikipediaより)

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まあ、本人は赤面の思いだっただろうし、彼本来のカッコよさとは縁遠い話だが、「すがすがしい」という言葉を知らぬわけはあるまい。ついうっかり字面をそのまま読んでしまっただけのことだろう。クスッと笑ってそれで御仕舞にすればいい。

 

それにしても、外国は強い。欧州で活躍する選手も多い日本サッカーが相当に高レベルになってもこれだ。江戸時代は鎖国で独自の文化を発展させたと言えば聞こえがいいし、それはそれで事実でもあるが、引きこもって世界の田舎になっていただけとも言える。「攘夷」などできもしない相談で、幕末日本が外国に太刀打ちできなかったのは当然だろう。外国の凄さはその精神力だと思っている。日本に2点先行されながら3点を奪取して大逆転をしたベルギーには驚嘆してしまう。日本の方が格下とはいえ、技量的にはそんな大逆転をあっさり許してしまうほどの差はあるまい。

 

菅官房長官が枚方市を「まいかたし」と読んだらしい。「ひらかたし」だから、政権の中枢として随分恥ずかしい話だ、と大仰にあげつらいたいが、実は私自身、「ひらかた」と読むのは長い間知らず、知ったのはそう遠い話ではない。大阪にあまり縁がないと意外に知らない、あるいは、読みになじみがないのではなかろうか。

 

今回の豪雨は全くひどいものだったが、これは重い話なのでとりあえずおき、被災地域に、宍粟市があった。私は昨年に当地に行くまで「あなぐり」とばかり思い込んでいた。道路標識のローマ字で、「ん?」となって、「しそう」と読むというのを初めて知った。「栗(くり)」に似ているが、よく見れば「粟(あわ)」である。と言っても、 “あなあわ”と読むのではなく、あくまで「しそう」である。それに、勝手に思い込んでいただけのことで、「宍」は「穴」ではない。

 

宍粟市から養父市(やぶし)、但馬を通って日本海に抜けた時、「間人」という地名に目を白黒させた。はて、と思ったら、これは「たいざ」と読む。北海道や沖縄の地名が読みにくいのはよく知られているが、日本列島を旅してみて、本州も決して少なくないことを知った。

 

言い間違えは洋の東西を問わずあるようで、アメリカ大統領に関する報道をしていたアメリカ人記者が、「presidency(大統領職)」を「pregnancy(妊娠)」と言い間違えてニュース取り上げられたことがある。何を考えていたのかと視聴者は大爆笑したに違いない。

 

他人のことは言えない。私の失敗談は数々あるが、結婚式のスピーチでこともあろうに新郎の名前を間違えたことがある。看護学校の講義で、ウケ狙いでAKB48を出し、「AKBよんじゅうはち」と言ってしまった。後になってフォーティーエイトだと知った。こういう間違いをするのでは完璧にオッサンだ。ともに場の空気を固めてしまう大恥をかき、以来、かなり慎重になった。

 

キラキラネームもそうだが、人名などの固有名詞は難しい。西郷ゆかりの幕末薩摩の人名で言えば、島津下総は「しもうさ」なのか「しもふさ」と読むのか、どちらの解釈もあるようだ。赤山靱負は知らなければ「ゆきえ」とはまず読めないだろう。桂久武はさすがに素直に読める。が、この3人が実の兄弟だというのは名前からは絶対にわからない。

 

江戸時代は独特の家督制度があり、幼名、諱(いみな)、号、別名、変名などがあり、しかもそれらが変わったりしているから余計ややこしい。隆盛の名は明治になってからだし、利通も幕末ギリギリからだ。厳密を期せば語るに逐一注釈をしなければならないが、とてもそんなことはできない。

 

ちなみに、大久保利通は島津久光から名前を与えられてより大久保一蔵と名乗っていたが、大久保一翁と紛らわしい。一翁は、徳川幕府の要職にあり、勝海舟を引き立て、幕末、明治において多くの人の尊敬を集めたという。明治になってからも留守政府首班の西郷が彼の出仕を仰いだほどの大人物である。

 

気楽な話にと気楽に書き出して、結局こんな締めになってしまった。これも連想綴りが好きな生来の性(さが)のなせることと、お許し頂きたい。

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