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2018年3月13日 (火)

西郷隆盛 その7 孝明天皇

311日夜、NHK大河ドラマの『西郷どん』を初めて少し長くみた。ネタ元にしているわけではないが、ブームに便乗した気になってブログを書いているので、時には見ないと申し訳ない気もする。

 

この回の主役は篤姫で、島津斉彬の養女ながら実子として届けられ、形の上では薩摩と親しい公家近衛忠熈の養女として第13代将軍徳川家定(1824-1858)の継室(後妻で正室)となる。血筋から将軍になったものの、謁見した外交官の表現からは、家定は今でいうADHD(注意欠如多動性障害)に似た症状を呈している。天下泰平であれば老中などの幕閣による政務で問題なかったろうが、1853年、黒船来航直後に将軍の座についたわけで、朝廷との関係もあり、まさにトップの強力なリーダーシップが必要とされた時代であった。結局は実子のないまま34歳で亡くなり、その後継問題は井伊直弼による「安政の大獄」につながる大事件となっている。

 

ドラマでは、篤姫が海を見て鹿児島を懐かしむという場面があった。そういうのは史実調査からは出てこないので事実かどうかはわからないが、大規模な埋め立てがなされていない時代、江戸の薩摩藩邸は海に近く、いかにもありそうな話だ。脚本家の腕の見せ所だろう。

 

ちなみに、孝明天皇の異母妹の和宮は、幕府の攘夷実行を条件に、家定の次の第14代将軍徳川家茂(いえもち 1846-1866)に嫁いでいる。血筋が近い慶福(よしとみ のちの家茂)か、聡明でなる一橋慶喜か、の大騒動のあげくに、結局12歳かそこらの慶福が将軍となり、家茂と改名する。ところが、その家茂も20歳で亡くなった。将軍自体は2代続けて機能不全だったことになる。篤姫も和宮も若くして寡婦となったが、篤姫は家定亡きあとも薩摩には戻らず、天璋院として徳川家のために尽くしている。

 

さて、江戸期最後の天皇である孝明天皇は紛れもなく頑迷な攘夷主義者であった。といっても、1831年生まれなので、1846年に践祚、1847年に即位の礼を行なった当時にあっても、16歳ぐらいであり、少なくとも当初においては深い意味での攘夷だったわけではなく、「自分の代でこの神国日本が外国に汚されるのは認められない」という、いわば非常に単純な思いだったようだ。それでも、朝廷において長年関白を務め当初は開国主義であった鷹司政通の説得も効をなさなかったという。

 

「外国船を打ち払っておかなければ、彼らが海から京都に攻め上ってくる」というまことしやかな脅しの話も朝廷にはあったようで、恐れを抱いていたのかも知れない。ところが、この孝明天皇の「攘夷」が幕末のさらなる大混乱を引き起こす。

 

外国船など迷惑この上ないわけで、江戸幕府もできるものなら打ち払いたかった。でも、それはできない相談だというのがよく分かっていたのである。1825年に「外国船打ち払い令」を出し、それが効なしと悟ると、懐柔策として1842年に「薪水給与令」を出した。「困れば必要な支援はするからそうそうに引き取って下さい」としたわけだ。出没する外国船に右往左往させられたものの、武力衝突も起こしており、決して何もしなかったわけではない。

 

琉球を経由して黒船のペリーが来航したのが1853年である。威風堂々とした上から目線で「来年また来る」と予告したペリーに、「いよいよ逃れられなくなった」と幕府はさぞ怖れをなしたことだろう。
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「攘夷は無理な話で、開国は避けられない」として、1854年、幕府はついに日米和親条約締結に踏み切る。さらには勅許を得ることができないまま1857年に日米修好通商条約を締結し、ついでイギリス、フランスなどとも条約を締結していく。以後は猛烈な勢いで西洋文明の導入に努め、使節団を海外に派遣し、お雇い外国人をも多く擁するようになっている。外国も領事館をおき外交官が滞在した。幕府もアメリカの担保を取り複数国を相手にすることで一国による植民地化を防いだようなところがある。

 

ところが、京都に近い兵庫の開港が1863年に約束されるなど、相当に踏み込んだ内容の日米修好通商条約は孝明天皇の激に触れ、あくまで勅許を拒否し、反幕派の人たちにとって絶好の幕府攻撃の口実となっていった。天皇という存在は大きく、基本的には親幕府であった孝明天皇の思惑をはるかに越えて幕府の政体への強烈なカウンターパンチとなる。

 

光格天皇が口火を切った朝廷の復権、孝明天皇の攘夷に関する強硬姿勢、将軍のリーダーシップなき弱体化の幕府、が相乗的に作用したと言えるだろう。「安政の大獄」にも次期将軍を巡る勅語がからんでおり、幕府の弱体化のこともあわせ、稿を改める。

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