« 西郷隆盛 その5 朝廷と幕府の権威逆転の萌芽 | トップページ | 宇宙の話はどこにいった »

2018年2月25日 (日)

西郷隆盛 その6 天皇に関する横道にそれた論考

光格天皇は生前退位をしており、継いで天皇になったのは第4子の仁孝天皇(1800-1846 在位1817-1846)である。仁孝天皇は歴史を作った親と子の間にあって影が薄い印象だが、光格天皇が腐心した朝廷の教育機関を学習所として創設(復活)することに尽力し武家伝奏(朝廷と幕府との橋渡し役)を通じて幕府の許可を得ている。この事業は孝明天皇に引き継がれ学習院として創設された。名前からわかるように、これは今の学習院大学の前身で、正式には明治10年に学習院大学として発足している。

 

仁孝天皇の第4子が、江戸時代最後の天皇である孝明天皇(1831-1867 在位1846 -1867)だ。画像はWikipediaから。
Photo

こういうことを書いていると、「あなたは天皇家オタクなのか」と言われそうだが、それは全くそうではない。Wikipediaや複数の書を参照しながら私なりに咀嚼して書いているだけで、そもそもこの方面の知識など微々たるものだ。だが、明治維新を語る上で、天皇の存在は避けて通れないのである。もしかして、それを意外に思う人もいるかも知れない。

 

なぜあまり語られなかったかというと、明治維新以降、戦前、つまり1945年に至るまで、天皇は神聖視、いわゆる「神聖ニシテ侵スベカラズ」とされており、語ること自体が“畏れ多い”ことで、タブー視されてきたということがあげられる。不敬罪もあったし、刑罰としては死刑しかなかった大逆罪というとんでもない刑法もあった。

 

戦後、つまり1945年以降はというと、反動からか、いわゆるマルクス主義歴史学者なる人達が席捲し、ブルジョア革命だのプロレタリア革命など、彼ら独自の歴史観を構築している。その際、明治期の天皇絶対制を強調するあまり江戸期の天皇は論考の枠外になりがちで、結果、その果たした役割を閑却してきたということもあげられるであろう。比較的最近になって、1980年代ぐらいから、ようやく自由闊達な論が展開されるようになってきたように思われる。

 

ここでちょっと触れておくと、私自身は、一国民として、今上陛下を国の象徴として敬い、日本は紛れもなく立憲君主国家であり、天皇は政治に関わらない儀礼君主だと断じて憚らない、という立場だ。“日本独自”にこだわる人はどうか知らないが、世界的に見れば間違いなくそうである。英語で書けば、Constitutional Monarchyだ。

 

君主制での君主の権力や富はさまざまだが、そもそもの憲法の起こりは、継承を明確にし、君主(王)にどういう制約を課すか、ということにある。現在の日本の場合は、天皇は政治には関わらない、従って政治責任も負わない、ということで明確だ。江戸時代の朝廷が似ているというのは以前に書いた。

 

今のフランスやドイツ、アメリカは、王、いわゆる君主を持たない共和制である。イギリスは明文憲法を持たない君主制である。これらの国を対比させると非常に面白い。

 

フランスは王がいたが、革命で殺してしまった。その後一時期ナポレオンの独裁などを経て、現在の共和制に至っている。アメリカは先住民族を移民が淘汰したという国の成り立ちからしてそもそも王が出現する余地はなく、独立戦争(1775-1783)で君主国イギリスの支配を拒否している。イギリスはというと、いわゆるピューリタン革命で1649年に王を処刑したものの、結果、クロムウェルの独裁につながり、王政を廃したからといって国の運営は決してうまくいかないと悟り、短期で王を復活させたといういきさつがある。

 

海を隔てたお隣の李氏朝鮮は君主制で、明治維新の頃に実権を持っていたのが高宗の実父の興宣大院君(こうせんだいいんくん)で、頑として明治新政府を認めず在留日本人に危害を加え排斥しようとした。これが西郷隆盛自ら礼節を尽くして朝鮮に赴いて話をまとめようとしたゆえんである。後年、朝鮮の君主制を潰したのは日本だ。

 

さて、立憲君主制度の意義を明快に論じた人として、イギリスの思想家、エドマンド・バーク(1729-1797)があげられる。私の理解においては、王というのは人為的におかれたものではなく、自然発生的に長く継承されたもので、その尊重は国家としてのまとまりに大きな意義があり、国民は王個人というよりも、王がまとう荘厳な法衣に服従するというものだ。王は国民のしもべでもあるとのべている。

 

難しい話はさておいても、世界どんなところにも王がいたし、今も続いている国が多い。人間社会の習性がそうなっていると素直に受け止めていいのではないだろうか。

 

どういう体制を取るかというのはその国の人々が決めることだが、立憲君主制というのは決してゆえなき制度ではないのである。日本は立憲君主国として今は安定しているが、将来を考えるとすれば、それは血統主義で規定される皇位継承権のある範囲の人々、すなわち皇族の人権問題であろう。公務としての国事行為や天皇家の行事が多くあり、品格の維持という不文律の義務がある一方、国民が普遍的に有する自由や権利が制限されているからである。

 

話が横道にそれ過ぎてしまった。次回は孝明天皇に戻す。

« 西郷隆盛 その5 朝廷と幕府の権威逆転の萌芽 | トップページ | 宇宙の話はどこにいった »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事