« 灯台 | トップページ | 幸せの黄色いハンカチ »

2017年8月22日 (火)

「道の駅おびら鰊番屋」で目にしたもの

北海道のルートとして、留萌から稚内の一般道、通称「オロロンライン」を走って見ることにした。山が迫った沿岸道路にてさぞカーブが多いかと思いきや、さしたるカーブもなく走りやすい実に素晴らしい道路であった。

 

留萌市からしばらく走ったところに小平(おびら)町があり、ここには「道の駅おびら鰊番屋」の案内があって、鰊(にしん)、番屋、ヤン衆といった言葉は知ってはいても、詳しくは知らなかったので、休憩もかねて立ち寄ってみた。

 

番屋というのは鰊漁に携わるヤン衆が寝泊まりするところで、また、捕れた鰊を加工するところでもあった。番屋というにはあまりにもおおがかりな旧花田家の木造の建物が今も残されている。
Photo

ここでにしんそばを食べたが、実に美味しかった。ただ、小骨が多く、本来そんなに食べやすい魚ではないので、そばや食材で消費する分には、また、移送を考えれば大量に捕っても仕方ないだろうに、という疑問があった。それが、保存されている番屋の内部を見学して疑問が氷解した。加工した鰊は肥料として極めて良質かつ高価なものであり、船で全国に送られ、元締めは御殿が建つほどに巨大な富を築いたという。

 

どういうわけか鰊は昭和30年代に忽然と姿を消し「あれから鰊はどこに行ったやら」と北原ミレイさんの『石狩挽歌』にも歌われている。その昔は海に棒が立つぐらい鰊の大群が沖合に押し寄せ浜は大賑わいだったようだ。

 

道の駅の道路を隔てた海側には、「平和への祈り」と記された記念碑が建っている。なぜどうしてここに、と不思議であった。
Photo_2

これも、すぐそばにある「三船遭難慰霊之碑」に記された一文を見て氷解した。既に日本が降伏した後に、樺太からの三隻の引き揚げ船が卑怯かつ無法極まりないソ連の潜水艦に撃沈され、1700人以上もの無辜の民が犠牲になったのである。それがまさにこの沖合、1945822日のことであった。日本は自らの暴走の果てに残虐な相手に無防備をさらけ出すことになったと言ってもいい。「遭難」と表現しているのは日本人の美徳としての節度であろう。
Photo_3

 

今回の旅では、舞鶴引揚記念館も訪れてみた。そのことは稿を改めて記したい。

« 灯台 | トップページ | 幸せの黄色いハンカチ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事