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2017年7月 3日 (月)

植村直己冒険館

兵庫県豊岡市にある植村直己冒険館を再訪した。以前に訪れたのは20年も前のことだろうか。今回、冒険館前に設置してあったパネルは記憶がないので、多分その後に作られたものだろう。
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植村直己は、日本人として初めてエベレストの山頂に立ち、五大陸最高峰を登頂している人なので、登山家として超一流であったことは間違いない。アマゾン川の筏での川下りや犬ぞりを使った北極圏の走破などもあり、直前にフォークランド紛争で潰えたものの、南極にもチャレンジしようとしており、冒険家、探検家とも称されている。
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御本人は著述家だとは微塵も思っていなかっただろうが、実のところ、著作も結構ある。私は若い時から植村直己ファンで、手に取れた限りは全部読んだ。おりおりの便りにイラストをそえたものは作品としても一級品だと思う。それだけに、19842月、43歳の誕生日を迎えたばかりの日に、厳冬期のマッキンレーで登頂後に消息を絶ったという報道には長く沈鬱な思いが拭えなかった。もちろん望みはないのだけれども、生あらば、今は76歳である。

 

私流に表現すれば、植村直己は「偉大なるチャレンジャー」だ。探検しようとか、あえて危険な場所に赴こうとか、はたまた歴史を作ろうとか、そういうのは二の次で、「こういうことをやってみたい」が高じてその積み重ねがこの足跡を残したのではないかと感じる。それだけの能力があり、実現に向けての段取りは相当に周到である。エベレストの単独はさすがに無理だったし、チャレンジの費用の捻出やスポンサーの獲得には苦闘を余儀なくされているが、「孤高の人」加藤文太郎に憧れていたということもあって、自分の勝手な思いにできるだけ他の人を巻き込みたくないという思いが単独行を多くしたのではないかと思う。

 

冒険館には植村が登山の時に背負っていた重さのリュックがおいてあり、私も背負ってみた。相当に重く、私では平地ですら数百mも歩けないだろう。登山家にとっては当たり前のことであっても、その凄さの一端を感じる思いであった。

 

植村直己は3000㎞の距離を肌で知るために稚内から鹿児島までほんの小手調べで歩いている。私はと言えば、九州を発って、あちこち立ち寄りながらジグザグに走って弘前にいる今、走行距離は3500㎞になった。これは普通の人にはとても歩けるようなものではない。車で高速道路か舗装道路だから安全走行に徹すればどうということはないはずだが、それでも、事前調査不足にて、これは“悪夢”か、とでもいいたくなるようなお笑い種の“冒険”がひとつあった。次回はそれを紹介したい。

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