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2017年7月14日 (金)

見るのはいいが、入っちゃなんねえ

これは網走刑務所のキャッチコピーである。思わずふき出してしまう。といっても本物の内部を見ることはできず、「博物館網走監獄」のことだ。

 

網走というと、重罪者の刑務所があるところ、ということでよく知られている。網走番外地という意味では、最果ての薄汚いところ、というイメージかも知れない。私もそうだったのだが、聞くと見るとでは大違いで、網走は、オホーツク海と湖に囲まれた緑多き綺麗な街だ。いかにも寒そうな気もするが、意外にそうでもなく、道東では最も寒暖の差が少なく、気候的には比較的おだやかなところらしい。それと、今は重罪者だけを収監しているわけではない。

 

博物館があるというのは知っていたので、好奇心で行ってみた。話のネタにちょっと見るつもりだったのだが、さっと見るというのはとてもではないが無理で、広い敷地に、明治時代の建物が移設してあり、その歴史や獄中生活、エピソードなどなど、全部詳しく見ていけば軽く半日は費やしてしまうぐらいの本格的なものだ。刑務所を博物館として残している例は世界的にもほとんどないという。

http://www.kangoku.jp/exhibition_facility_list.html
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収容されている相部屋の様子やなかなか迫力ある入浴の様子も蝋人形でリアルに示されている。こういうところを「ムショ」と呼んでいて、私もてっきり刑務所の略語だと思い込んでいたが、そうではなく、主食が麦64の割合というのが由来らしい。
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入る時も出る時もこの橋を通ったという鏡橋もあり、裏門もそのまま移設されている。高倉健もこれを通ったのだろうか。いや、それは映画の中の話。
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展示してある資料によれば、明治の元老山縣有朋は、「堪へ難キノ労苦ヲ与へ」と記していたようで、実際、囚人に対して人権無視の苛酷な労働が課せられていたようだ。その一つが、網走と北見を結ぶ道路の建設で、労役にあたった1115名中186人が死亡したという。網走に移される前は標茶に収容されていて、そこでは硫黄山の硫黄採掘に使役され、数百人の命が失われている。この硫黄山は摩周湖の近くにあって今は観光スポットになっており、私も訪れてみたが、今でも、黄色く割れた岩肌から硫黄臭のガスが噴き出している。
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ちなみに、明治5年に公布された監獄則には、「獄ハ人ヲ仁愛スル所以ニシテ人ヲ残虐スル者ニ非ス」と緒言に記されている。謀略に近い形で殺された初代司法卿江藤新平と、ほぼ同世代ながら長く権力の座にあった山縣有朋との人権意識は大きく異なっている。

 

もちろん、そういう小難しいことを考える必要はない。昔このような監獄があり、囚人が収監され、こういう生活を送っていた、と知るだけでもいいのではないかと思う。外国人も含め、多くの人がこの博物館を訪れていた。土産店もあり、「出所せんべい」など、なかなかに面白い品揃えがある。これはこれで単純に楽しめるだろう。

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