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2017年5月 8日 (月)

ごみ捨て難民

以前にも書いたように、難民というのは、そのように認定される必要があるが、そもそも内乱や政治的、宗教的迫害などの理由から国外に逃れる人達をさす言葉だ。本来あまりいい言葉ではないけれども、口に出しやすい語感もあって、色々と転用されている。買い物難民、介護難民、お寺難民などなど、枚挙にいとまがない。

 

かつて私は坂の中途にある段々型のマンションに住んでいた。静かで見晴らしはよかったものの、エレベーターもなく車が横付けできず、外にある階段の上り下りが必要。ふと、これではいずれ間違いなく“買い物難民”なってしまう、と蒼くなり、あれこれ探してようやく平地に居を移した。売り買いに肝を冷やしたものの、無事済んだ時はいたく安堵した。

 

介護も、幸いにして長くみてくれる施設に老母が入れてもらえたからよかったようなものの、当初在宅で面倒を見ていた姉が限界になり、ようやく入所できた老健も長くはおれないので、一歩間違えば、という思いは強くある。姉には「施設にお願いするのがいいのではないか」と重ね伝えてはいたのだが、感情としてそうそう簡単に割り切れなかったのかも知れない。私に介護などできそうにもないが、適切な施設がなくもし頑張ってやったとしたら生活が大きく制約されることになったであろう。“介護難民”も他人事ではない。

 

今まさに味わっているのが“ごみ捨て難民”だ。施設への訪問で月に2回程度、誰もいない実家に帰省し、その都度、1日か長ければ3日ぐらい滞在する。さしたる量ではないにせよ、その間、どうしてもごみやペットボトルなどが溜まってしまう。ごみの回収は分別して平日の朝の限られた時間帯にそれぞれ出さなければならないのだが、滞在は週末が多いので、それがなかなか難しい。

 

この難しさは私だけではないようで、コンビニや駅のごみ箱には、「家庭ごみを捨てないで下さい」と書いてあるにも関わらず、捨てる人が後を絶たない。高速道路のパーキングエリアも同様だ。
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マナー違反だ、けしからぬことだ、と切って捨てるのは易いが、一人暮らしの場合はごみ捨ては頭が痛い。山間部には「ごみの不法投棄は犯罪です」と大書されているところも多くある。悪質な産廃業者対策かも知れないが、一般人でも、人けのない場所や空き地にこっそり捨ててしまうということもあるのだろう。先般には、こともあろうに清掃課の市職員が不法投棄で逮捕されたという報道があった。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017050100694&g=soc

 

実家にある我が隠れ家で長年使って調子が悪くなった小さい冷蔵庫の廃棄が必要になった。どうしようかとあれこれ思案し、結局、電気店に持ち込んで安くはないお金を払って処分した。それは仕方ないけれども、小さくても結構重くて、高齢者ではとても動かせない代物だ。

 

ゴミ屋敷の住人のことが巷間しばしば話題になる。思うに、捨てそびれた、面倒になって、というのがズルズル溜まって、相当な量になってしまい感覚がマヒ、あるいは自力で対処できなくなって、というケースも少なからずあるのではないだろうか。特に独居の高齢者がそうなってしまうというのは容易に想像できるような気がする。

 

行政の、分別ごみ出し、限られた時間帯のごみ出しも、正論である。しかし、不便をかこっている住民が少なくない現状、正論をかざしての実質的なサービス低下だと感じる。救いをどこかに用意してもらえないものか。

 

いっそのこと、コンビニに有料でのごみ捨ての管理を委託するというシステムはどうだろうか。家庭ごみの持ち込みに業を煮やしているコンビニにも、ひとつのビジネスと割り切ってもらう。大流行の100円コーヒーの原価が45円だそうだから、例えば可燃ごみ大袋50円とか。もちろん、コンビニでなくとも、システムがあればいい。“ごみ捨て難民”の私は必ず利用するであろう。

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