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2017年1月 9日 (月)

『九十歳。何がめでたい』

これは、佐藤愛子さんの近刊のエッセイー集のタイトル。「確かにそれはそうだけど」と表題からして笑ってしまう。大ベストセラーになっているようで、直木賞作家で波乱万丈の人生を歩んだ人が今さらこわいものなしで毒舌をふるっているわけだから面白いはずだ。私はというと、実は買っていない。九十歳を越えた人にわざわざ印税を進呈する必要もあるまいと、45回の立ち読みであらかた読んだ。難聴のくだりもまさしく御意ではあった。立ち読みはけしからぬことだが、個人としては書店に相当貢献しているつもりなのでお許し頂こう。
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それにしても、あのように面白く短く綴れる才が羨ましい。私はどうしても長く生硬になってしまう。辞書にはこの言葉は「態度・表現などが、未熟でかたい感じがすること」とあり、まさにその通りだ。ことこれに関しては自分で感心するぐらいよく自覚している。

 

私の母親は大正1011日生まれなので、今年で96歳になった。よく「お元気ですか?」と尋ねられるが、日野原重明先生や佐藤愛子さんならいざ知らず、普通は元気なわけはない。かろうじて車椅子で食事が摂れる程度だし、ここのところ私のこともわからないようで会話も成り立たない。頭がしっかりしていて体も元気ならそれが一番いいに違いないが、不老不死の人はいないわけで、バランスよく老いているのは神の情けを頂いたような気もする。

 

老母は施設にお願いしているので、キーパーソンの私は説明を受けたり書類へのサインなどがあって度々帰省しているが、弟は盆や年末年始程度。お互い離れたところにいて疎遠になっているので「家族という病」は起こりようがないのは気が楽だ。年に何度か会う機会があるのは、生ある母親と郷里が取り持ってくれる縁だと有り難く感じる。一緒に訪れたものの、二人とも優しく忍耐強く語りかける能力が欠落しているので、はたからすれば何とも不細工な面会に見えただろう。

 

彼は学者への道は頓挫したものの、素粒子物理を専攻し今も何がしか関連した仕事をしているようなので、私の付け刃的知識を色々とぶつけてみる。これは実に面白い。

 

「アインシュタインの特殊相対性理論は高校数学で解けるが、一般相対性理論は素人はサジを投げた方がいい」「解を出すというものではないので、シュレディンガー方程式が示すところは理解できるはずだ」「ハイゼンベルクとシュレディンガーは違う道筋で結局同じことを言ったことになる」「ハイゼンベルグの不確定性原理の理解はまずは大学の教科書から取りついた方がいい」「量子もつれは実験的に確かめられている。ただ、なぜそうなるのかはまだ誰もわかっていない。局在性と非局在性という問題になる」というような話だった。それについてアインシュタインのEPRパラドックスの論文はどうなんだ、と投げかけてみると、一瞬、なぜそんな言葉を知っている、という表情になった。こういうのは楽しい。光は質量がないのにブラックホールに吸い込まれるというのはどういうわけだ?と尋ねると、「静止質量はゼロだけれども、光子は光速で動いていてエネルギーを持っている、すなわち質量があるわけで、説明としては空間が曲がるでも吸い込まれるでもどちらでも構わない」という解説であった。

 

ここまで書いて、『九十歳。何がめでたい』を切り口に老母のボケを語ったまではいいが、その後に結局こんな話になってしまうのがまさしく我が悪癖と気づく。後から書いても仕方ないが、上のフレーズは興味がない人にはスルーしてもらうほかない。

 

この年始、長女が孫を連れてやって来た。私の年賀状を見て、「干支の酉はニワトリなのに、どうしてインコがネタなのか」と聞くから、あの写真には、絵のトリと、ノゾキのトリがいて、これで「ニワトリ」だ、とやったら大いにウケていた。

 

評論的なことを書けばどうしても引用が必要だし、自分が好きな領域のことになってしまう。私事を書けば引用は要らないが、やはりそういうのはいささか気恥ずかしく居心地が悪い。今回は私事に触れたが、今年も、あれこれ自分が楽しみながら、好きなスタイルでやってみようと思っている。気楽に読み飛ばしながら御笑覧頂けたら幸いである。

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