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2016年5月28日 (土)

『小磐梯』

今さらながら、磐梯山はやはり雄大だ。猪苗代湖畔から見る姿は美人型の成層火山だが、どちらかといえば、噴火の跡を生々しく物語る裏磐梯からの荒々しい山容に魅せられる。何度も訪れ、写真もたくさん撮ったはずなのだが、行くとどうしてもカメラを向けてしまう。桧原湖や五色沼などの湖沼とあわせ、福島でも最も人気の観光スポットのひとつとなっていることもうなずける。
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今回は福島から米沢に行き、吾妻連峰の西側を縦断する形で走ってみた。このルートは喜多方から桧原を通って最短距離で米沢に抜けるいわゆる“米沢街道”だったらしい。車だとどうということはないが、昔時の移動は大変だっただろう。車が通れる道路を整備するのも難事業だったとのことで、途中の峠に記念碑が建立されている。

 

裏磐梯には意外に早く着き、時間もあったので、磐梯山噴火記念館に行ってみた。下手な紹介をするより、まずはHPを見てもらった方が早い。

http://www.bandaimuse.jp/

 

館内の記事から、明治21年、1888年の噴火を題材に取った『小磐梯』という小説を井上靖氏が著していることを知った。早速にアマゾンで注文。短編なのですぐに読める。

 

『小磐梯』は、おそらくは被災者からの聞き書きや記録を題材にして、噴火の前後を一人称で語っている小説だ。明治21年、噴火前の裏磐梯一帯は磐梯高原とでも言うような場所であり、川沿いに複数の村落が散在していたようだ。桧が密生していたため桧原と称されたという。主人公は測量のために喜多方からこの地域に赴いた際、715日朝に噴火に遭遇し、空も見えない粉塵の中をまさに無我夢中で道を走って逃げ九死に一生を得ている。同宿、同行の人々、村落の人々など、477人もの犠牲者が出ている。小説には、さらに、少なくとも、氏名不明の若い男女、氏名不明の蒲鉾商人の3人も犠牲者につけ加えねばならぬと記されている。

 

この噴火により、磐梯山、櫛ヶ峰、赤埴山とともに4つの峰のひとつのピークをなしていた小磐梯山が崩落し、いわゆる岩屑なだれ、あるいはラハールと呼ばれる土石流により磐梯高原は埋め尽くされてしまう。この時に川が堰き止められて今の桧原湖や五色沼が作られている。溶岩の流出はなく、小磐梯の山頂を吹き飛ばすほどの激甚な水蒸気噴火である。「こんなことは今の時代には起こるまい」とつい思ってしまいそうになるが、たかだか130年かそこら前の話だから、地球の歴史で言えばつい昨日起こったぐらいのものだ。冒頭に掲げた写真が物語るように、峰のひとつをなす山体がゴッソリ吹き飛んでしまったわけだから、その時の恐怖は想像を絶する。地元の子供達が噴火の際に「ブン抜ゲンダラ、ブン抜ゲロ」と囃していたと記されているが、まさに「ブン抜ける」という表現がぴったりくるような凄まじさであったに違いない。

 

湖面穏やかな桧原湖の湖底には、埋もれた村落とともに、多くの犠牲者が今も眠っている。『小磐梯』は、「恐らく一生、私は裏磐梯一帯の地へは足を踏み入れる気にはなれないだろうと思います」という主人公の言葉で結ばれている。裏磐梯はやはり素晴らしい景勝地だが、このような悲劇が “昨日”起こった地でもある。この地に限らず、我々を愛しんでくれる自然は、時に牙を向けてくるということもある、ということを改めて認識させられた裏磐梯行であった。

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