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2016年3月12日 (土)

石川啄木のこと

 

函館の青柳町こそかなしけれ

友の恋歌

矢ぐるまの花

 

という、啄木晩年の歌集『一握の砂』に収載されている歌がある。
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一昨年、初めて函館を訪れ、公園にある歌碑をみてきた。昔時とは随分さま変わりしているのだろうけど、啄木が滞在した青柳町というのは家が軒を連ねるように密集して建っているという印象だ。

 

啄木はいわゆる玄人好みの歌人ではないかも知れない。しかし、事実として、多くの人にその歌が愛され心に残っている。元整形外科医で作家の故渡辺淳一氏は、啄木の歌には「酩酊感」があると表現し、苦労して作ったという汗が感じられずさらりと詠んでいるように思えると評している。確かにその通りだ。38日の読売新聞に、今は帰化して日本人となった日本文学研究者のドナルド・キーン氏が長年にわたって啄木の短歌を愛し、評伝『石川啄木』を出版したことが報じられていた。

 

冒頭に掲げた歌は、わずか4ヶ月あまりしか住んでいない青柳町を啄木が詠んだもので、難しいことを考えなくても、言葉のリズム感よくスッと胸に落ちる。この歌がなかったらあえて函館に行ってみたいとは思わなかっただろう。

 

矢車草かヤグルマギクか、そこに本当に咲いていたかどうかは、実のところあまり問題ではない。啄木はその時その時の心証を短歌という言葉に写していると私は思っている。啄木の心の中には確かに咲いていて、友と語り合ったホロ苦く懐かしい青柳町がそこにあったのである。

 

函館にはよほど思い入れがあったのだろう、次のような歌も残している。

 

函館のかの焼跡を去りし夜の

こころ残りを

今も残しつ

 

啄木の私生活はというと、まあ、無茶苦茶だ。借金をしながらの放蕩は決して褒められたことではない。26才で早逝した天才歌人の一面は、夢想家であり生活破綻者であった。

 

そんな啄木の最期を看取った若山牧水は、

 

初夏の曇りの底に桜咲き居り

おとろへはてて

君死ににけり

 

と詠んでいる。啄木の死は413日のことで、牧水の思いとその情景が目に浮かぶ名作だと思う。牧水もまた破天荒な人生で夭折している。

 

啄木には何かおさえきれない鬱屈した情感が終生心の底にあったに違いない。人々の琴線に触れる作品は、彼の、所作には負と出た情感のなせるわざなのだろう。情感がなければ詩歌は決して生まれることはない。しかし、優しい詩を多く残したかの金子みすゞも、幼子を遺して自ら命を絶っている。彼女の心のうちははかりしれないけれど、放蕩以上に酷な所作だ。

 

先にあげたドナルド・キーン氏は、「矛盾に満ちた愛すべき啄木」と表現し、「啄木はみにくいもの、恥ずかしいものを歌った」と語っている。キーン氏の言を待つまでもなく、啄木が心の葛藤に苦しみ続けていたことは確かである。

 

友われに飯を与へき

その友に背きし我の

性のかなしさ

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