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2016年3月23日 (水)

うしろすがたのしぐれてゆくか

Photo

FacebookFB)はあまり熱心ではないが、見ることは見ている。冒頭の写真は雀の生態観察にはまっている年配の知人のFBにあった写真。すこし雨模様だったらしく、なかなか雰囲気が出ている。

 

これをして、

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

 

とコメントしたら、「四等か?」とかえってきた。最初は「ん?」と、意味がわからない。しばし考えて、作者の種田山頭火(さんとうか)にかけて、「三等か」というほどのコメントではないが、四等ぐらいやろう、というかの翁独特のレスだとようやく理解。

 

それでおいておけばFBならではのチョイ笑ってお仕舞い、でよかったのだが、「チュンしてもひとり」と自分で悦に入って余計な句を付け足したのがいけなかった。「せきをしてもひとり」をパロっただけなのだが、これをして山頭火だと思い込んでいる雰囲気を察してか、「そちらは放哉ですよ」と。確かにその通りで、思わず赤面。著書多数で博識の医界の大先達はこれだから困る、というか、さすがというべきか。

 

山頭火と並び称される自由律俳句の尾崎放哉(ほうさい)を知ってはいたが、詳しく見てなかったからこんな恥をかいた。そこで早速、好きな作家である故吉村昭さんの放哉を描いた評伝的小説『海も暮れきる』(講談社文庫)を読む。放哉の生き様がまことに興味深く描かれている。

 

1885年(明治18年)に鳥取県で生まれた放哉は、当時としてはエリート中の超エリートである第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業して将来を嘱望されて保険会社に勤めるも、酒癖がたたってか職責が全うできず、妻とも別離して極貧生活の中で句作に打ち込む。小豆島の粗末な庵が、周囲の人にさんざんな迷惑をかけ肺結核に侵された放哉の終焉の地である。有名な「せきをしてもひとり」はその中で生まれた。小豆島の記念館には遠からず訪れてみようと思っている。

 

かたや山頭火は1882年の生まれだから、放哉より少し年長である。中退とはいえ、早稲田大学に入学している。混同の言い訳だが、時代もほぼ同じだし、自由律俳句、酒への耽溺、仏門、妻との別離、放浪、孤独、庵が終の棲家、は放哉と共通している。といっても、山頭火はまさに放浪だが、放哉はどちらかと言えば流転と表現した方がよさそうだ。ちなみに、山頭火は桜や月が好きで、放哉は海が好きだったらしい。

 

自由律俳句というのは五・七・五の定型にとらわれず、季語もなく非定型に詠む句だ。概して定型の俳句より短く、削りに削って凝縮させなければならないので、印象的なものを作るのは簡単なようで難しい。作者の生き様、息づかいを感じながら鑑賞した方がいいかも知れない。

 

山頭火は『行乞記』の冒頭にはリズム感あふれる素晴らしい散文を書いているので、やはり才があるのだろう。でなければ今にしてなおこれだけ多くのファンがいるはずがない。放哉も句の一字一語に敏感で、だからこそ、他者の作品を必要以上に酷評して顰蹙を買ったのかも知れない。放哉の散文については知らないが、彼はこれにはあまり重きをおいていなかったようだ。手紙はお金の無心で媚びたものが多いこともあって、とてもではないが、いい文章だとは思えない。ただし、これらは句作をしたことがない私の勝手な解釈である。詳しく知りたいかたは、関係書は多くあるし、二人について『放哉と山頭火』(渡辺利夫 ちくま文庫)と題された書も出ているので参照あれ。こちらも今回にあわせ読んだ。きっかけを作ってくれた御隠居には感謝である。

 

それにしても、スズメがさしたる思索をしているとは思えないが、案外、普段の群れからはずれて、もの思いに耽ることもあるのかも知れない、と感じさせてくれた一枚の写真であった。

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