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2015年3月25日 (水)

米朝さんありがとう、そしてさようなら

桂米朝さんが319日に亡くなった。もっと長生きして欲しかったと言えば、「かんにんしてぇ~な。わては89歳でっせ。もう十分や」ときっとおっしゃるだろう。芸術とも言える話芸、落語の数々の名演を遺し、落語研究にも携わり、弟子も育成し、人間国宝になり文化勲章にも輝いたし、酒を相当飲んで、好きなタバコも喫いたいだけ喫って往ったのだから大往生と言っていい。『米朝よもやま噺』(桂米朝 朝日新聞社)によれば、若い時は、55歳までしか生きられないだろうと思っていたそうだ。その分、エネルギッシュに多くのことに取り組んだのかも知れない。章典には恬淡な人だったと思うけれども、天皇陛下からの親授はやはり嬉しかっただろう。それに値する人だ。

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ずっと以前、仲間を車に乗せて走った時、退屈だろうからと米朝さんの「持参金」をテープで流したら、車内は大爆笑の渦だった。難しい理屈はさておいて、米朝さんの場合は単純に噺にすっとのっていけるし、語りに品格がありながら、とにかく面白い。全く汗のにおいのしない、聴いていて疲れない話芸だ。しかし、才もさることながら、陰に相当な努力と考察があったことは間違いない。

 

桂三枝、今は桂文枝を襲名しているが、彼の噺も汗のにおいがしない。彼の新作落語がどうして生まれるかをテレビ番組で特集していたが、やはり裏ではいわば苦しみぬいて創作しているようだ。そうであっても、一旦高座にあがればそれを客に感じさせることはない。その桂文枝さんも米朝さんから多くを学んだという。多分そうだろうと感じる。米朝さんは「落語家は時事ネタに敏感でなければならない」と言っておられるが、文枝さんはそれを地でいっている。

 

米朝さんの「はてなの茶碗」は高座で直接に聴いたことがある。私が思うに、落語というのは道徳をしょってないのがいい。人間の持つ欲やずるさをあけすけにさらし出し、それを笑いに包んで毒を消してしまう。「はてなの茶碗」はそういう噺のひとつの典型だろう。一人で演じるこういう芸術は世界にはちょっとないのではなかろうか。「饅頭こわい」は多くの落語家が演じ、よく知られた噺だが、私の知る範囲ではやはり米朝さんのものが白眉だ。

 

あれこれ書くよりも、落語はとにかく自分で聴いて、好きだと思えばそれでいいし、合わないと思えばそれでもいいと思う。私にしても、米朝さんは大好きだし、8代目雷門助六も強く印象に残っているが、世間で高い評価だった落語家の寄席に足を運んで、二度と聴きたくない、と感じた人もいる。

 

今はインターネットの時代、違法なのかどうなのかは知らないが、米朝さんや文枝さんの落語もYouTubeに結構多くアップしてある。私は申し訳ないような気がして、お気に入りの噺はCDを買っているが、聴いてみようと思えば現実としてネットで聴ける。気が向けばお楽しみあれ。

 

改めて、米朝さんありがとう、そしてさようなら、これからも折に触れて楽しませて頂きます、と書いておこう。

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