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2015年3月17日 (火)

宇宙のかなたのヒミコ

星が輝く夜空を見上げながら、ボンヤリか一生懸命かはともかくとして、あの向こうはどうなっているのだろうか、というのは誰しも考えたことがあるのではないだろうか。もしかしたら神話のロマンにひたったり、あるいは、はるかかなたの遠い夜空の星になったという故人に思いをはせる人もいるかも知れない。

私はと言えば、一体宇宙はどうなっているのだろうかと、相変わらずムダに知ろうとしている。ムダというのは、最先端の科学をもってしてもわかっていないことが多いのを知りながら、なおかつ本を買い込んで、わかっているところですら理解がはるかに及ばない話を楽しんでいるからだ。おかげで知っている言葉だけはやたら増えた。こういうのを耳年増というのだろう。

最近に読んだ一つは近刊の『宇宙はどうして始まったのか』(松原隆彦 光文社新1
書)で、この書のまえがきには、「宇宙に魅力がある理由は、それが謎に包まれていることにもあります」とえらく率直に書かれていて、宇宙の謎がすべて解き明かされてしまったらかえってつまらないとし、「宇宙の始まりについての謎はあまりにも深く、そのような心配は一切ないので逆に安心して下さい」と著者はその点は自信満々だ。この本は「素粒子論を宇宙に応用する」とか、「素粒子論と宇宙論が交差するところ」という説明の小見出しがあって、少なくとも素粒子論に泣かされている私には非常に面白く読めた本である。ともあれ、超ミクロと超マクロには深い関係がある。そもそも宇宙は超ミクロから始まったというのが一つの説である。


宇宙に始まりがあれば、その果てもあるはずで、『宇宙の果てはどうなっているのか? 謎の古代天体ヒミコに挑む』(大内正己 宝島社)に展開されている論もこれまた面白い。130億光年かなたの謎の天体を著者が発見し、これを「ヒミコ」と名付けている。よく知られているように、卑弥呼は3世紀頃の邪馬台国の謎の女王だ。亡くなってすぐに魂が出発したとしても、光速の1千万倍以上のスピードで時間を逆行して移動しないと今の時代に見てもらえるようにここには着けない。魂に質量があるかどうかは知らない。しかし、いかに魂といえども光速は超えられないはずだが、空間の膨張という概念を使えばない話ではない。そんなことを考えていくとわけがわからなくなってしまう。卑弥呼が亡くなった時は、壮大なスケールからすれば、ヒミコからの光が長い旅をして地球にようやく近づいたぐらいのものだろうか。今現在のヒミコがどこにいてどうなっているか、誰も知る由がない。

もちろん著者はそんなことではなく、折角に日本人が「すばる天体望遠鏡」で発見したのだからと、謎の女王卑弥呼になぞらえてこの謎の星雲をヒミコと命名したわけだ。著者は観測系の気鋭の天文学者で生真面目風ではあるが、天体望遠鏡の使用順番待ちの話だとか、晴れることを願ってテルテル坊主を吊るしたら、そんな首つり人形は気持ちが悪いと外国人学者に言われたりとか、面白いエピソードも書かれている。ちなみに、ヒミコは天候が悪く観測をあきらめていた矢先の奇跡の3時間の晴れ間に見つけたらしい。発見というのはえてしてそんなものかも知れない。

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宇宙が誕生してわずか8億年後にできたというヒミコがどういう天体なのかはまだよく分かっていない。55千光年の幅があるので、この時期としては珍しいと思える巨大銀河か、ブラックホールを取り囲む星雲か、はたまた他の何かか、これはこれからの研究を待つほかない。発見後の緻密な観測から、どうもヒミコは下記のような姿をしているようだ。本稿のむすびとして掲げておく。なお、上記にあげた本の表紙の図はさらに想像を膨らませて描いたヒミコの像だ。

Pia17558

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%9F%E3%82%B3_(%E5%A4%A9%E4%BD%93)

 

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