« 福島市内からの山の眺望 | トップページ | あの日から4年 »

2015年2月27日 (金)

『そうだったのか! 朝鮮半島』

表題は集英社から出版された池上彰さんの近刊だ。1800円と高いということもあって、本屋の書棚をチラチラ見ながら、チョロっと立ち読みしながら、しばし購入を見送っていた。しかし、何度か逡巡したあげく、結局買ってしまった。

Photo_3
反日だとか嫌韓だとかの話はさておいて、日本と朝鮮半島の現代史(主として1945年以後)でまずは何が起こったのかを知ろう、という本の趣旨通り、実に正確、かつ総括的、網羅的、そして、読みやすくわかりやすいように書かれており、さすがは池上彰さんだとつくづく思った。日本の統治時代に上海に亡命政府があったのは知っていたが、重慶に移されていたというのは知らず、他にも多くの新しいことを知ることができた。池上さんは解説者というかジャーナリストとして、イスラムからヒッグス粒子まで非常に広い範囲を扱っているのに、どうして朝鮮半島に関してここまで詳しく把握できたのか不思議に感じる。しかし、筆調は池上さんのそれだし、スタッフの何らかのサポートはあるにせよ、ゴーストライターを使うとは思えないので、御自身が書かれたのであろう。

 

それで、日本の敗戦、すなわちようやくにして日本の統治が終わりを告げた時の朝鮮半島の悲惨な政治的状況には改めて胸が痛む。筋金入りの抗日運動家で人格的にも多くの人々の尊敬を受けていた呂運亨、安在鴻など、当時働き盛りの年齢にあった非常に優れた人材がいながら、秩序構築、すなわち自らの力で自らの国家を再建するだけの時間的余裕がなく、彼らが夢見た朝鮮人民共和国は幻に終わってしまった。アメリカとソ連という強者同士の前約束によって38度線で統治体制が分かれ、それぞれが後ろ盾になった人物が実権を握り、呂運亨は暗殺された。

 

その朝鮮半島を襲ったさらなる悲劇が朝鮮戦争だ。安在鴻はこの時に北朝鮮に拉致されて消息が絶えている。朝鮮戦争について、池上さんは、ブルース・カミングス氏の著作を引用しているが、私はカミングス氏の論にはかなり違和感を覚えたことがある。朝鮮戦争についてはやはり神谷不二氏の『朝鮮戦争』(中公文庫)が当時にして非常に勇気ある名著として光っているのではないだろうか。どうせならこちらも引用資料にして欲しかった気がする。あと、巻末の資料に、とうていその論が引用に値しないような人の名前があった。読むだけ時間のムダという類のものもあったが、まずはともかく目を通す、というのが彼の立場なのだろう。滑稽な論は滑稽な論として引用して紹介している。萩原遼氏の引用の仕方は誤解を招くかも知れないとちょっと気になった。彼は赤旗の平壌特派員時代はともかく、いや、そうだったからこそなのだろうが、北朝鮮を厳しく批判している人である。池上氏の解説は正確なので、だからと言って本書が貶められるようなことはなく、挙げている資料以外にも多く目を通しているか、本質を見抜く力量というかセンスがあるため批判的に読みこなせ、悪影響を受けることがないのだと思われる。なお、李佑泓氏の共和国シリーズの著作が参考資料にあげられて文中に引用もされているが、政治論を抜きとして北朝鮮という国をこれほどわかりやすく解説した書は他に類をみない。

 

少し余談になる。先日亡くなったドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏の『荒れ野の40年』は世界的に高い評価を受けた名演説だが、1990年の盧泰愚大統領の日本の国会での演説も、それに劣らないほどの名演説だったと私は今でも思っている。この素晴らしい演説に衝撃を受け、無知を恥じ、演説の行間の意をも理解しようと、当時は本業が多忙で非常に限られた時間ではあったが、夜間学部のある大学の図書館で週一度、遅くまで資料を渉猟したことが今も懐かしく思い起される。少しずつ書きためたことをまとめて「演説から学ぶ日本と朝鮮半島」と題して自家製本の小冊子にしたところ、大統領の演説を取り上げたということもあったのであろう、領事館を通じて韓国の学者が冊子を徹底的に検証してくれ、「非常に正確である」とお墨付きをくれた。冊子を読んで下さった在日韓国人のかたがたからもお便りを頂き、また、立派な装丁になって韓国で翻訳出版までなされたことは本当に嬉しく光栄な思い出だ。この時に盧泰愚氏は「過去の暗い時代、わが民族が味わったさらに大きな苦痛と試練、その想像に耐え難い悲劇をいま、この席でお話する必要はございません。今日、われわれは国家を守ることができなかった自らを反省するのみであり、過去を振り返ってだれかをとがめたり、恨んだりしようとは思いません」と静かに語りかけている。ヘイトスピーチを煽るかのような露骨な反日よりもこの言葉の方がよほど堪える。

 

『そうだったのか! 朝鮮半島』での池上さんのモチーフの一つは、反日のルーツがどこにあるか、ということだ。これについて引用すると長くなるので、関心のあるかたは本書を読んで欲しい。本書は1945年以後のことなのであえて触れなかったのだろうが、私見としては、反日のルーツは1945年以後の政治家にあるのではなく、やはり1910年の韓国併合あるいはそれに至る一連の出来事が主であるように思う。韓国併合条約に、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本皇帝陛下に譲与す」という今の時代からは考えられないような文言がある。以後、抗日運動や吉野作造、石橋湛山などの日本の良識派の諫言も空しく、当時の日本の政治権力者の無謀による1945年の惨めな敗戦に至るまで、独立の機会が奪われたままであった。さまざまな理由で1945年以前から日本に居住し日本での生活の基盤を得ていた朝鮮半島出身者は、「権利としての国籍選択」が付与されぬまま、敗戦後は突然に外国人にされてしまった。これも大きな汚点のひとつだと私は考えている。

 

そのようなことを語っていくと長くなるし、ここで政治論を展開する気はなく、私見の押しつけをする気もないので、深入りは避ける。ともあれ、相互理解は、あるいはそれぞれの考え方の構築は、何が起こったのかということをできるだけ正確に知ることから始まることは確かだろう。その意味で、『そうだったのか! 朝鮮半島』は多くの人に手に取って欲しいお勧めの書である。

« 福島市内からの山の眺望 | トップページ | あの日から4年 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事