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2015年1月17日 (土)

『なぜヘリコプターを使わないのか』

6000人以上もの犠牲者を出し、近代的な巨大都市が一瞬にして機能不全に陥った阪神淡路大震災が起こってもう20年が経つ。高速道路が飴細工のようにグニャグニャとなり、鉄道の線路もひん曲り駅が壊滅し、大火災が発生した記憶は今も生々しい。117日は追悼式典もとり行われ、悲劇は語り尽くせぬとしても、多くの報道がなされている。

 

Xこの大災害の後、1996年に出版された『なぜヘリコプターを使わないのか』(西川渉 中央書院)は、ヘリコプター(以後、ヘリと略称)に関して当代随一と言ってよいほどの名航空評論家西川渉さんの手によるもので、全くその通りだと、溜飲が下がる思いであった。自宅には蔵書というほどのことができる収容場所がないので、本の多くは折々に廃棄せざるを得ないのだが、この書は今も大切に保管している。

 

大震災が起きた1995年当時、日本は既に世界第3位のヘリ保有国であった。だから、救援のヘリは来なくても、上空には報道のヘリがところ狭しと飛び回っていたのである。ヘリのパイロットの多くは、指令さえあれば、降りるところさえ確保してくれたら、我々にできることが多くあるのにとさぞ悔しい思いがしたであろう。

 

この悲劇以前は、日本の防災対策は風水害が主であって、行政も多様な災害に対しての意識が希薄だったように思う。ずっと以前のこと、医師会や消防、警察、自衛隊などが出席しての行政区の地震災害訓練の打ち合わせで、「課長はやむを得ない所用にて」というよくある紋切型のその下の担当者の挨拶に、当時はまだ血の気が多かったこともあって「住民の命を守る災害訓練以上に重要な所用とは何か」とカンカンになって難詰したことがある。後日、役所のお偉いさんが平謝りにやってきた。今は変わったはずだが、当時の意識としてはその程度であった。

 

西川さんの痛烈な批判もあり、阪神淡路大震災の悲劇を教訓として、ヘリの災害活用が積極的になされるようになったことは大きな進歩だと思う。今では全国50ヶ所ぐらいに配備されたドクターヘリの導入もこれが一つの契機であった。東日本大震災では孤立した建物の屋上に果敢に自衛隊ヘリが着陸して救助にあたったことも記憶に新しい。昨年の御嶽山でも自衛隊ヘリが活躍した。ただし、あれは相当に困難なミッションだったはずだ。タービンエンジンは火山灰に弱く、また、山岳地のこととて気流が悪く霧や雲で視界が遮られるところもあったであろう。高地でもあり、峡谷での失速も怖い。噴石もいつ飛んでくるかわからず、火山灰の吹き上げにも注意せねばならない。地上に下手に近づけばダウンウォッシュで被災者や救助者を吹き飛ばしてしまう可能性がある。神経の遣いかたは半端ではなかったはずで、パイロットの使命感には本当に頭が下がる思いであった。

 

ヘリを安全かつ効果的に活用するためには、指令を出す人がその特性を熟知していることが必要だ。概して権限を有している人にはそれが欠けている。それはやむを得ないので、災害の際には専門家をすぐに指揮所に張り付けるということも必要だ。御嶽山の場合はヘリのミッションは全て自衛隊が取り仕切ったか、あるいは相当に能力のある人が張り付いていたのだろう。でなければああはできない。テレビで見る限りは、前後に大きなローターのあるタンデム型の大型ヘリCH47、いわゆるチヌークと、多目的使用が可能な中型ヘリUH60、ブラックホークを使い分けているように思えた。ひとくちにヘリと言っても、偵察用の小型ヘリ、医療用の小型あるいは中型であっても小さいヘリ、輸送用の大型ヘリまでさまざまだ。散水や重量物の運搬を得意とする、ヘリとは思えないような変わった形のヘリまで世界にはある。それぞれに得意不得意、長所と欠点があるので使い分けが必要だ。ヘリには限界もあり決して万能ではないが、非常に有効な手段であることは確かだ。

 

『なぜヘリコプターを使わないのか』はもう絶版になっていて入手は難しいだろう。しかし、ヘリにまつわってそういうこともあったと知りおき頂ければ幸いである。

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