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2014年11月19日 (水)

『近藤先生、「がんは放置」で本当にいいんですか?』その5 むすびとして

高倉健さんが亡くなった。悪性リンパ腫ということなのでがんではあるが、この疾患の病経過はさまざまなので詳細は全く分からない。比較的最近に年齢を感じさせない颯爽とした姿をテレビで見たような気がするが、83歳、次回作の準備中だったそうなので彼にとって健康寿命を生ききったと言えるだろう。最期まで格好いい人だ。主演作もさることながら、『飢餓海峡』(1965年作品)での青臭い脇役も妙に心に残る。

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それにつけても、人間の死亡率は100%であることを改めて感じる。がんにならなかったところで、脳出血、心筋梗塞、肺炎など、死因となる病気は数多くあり、いずれは誰しもどれかでこの世に分かれを告げねばならない。私などいかにも往生ぎわが悪そうだが、自覚しておけば少しはマシかも知れない。

 

がんになった時にどうするかということについては、個々人によってさまざまだろうと思う。症状が強ければ放置というわけにはいかない。前回の稿で紹介した桂太郎の経過を現代におきかえて言えば、健診で早めに見つけるということも考えられるし、腹痛の時に精査して発見し根治的治療を試みる、あるいは症状が強くなった時にその緩和的治療を考えるということも選択肢としてはあり得る。また、亡くなる年まで首相を務めているし、大正初期の67歳ということなので、あれはあれでよかったのではないかという受けとめ方もあるだろう。近藤さんの言うように下手に発見したがために治療で命を縮めてしまうということも確かにある。どれが正解なのか、それぞれが望む生きざまのこともあり、私には分からない。桂太郎の経過が、考えて見る材料になれば幸いである。

 

なお、胃がんで開腹手術になったものの、腹膜播種という、腹膜全般にがんが転移していて、結局手をつけずにそのまま手術を終えた例を麻酔科医として少なからず見た。このことを逆に言えば、そんなになるまで症状が強くなかったということである。無症状での早期胃がんの診断で、切除標本での病巣はたいしたことはなかったのに、全身転移で早く亡くなられたかたもいる。もちろん長期生存のかたもいる。あまり知られていないようだが、胃がんの病期分類は深達度が主で、転移については問わないことになっている。早期胃がんなら5年生存率がこのくらい、という意味で予後との関連が言われているだけである。

 

近藤誠さんをすごいと思うのは、医療界内部の問題点について勇気ある言をなしたということである。近藤さんの言う「がん治療ワールド」は必ずしも患者さん主体で動いていないと私も感じる。41歳で肺がんで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんが書いた手記『僕の死に方』(小学館)には、末期で多くの大病院に門前払いされたことが記されており、ある医師に対して、「直感的にこの人は、自分が論文を書けないような案件の患者は、患者じゃないんだろうなと思った。治療しようという意志が、まったく感じられない言い方だった」と書いている。医師側からすれば、一人ひとりに思い入れをすることはなかなかできないという面もあるにはあるが。

 

金子さんはその後に、動脈塞栓などの血管内治療を専門とする医師のもとを訪ね、治療により少なくとも一時は劇的に症状が改善している。その専門医は私も個人的によく知っていて交流もあるが、「がんを根治させるのは難しいので、体を痛めつけず、がんがあまり悪いことをしないようにがんへの栄養動脈を塞栓する兵糧攻めをしたり、少量の化学療法を併用するがん休眠療法がいいのではないか」との考えの誠実な医師である。固形がんに対して化学療法でさほど延命が得られないことはほぼ確かだが、縮小効果が見られる場合もあるので、やりかたによっては見込みがあるのかも知れない。

 

私は近藤さんの主張のかなりの部分は正しいのではないかと思っているものの、言い切る自信はない。医学の進歩がいずれ答を出してくれるだろう。近藤さんは今回取り上げた書以外にも多数の著書があり、「がん=恐怖の病=死」「早期発見が至上」という固定観念に対して鋭く切り込んだということの功績は非常に大きいと思っている。少なくとも、がんと診断された時、慌てふためかず、一歩立ち止まって、社会的状況や自らの生きざまとあわせ治療方針を考えてみるのでよい、ということは確かである。

 

本稿関連では、私自身の経験をもっと折り込むつもりだったが、従容として死を受け入れていたかた、最後まで「死にたくない」と叫び続けたかた、「わかっているんですけど、最後の希望だけは持っていたいんです」とポツンとつぶやかれた乳がんの全身転移の若い患者さんなど、色々なことが頭をよぎり思うように筆が進まなかった。本ブログの副題に「ちょっぴり医療」としているので、今あえて書こうとせず、今後も折々に触れていきたい。近藤誠さんの提起に対して今ひとつ歯切れが悪い点は、私自身の不勉強と、率直に「分からない」ということでお許し頂ければと願っている。

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