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2014年11月 8日 (土)

『近藤先生、「がんは放置」で本当にいいんですか?』その3 救急外来のがん患者

がん治療中の患者が救急外来を受診するのは、胸水の貯留や肺転移による呼吸困難の増悪、肝臓がんの破裂による大出血、癌性心膜炎による心嚢液貯留によるショック、骨転移部の病的骨折による疼痛、化学療法での白血球減少による感染、さらには、できるだけ最後まで自宅で、としていた患者の容態悪化など、Photo実にさまざまである。写真は救急外来。

 救急医はそれまでの状況がすぐには十分に把握できないのでとりあえず最善を尽くそうとするのだが、後になって、「御家族にはそういうことがあると話をしているのでそこまでしなくてもよかったのですが」などと主治医に言われて、それなら自分達で緊急対応の体制を作るなり、夜の夜中にすぐ出てくるとか、あるいは救急部門に人材を出すなどして救急体制に協力すればいいではないかと、近藤さんの言う「がん治療ワールド」の医師にいたく不満を覚えたこともある。もちろん「大変お世話になりました」と恐縮して丁重に対応してくれる医師もいる。いずれにしても、短時間での判断を余儀なくされる救急医には診療記録をじっくり読む余裕はなく、他の病院にかかっている患者さんの場合は診療経過すらすぐには分からない。救急医は危機的状況にある生のがん患者に予見なく直面するわけである。

 

事前診断がなされていない場合、すなわち結果的に放置したがんで救急領域で見ることが多いのは、大腸がんによって生じる腸閉塞(特に高齢者はそれで見つかることがしばしばである)、腸管穿孔、消化管のがんから出血して起こる吐血、下血などである。初発巣が不明で転移性脳腫瘍の増大による意識障害で搬送されてくる場合もある。腹痛で救急外来を受診し、腹部触診ですぐにそれとわかるほどに大きくなった肝癌を見てあきれたこともある。カゼ症状で救急外来を受診した患者さんにちょっと気になる点があり、調べたら紛れもない食道がんで、手術は拒否ということで、御家族の希望もあってそのまま私が担当した。専門医に相談しつつ、その時に食道がんについてはかなり勉強したものだ。そのこともあって、専門外ではあっても、近藤さんの書は咀嚼して読めると思っている。ポンと救急外来にという経験はないが、増大した食道がんの腫瘤が隣接する気管を圧迫して窒息しそうになって救急医として相談を受けたこともある。救急医ががんを見つけることもあるわけで、がん専門医だけががん診療をしているわけではない。

 

交通外傷で入院した若者の頸部の腫脹で、甲状腺がんが見つかったのにはびっくり仰天した。当初は血腫と思っていた腫瘤を専門医に委ねて切除してもらったのだが、本当にそうなのかと確認しても、切除標本の病理所見としてがんは間違いないという。その後軽く10年以上経過しているが何ともない。甲状腺がんはバリエーションが特に多く、あっという間に増大あるいは全身に転移して死に至るものから、全く転移しないもの、転移はするけれども原発巣も転移巣も発育が非常に遅く、長期間状態が変わらないというものもある。甲状腺がんについてはその点はよく知られている。一応、病理所見で分類はなされてはいるが、いずれもがんはがんである。近藤さんのがんもどき論を揶揄的に批判するのであれば、そういうのもなぜそうなのかきちんと説明しなければならないのではないだろうか。それか、分からないことは分からないと率直に言うしかない。

 

腸閉塞をきたすほど内腔に発育した腫瘤形成の大腸がん、あるいは増大して腸管に穴があいたがんは、緊急手術で人工肛門を造設するか、閉塞部位あるいは穿孔部を切除してつなぐのが精いっぱいで、リンパ節廓清などをする余裕がないので、さぞ予後、つまりその後の経過が悪いだろうと思うのだが、意外なことに、特に転移もなく元気になる場合が少なくない。大出血をきたしてしまうような胃がんにも同じことが言える。普遍化はできないにせよ、どうしてそんなことが起こるのか不思議に感じていた。“がんもどき”は確かに存在するのではないかと思うゆえんである。ただ、緊急対応を必要とするようなひどい症状をきたすのでそれらは善人だとは言えないだろう。

 

余談ながら、がん治療のセーフティネットとしても救急医療体制の整備は非常に重要だと思うのだが、「救急はもの好きな奇特な連中に任せておけばよい」という感じで、「がん治療ワールド」の医師達は概して救急への意識が希薄であったように思える。がんが放置されることはないかも知れないが、救急は間違いなく“放置”されてきた。がん診療の点から言っても、本来そうであってはならない。がん治療医を志向する若き医師にも、一時期でもよいので、是非に救急医療に従事して欲しいと強く願っている。

 

それはともかくとして、現在の考え方の主流は、症状が発現する前にがんを早期発見して早期治療しましょう、ということだ。その前提には、がんは進展によって症状が悪化し転移などを起こして苦しんだあげくに命を取られてしまう、ということがある。近藤さんは、それは思い込みであって科学的な根拠があるわけではない、がんはそれほど進行が早いわけではないし、その症状はさほど恐れるほどのものでもなく、症状が出現してから考えるのでよい、本物のがんは最初から転移しているので無症状での早期発見は意味がない、体を痛めつけるような治療はかえって命を縮めてしまう、と主張しているわけで、ここが“常識”と根本的に異なる点である。なお、時に誤解されているようだが、近藤さんはがんで死ぬことはない、と言っているわけではない。長短はあるにせよ死ぬまでには思う以上に時間はありますよ、と言っているだけだ。近藤さん自身は、あれこれしなければそんなに苦しむわけではないので「どうせ死ぬならがんがいい」と公言している。

 

次回の関連稿では、その気になれば誰でもが同じ情報が入手でき、誰でもが検証できる、死に至るまで全く手つかずであったがんの自然歴の事例を紹介する。

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