2017年1月18日 (水)

タモリさんのエンターテインメント

タモリという名前は本名の森田一義の姓をもじった芸名だそうだ。今や日本でこの名前を知らない人はいないだろう。総理大臣は知らなくてもタモリは知っているというぐらいの有名人だ。
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私に関しては、土曜日夜の食後のくつろぎのひととき、丁度ペットのセキセイインコを放鳥して遊ばせてやる時間と重なっていることもあって、「ブラタモリ」をよく見る。“オジサン殺し”の桑子アナが交代して当初は残念に思っていたが、今はあどけない感じの近江アナが華を添え、火山の話や河川の話が多く出てくるし、雑学の泉としてやはり面白い。

 

タモリさんの番組は概して長続きしている。こういうのは、単に人気があるから、では説明がつかない。意図してか意図せずしてか、何か理由があるはずだ。考察というほどの大層な話でもないが、本稿で思うところを気楽に綴ってみる。

 

サングラスは、普通にはあまりいい印象を与えないものだが、タモリさんの場合は小学校3年生の時にケガで右目を失明し、義眼を入れているというのが理由だというのはよく知られていて、すっかり自然に定着している。随分と不自由だったに違いないし、嘆きたくもなっただろうが、そういう言は聞いたことがない。多分にハンディを“受けいれた”強さが芸のベースになっているのだろう。

 

タモリさんの芸はあまり視聴者への“媚び”を感じさせない。自然体のサービス精神で、「こういうことをやってみたい、やってみよう」という気持ちが嵩じたものだと思う。だから見ていて疲れない。

 

デタラメな、それでいていかにもそれらしい4ヶ国語を操る麻雀芸がタモリさんが世に広く知られるきっかけになったようだが、私がそれを初めて見たのは自分も麻雀に熱中していた学生時代なのでもう40年以上も前のことだ。これには笑い転げた。はとバスツアーを日本語以外はこれまたデタラメな7ヶ国語でやるという芸も「徹子の部屋」で披露していて、これがまた面白い。YouTubeで今も色々なバージョンが楽しめる。

https://www.youtube.com/watch?v=5bWPfCzYews

 

こういうのを才能だけで自然体でやるのは絶対に不可能なので、裏に多分に自身も楽しみながらの相当な努力があることは間違いない。それと、視覚障害があるだけに、音をとらえる感性が高いのではないだろうか。

 

音と言えば、熟年には懐かしいかのクレージーキャッツとの共演でトランペットを披露している。芸大卒や屈指のトロンボーン奏者、プロのドラマーといったコメディアンらしからぬクレージーキャッツのメンバーに並んで巧拙はいざ知らずなかなかサマになっている。

https://www.youtube.com/watch?v=eZyecGtUSm0

 

形態模写はイグアナが有名だが、大橋巨泉の物真似もよく特徴をとらえていて面白かった。司会者としても評価が高く、まさに多芸多才を地でいくような人だが、巨泉さんのようにセレブってはいない。上から目線でもない。私もひところ火山に関する書をよく見ていたので、多忙な中でどこでどう知識を仕入れたのか、火山に関して相当に博識であることは確かだと思っている。早稲田大学時代に熱中していたというジャズにも造詣が深いはずだ。

 

そんなタモリさんも、そろそろ身を引くことを考えていると聞く。それはそれで、「長い間お疲れさまでした」なのだが、まだいましばらくテレビにいて欲しいという気持ちもあって、やや複雑な思いにかられる。こういう人をどう表現したらいいのかわからないが、不幸を芸として昇華させた人生の達人、一流の個人であると言っていいのではないだろうか。安部晋三首相との対談では冗談半分で「無形文化財」という話も出たようだが、それもありかも知れない。

https://www.youtube.com/watch?v=oJ7XxmLJeCU

 

でも、個人的にはこの人にはいかめしい肩書も賞典も全く要らないと思っている。息の長さも視聴率においても、彼にかなう人はそうそういまい。何よりの勲章だ。

2017年1月 9日 (月)

『九十歳。何がめでたい』

これは、佐藤愛子さんの近刊のエッセイー集のタイトル。「確かにそれはそうだけど」と表題からして笑ってしまう。大ベストセラーになっているようで、直木賞作家で波乱万丈の人生を歩んだ人が今さらこわいものなしで毒舌をふるっているわけだから面白いはずだ。私はというと、実は買っていない。九十歳を越えた人にわざわざ印税を進呈する必要もあるまいと、45回の立ち読みであらかた読んだ。難聴のくだりもまさしく御意ではあった。立ち読みはけしからぬことだが、個人としては書店に相当貢献しているつもりなのでお許し頂こう。
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それにしても、あのように面白く短く綴れる才が羨ましい。私はどうしても長く生硬になってしまう。辞書にはこの言葉は「態度・表現などが、未熟でかたい感じがすること」とあり、まさにその通りだ。ことこれに関しては自分で感心するぐらいよく自覚している。

 

私の母親は大正1011日生まれなので、今年で96歳になった。よく「お元気ですか?」と尋ねられるが、日野原重明先生や佐藤愛子さんならいざ知らず、普通は元気なわけはない。かろうじて車椅子で食事が摂れる程度だし、ここのところ私のこともわからないようで会話も成り立たない。頭がしっかりしていて体も元気ならそれが一番いいに違いないが、不老不死の人はいないわけで、バランスよく老いているのは神の情けを頂いたような気もする。

 

老母は施設にお願いしているので、キーパーソンの私は説明を受けたり書類へのサインなどがあって度々帰省しているが、弟は盆や年末年始程度。お互い離れたところにいて疎遠になっているので「家族という病」は起こりようがないのは気が楽だ。年に何度か会う機会があるのは、生ある母親と郷里が取り持ってくれる縁だと有り難く感じる。一緒に訪れたものの、二人とも優しく忍耐強く語りかける能力が欠落しているので、はたからすれば何とも不細工な面会に見えただろう。

 

彼は学者への道は頓挫したものの、素粒子物理を専攻し今も何がしか関連した仕事をしているようなので、私の付け刃的知識を色々とぶつけてみる。これは実に面白い。

 

「アインシュタインの特殊相対性理論は高校数学で解けるが、一般相対性理論は素人はサジを投げた方がいい」「解を出すというものではないので、シュレディンガー方程式が示すところは理解できるはずだ」「ハイゼンベルクとシュレディンガーは違う道筋で結局同じことを言ったことになる」「ハイゼンベルグの不確定性原理の理解はまずは大学の教科書から取りついた方がいい」「量子もつれは実験的に確かめられている。ただ、なぜそうなるのかはまだ誰もわかっていない。局在性と非局在性という問題になる」というような話だった。それについてアインシュタインのEPRパラドックスの論文はどうなんだ、と投げかけてみると、一瞬、なぜそんな言葉を知っている、という表情になった。こういうのは楽しい。光は質量がないのにブラックホールに吸い込まれるというのはどういうわけだ?と尋ねると、「静止質量はゼロだけれども、光子は光速で動いていてエネルギーを持っている、すなわち質量があるわけで、説明としては空間が曲がるでも吸い込まれるでもどちらでも構わない」という解説であった。

 

ここまで書いて、『九十歳。何がめでたい』を切り口に老母のボケを語ったまではいいが、その後に結局こんな話になってしまうのがまさしく我が悪癖と気づく。後から書いても仕方ないが、上のフレーズは興味がない人にはスルーしてもらうほかない。

 

この年始、長女が孫を連れてやって来た。私の年賀状を見て、「干支の酉はニワトリなのに、どうしてインコがネタなのか」と聞くから、あの写真には、絵のトリと、ノゾキのトリがいて、これで「ニワトリ」だ、とやったら大いにウケていた。

 

評論的なことを書けばどうしても引用が必要だし、自分が好きな領域のことになってしまう。私事を書けば引用は要らないが、やはりそういうのはいささか気恥ずかしく居心地が悪い。今回は私事に触れたが、今年も、あれこれ自分が楽しみながら、好きなスタイルでやってみようと思っている。気楽に読み飛ばしながら御笑覧頂けたら幸いである。

2017年1月 1日 (日)

謹賀新年

 

謹賀新年

2017年元旦

 

   本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 

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無事新年を迎えることができることを年々有り難く感じます。

皆様にとって本年がよき年でありますように。

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2016年12月25日 (日)

超ミクロと超マクロ

極大は

極微を住まわすが

極微は

極大を支配する

 

この言葉は故戸塚洋二さんが平成2061日付けで弟分の梶田隆章さんに揮毫したもので、『日経サイエンス』に紹介されている。このひと月あまりのちに戸塚さんは惜しまれつつ世を去る。梶田さんがノーベル賞を受賞したのは平成27年のことである。

 

我々の周りにある物質は、したがって地球も月も太陽も、もとをたどればそれ以上小さく分割できない素粒子であるところのクォークと電子からできているというのが現在の解釈だ。そうすると、極大の宇宙も、未知のものはあるかも知れないが、そもそもは素粒子で構築され、その姿も形も極微の素粒子の性質に拠っているはず。言ってみれば単純な話だ。戸塚さんはそれをしてこのように表現している。

 

その戸塚さんは、『素粒子物理』の中で、ひとしきり数式で語ったのちに、「したがって、バリオン・反バリオン対称の宇宙では、とうていわれわれ人類の存在を証明することはできない。何かがおかしいわけであるが、現在のところその解決方法はわかっていない」とのべている。先に単純と記したが、あくまで筋道としてはということで、実のところ、超ミクロも超マクロも、“単純”にはほど遠く、超が3つつくぐらいに難解で謎だらけだ。

 

大きなところはアインシュタインの一般相対性理論、小さいところは量子力学の標準理論で語られることが多いわけだが、この二つはまことに“相性が悪い”という。要は統一して単純に語ることができていないということだ。多分どちらも “何かがおかしい”。それも無理はない。超マクロと言えば光の速度で何万年、何百億年を要するはるかかなたのことになるし、超ミクロと言えば、そもそも原子は1000万分の1ミリぐらいの大きさで、その原子を地球とすれば、素粒子は大きさがあったとしても野球ボール以下だというから、とんでもないスケールの差がある。なお、素粒子のふるまいにも感覚は全く通用しない。

 

バリオンというのは、クォーク3つで構成される粒子で、代表的なものが陽子と中性子だ。物質の根源となる元素は、陽子と中性子を原子核として、その周囲の電子で構成されている。化学の表現では元素で、物理学の表現では原子と呼ぶようだ。その性質はおおむね陽子の数で決まってくる。現在のところクォークは6種類あり反クォークもあるが、まずはアップクォークとダウンクォークと考えておけばよいと思う。
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『ニュートン別冊』のイラストより

 

インフレーションかビッグバンか、宇宙は途方もないエネルギーから生じたと言われている。アインシュタインが特殊相対性理論のE=mc2で示したように、エネルギーと質量は同等で、そのエネルギーが物質というか粒子になる時は、性質が同じで左右とか回転を反転させただけの双子のような粒子と反粒子のペアで生じるという。逆に、粒子からなる物質と反粒子からなる反物質が出会うと莫大なエネルギーを出して消滅する。これがどれほどのものかというと、わずか0.25gで都市が吹っ飛ぶというから、核爆弾どころの話ではない。幸いなことに、理論物理学者の村山斉さんによれば、0.25gの反物質を作ろうと思えば、電気代に換算して1兆円の1億倍かかり、そんなものは作れないそうだ。

 

それで、物質があるのなら反物質もあるはず、あるいはどこかでどちらも消滅したはずなのに、今の宇宙はほとんどが物質で反物質は普通には見られない。これは大きな謎だという。先の戸塚さんの『量子物理学』での語りはこのことを言っている。反物質は“普通には見られない”と記したが、反電子は宇宙線が地球の大気にぶつかって生じていることが確認されている。人工的にも作られており、これを利用したのが、がんの検査で用いられるPETである。しかしこれは、あるというだけで、ごくごく微々たるものだ。

 

さて、超マクロである宇宙の大きな謎のひとつは、宇宙の質量の25%を占めるというダークマターである。質量があって大きな重力作用を起こしていることはわかっていても、今までに見つかっている素粒子による構成とは異なっているようで、現在の科学では見ることもふれることもできない謎の物質だ。

 

『素粒子のすべて』(ニュートン別冊 20161220日発行)によれば、それはSIMPStrongly Interacting Massive Particle)ではないか、という新説が権威ある科学誌に昨年掲載されたそうだ。SIMPはクォークそっくりの粒子と反クォークそっくりの粒子、そしてそれらを結びつけるグルーオンそっくりの粒子で構成されていることが仮想されているという。クォークのような素粒子が二つなのでバリオンではなく湯川秀樹氏が提唱し日本人初のノーベル賞受賞となったパイ中間子によく似ているらしい。このことは、提唱者である東京大学国際高等研究所カプリ数物連携宇宙研究機構長の村山斉氏らによって数式から導き出されている。

 

これから検討がなされていくであろうが、ダークマターの謎を解明すれば間違いなくノーベル賞だ。この領域には、学説がビシッと決まって実験で検証されたらの話だが、ノーベル賞候補になり得る日本人研究者が多くいるというのは誇らしいことだ。なお、数式から導き出すというのはよくあることで、そもそも反電子はポール・ディラック(1902-1984)、ニュートリノはヴォルフガング・パウリ(1900-1958)が、理論から提唱している。二人ともノーベル賞の受賞者だ。彼らや、アインシュタイン(1879-1955)、ハイゼンベルグ(1901-1976)などとの交流を綴った難解な量子論の書も最近読んだので機会を見て紹介したい。

 

わかりもせぬままに自分が勝手に面白がっているだけのことで、こんな話は誰も興味がないだろうと思いつつ、インプットしたらアウトプットしたいのが性で、また書いてみた次第。京都大学理学部を出てから医学を志したという知人の医師に、「量子論に苦闘している」とこぼしたら、「そりゃ無謀ですよ」と一笑にふされてしまった。

 

ともあれ、超ミクロと超マクロが密接に関連しているということだけはようやくにして少し理解できた。関心があるかたがたと共有していきたい。

 

タイミング的には本稿が今年最後になりそうだ。

皆様どうぞよき年末年始をお迎え下さい。

2016年12月18日 (日)

コンパクトデジカメを携えて

何か目的があったり、目的はなくても天気がよさそうな時に遠出をする時にはコンパクトデジカメを携えるようにしている。スマホのカメラは、慣れていないせいかどうも使いづらい。とはいえ、いつもデジカメを持ち歩くわけではないのでポケットに入れているのを忘れ、空港の探知機にひっかかって迷惑をかけてしまった。

 

福島では、新幹線駅のホームからでも戴雪した吾妻小富士(あづまこふじ)、一切経山(いっさいきょうざん)が綺麗に見えて、タイミングを計って新幹線からパチリ。パソコンで他をカットしたもの。
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寒い思いもせず横着な撮影をしておいて言うのも気がひけるが、何度でも紹介したいぐらい綺麗だ。標高は1700m以上ある。以前に夏場にこの山がある浄土平を訪れた時は火山ガスが多かったためか、「車を停めないように」という注意書きがあって、ゆっくり見れなかった。それでも、コンパクトながら吾妻小富士は火山としてもなかなかの迫力だと感じる。浄土平は星空も綺麗に見えるそうなので、来夏には泊りがけで行ってみようと思っている。冬場は車の運転に自信なし。

 

こちらは本物の富士で、以前に紹介した際に、あれはどこから撮ったのかと尋ねられて気をよくして、また撮ってみた。実際には難しくも何ともなく、羽田を離陸して西日本方向に飛ぶ航空機は大体において富士山上空の右を飛び、時間もわかっているので、そのタイミングを狙う。「スミマセン、もうちょっと右を飛んで下さい」と言いたくなる。
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富士山では今年の11月にも転落死亡事故があり、2012年秋~今年10月末までの間でも、閉山期に起きた遭難事故は計91件あり、30人が死亡しているという。標高3776mで日本では断トツの高さだから、冬季は相当に準備と訓練をしていても危険は免れえないのだろう。天候の急変だってあるし、強風下の零下30℃というのは素人には想像もつかない。なお、閉山期であっても、登山が禁止という拘束はないらしい。

 

羽田空港では2機いるはずのロシア大統領専用機がどこかに停まっていないかと探したのだが、残念ながら見当たらず。代わりにネットで拝借したのが下記の写真。イリューシン96というのをベースにした機体で、4発のエンジンを装着していかにも燃費が悪そうだが、航続距離が長い。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%80%A3%E9%82%A6%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E5%B0%82%E7%94%A8%E6%A9%9F

 

非国民と言われそうだが、安部首相とプーチン大統領の会談には興味なし。火事場泥棒的に領土を奪い既得権化しているのをあの国がおとなしく返すはずがない。当時のソ連は北海道も狙っていたようだが、日本軍兵士の決死の抵抗で侵攻が引き延ばされ、かろうじて略奪を免れたということは、シベリア抑留の悲劇とあわせ長く記憶されてよいのではないかと思う。

 

領土問題というのは難しい。世界各地で起こっている紛争は領土問題に因を発していることも多い。ドイツのライン川沿いのラインラントは、いにしえより紛争がよく起こっているようだ。第一次世界大戦後に非武装化されたこの地に条約を破ってヒトラーが軍を侵攻させ、それを欧米が座視したことがヒトラーの自信と増長につながったとも言われている。理としては明らかにヒトラーに非があるわけだが、多分に感情的に、ドイツ国民は拍手喝采して歓喜している。

 

話は変わって、スマホ。駅での一風景。ざっと見たところ、9割の人がスマホをいじっている。ちょっと異様な光景ではある。そこまでする急ぎの用も、急ぎの情報収集の必要性も、99%の人にはまずない。こういう写真を撮ってみたいと思いつつ、不用意にカメラを向けると不審者になりかねないので、撮れそうで撮れなかった。今回は「撮り鉄」を装って遠景で撮影。
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「目の前でスマホをいじられるとムカつく」、と言いながら、ついつい私もいじってしまう。特に駅ホームでのスマホは危なくもあり、今から、そして来年は、もう不要不急の人前でのスマホいじりは止める、というのが来年へのつまらぬ抱負だというのを今回の稿のオチにしよう。次回はコンビニに話題をふるか、はたまた宇宙にするか、楽しみながら思案をしている。

2016年12月11日 (日)

田中正造と足尾鉱毒

 

飢て病む民の家塚もろともに

  岸もミ去る毒の荒浪

壬寅秋 正造


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田中正造が何と闘ったのか、この歌がよく物語っている。これは明治35年の秋に自筆で残しているもので、佐野市郷土博物館蔵と記されている。記念館を訪れた際に頂いた2017年のカレンダーに使われており、机の前に張っている。

「飢えて病む」というのは、もともと肥沃な土地であった渡良瀬川流域の谷中(やなか)村で足尾銅山からの鉱毒で作物が育たなくなり、稲なども立ち枯れをきたし住民が苦しんだ様子を表現している。「毒の荒浪」、すなわち、鉱毒を含んだ濁流が、堤防を破壊し住民の家屋や財産までも押し流すさまを「家塚もろともに」「岸も噛ミ去る」と詠んでいる。
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銅山周囲の山は伐採と煙害で禿山となり、採銅後のカス(カラミ)を堆積していた。見るからに毒々しい。これらが流れ出て広範囲にわたって害を及ぼした。
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それに先立った明治14年の頃、健康に害あることを察知して当時の栃木県令(県知事)の藤川為親が既に渡良瀬川の魚を食べることを禁止している。当初から足尾銅山からの鉱毒に疑いを向けていたようで、流域では出生率が低下し、体調不良になる人が多く出たという。銅山近隣の山村には人が住めなくなっている。

 

この頃正造は40歳で、自由民権運動に身を投じている。福島県令として苛政で悪名を馳せ、その後に栃木県令となった三島通庸ともその頃に対立し弾圧を受けている。藤川為親の良心よりも三島通庸の横暴を重宝したのが当時の明治政府の体質であったといえよう。正造が足尾鉱毒問題に深く関わるようになるのは第1回衆議院議員になった明治20年代のことである。以後、身命を賭して生涯を足尾鉱毒問題との闘いに捧げる。

 

田中正造について書けば長くなるし、多くの書が出ておりネットでも詳しく知ることができるので、ここでの詳記は省略する。ちなみに、『谷中村滅亡史』(荒畑寒村 岩波文庫)は全編これ寒村の悲憤に満ちた美文で埋め尽くされていて、その一方、かなり実証的でもある。寒村は正造に同行して明治40年に谷中村を訪れ、正造に請われて一気呵成に書きあげている。これを読んで感動し、大学での勉学に疑問を感じて中退したという人もいる。なお、読みやすい小説仕立ての書としては人気作家城山三郎氏の『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』(角川文庫)がある。

 

全く知られていないので、『田中正造翁小伝』という書もあることを紹介しておきたい。知る限りでは島田三郎全集にしか収載されていない。著者は島田三郎で、田中正造を、物心両面で、また、政治の世界から支えた人だ。その島田は、「小生が翁を相識りたるは明治十四年末の事にて、爾来翁の逝去に至るまで絶えざる友好あり」と語り、『田中正造翁小伝』において、「彼は生前に敗れて、死後に勝ち、一時に失ひて、永遠に得たり」と記し、「正造は剛者なりき、善く闘ひ善く耐ゆ」と評している。足尾鉱毒事件における正造の闘いで全国の鉱業社が震怖して予防を図るようになったという功績をも指摘している。鉱毒問題は新聞社の社長をしていた島田が記者として木下尚江を派遣して詳細に報道したことで世に多く知られるようになっているし、島田自身も議会で鉱毒に関する政府の無策に対して糾弾演説も行っている。

 

以後、政府はようやく重い腰をあげるが、鉱業の停止と治水を優先させるという正造の思いは叶えられず、谷中村は強制的に廃村となり、瀦水地にされてしまう。今は背丈よりも高い葦原が広がり、一部が貯水池となっている。その一角にわずかに土が盛られた谷中村役場跡がある。
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渡良瀬遊水地は湿地帯保全のラムサール条約の批准地になり多くの野鳥が集う場となったのはせめてもの幸いだが、人々の暮らしを踏みにじり、肥沃だった広大な平地を犠牲にする必要性が本当にあったのだろうか。正造が予言したごとく、その後の日本は亡国への道を歩む。

 

なお、島田三郎を知る人は学者以外にはほとんどいないが、彼には『開国始末』という井伊直弼を正しく評価すべきとした評伝とも言える書があり、大老井伊直弼が雪を血で染める襲撃で暗殺された「桜田門外の変」に関する書籍では必ずと言っていいほど資料として引用されている。いわゆるインパクトファクター、つまり被引用回数は論考の重要度を示す一つの指標で、その点からも非常に高得点の書である。島田は、政治家、ジャーナリスト、歴史家、思想家など、広範囲な活動をなしているが、非常に優れた歴史家であったことは確かだ。他にも、今の東京芸術大学音楽学部は明治12年の音楽取調掛が源で、その創始者的存在で友人でもあった伊沢修二を支援した人でもある。唱歌を小学校の教科に入れたのは当時文部官僚であった島田の功績と言ってもいいだろう。余談ながら、早稲田大学総長を務めた島田孝一氏は島田三郎の子息である。蛇足にもならない瑣末なオタク的知識の披露で恐縮だが、他に語るべき場もないことに免じてお許し頂きたい。

 

公害に関しては、残念ながら、水俣病や神岡鉱山のイタイイタイ病など、工業や鉱業に起因する悲惨な事例は多く起こっている。しかし、近代における勇気ある反公害闘争の嚆矢として、田中正造の事績と功績は、長く語り継いでいきたい。治水を重んじた正造が根拠を示して代案を出していることを知るのも意義があると思う。田中正造記念館は群馬県館林市にあり、多くの人に訪れて欲しいと願っている。
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2016年12月 5日 (月)

我が難聴の記

難聴に悩まされているというのはプロフィールに書いていることだが、おりしも、123日から129日までは「障害者週間」と定められている。私自身はまだ障がい者として認定されるレベルには至っていないが、この機に難聴体験記を少し書いてみる。

 

私の難聴は高音域が特に弱く、早くやってきた老人性難聴と思われる。手術室での麻酔業務は、異常を察知するために心電モニターや酸素飽和度モニターの音を常に聴いておかねばならず、救急の現場は他のスタッフとの素早いコミュニケーションが必要で、難聴では、万一のことがあれば患者さんに申し訳ないし、私自身も医療事故を起こしたくないので、いわゆる臨床医としての業務は50歳代で早々に手を引いた。非常に幸いなことに、管理職としてそれなりの立場、過去の経験をフィードバックする場や病院の企画設計などの経験が活かせる場を提供して頂いたので生活に困るようなことはなかったけれども、そうでなかったら相当に苦しい思いをしたのではないかと思う。

 

40歳を過ぎた頃、最初に泣かされたのは、耳鳴りだ。結構大きく響くので、あたかも耳鳴りに邪魔されて音が聴きづらいという感じがしていた。実生活にさほど不自由はなかったものの、聴力検査で低下が指摘されていたので、この頃から難聴気味ではあったのだろう。

 

少し自覚症状が進行した頃に大学で耳鼻科の助教授をしていた医師に尋ねたところ、「そりゃ治らん」とあっさり言われてしまった。まさか患者にはそうは言わないだろうが、同級生の気安さからか、みもふたもない表現だ。ただ、他の耳鼻科医の意見を聞いても似たりよったりだったので、私の場合はどうもよくなる見込みはなさそうだと悟った。耳というのは驚くほど機能的かつ精緻にできていて、特に中耳や内耳など、人為で修理というのが容易ではないのは分かる。
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体験として、全てが同時ではないにせよ、以下のような症状が緩除に悪化してきて今に至っている。

・常に耳鳴りがしている

・相手の言葉がわからず聞き返すことが多くなった

・多くの音の中から特定の声を聞き分けるのができなくなった

・左耳はほとんど聞こえなくなり、右耳も少しずつ聴力が低下してきた

・声や音がどの方向からしているのかわからず戸惑う

・喧噪な場所やバックグランドミュージックがあると特に会話が難しい

・広い部屋での会議などで相互が離れると声が聴きとれなくなる

・濁音がはっきり取れない

・マイクの音がクリアにとれない

・マスクをした人の声が聴きとれない

・会話の時にどうも大声で喋っているらしいと気付いた

・相当に音量をあげないとテレビの音が聴き取れない

・不意の大きな音は強くひびいて不快感を覚える

・カラオケが楽しくなくなった

・コンサートの楽しみが半減した

 

難聴にも色々なタイプがあり、一概には言えないが、大体のところは共通しているようだ。先天性の場合は最初から音が認識できない、あるいはしにくいわけで、後天性とは様相が異なる。その中にあっても非常な努力を重ねて、プロゴルファーになった人もいるし、視聴覚障害のハンディキャップがありながら東京大学教授になった人もいる。私ごときで泣き言を言っていたら罰があたりそうなのであまり嘆かないようにしているつもりだが、この程度であっても、不自由は不自由だ。

 

対策の一つとして補聴器というのがある。最近は色々なタイプがあって、なかなか芸が細かい。ただし、少し高級なものは軽の新車価格ぐらいでとんでもなく高価だ。機器自体の製造費用がそんなに高いはずはないので、もう少し安くならないものかと思う。色々試してはみたものの、満足感は得られず、正常な耳には全くかなわない。とはいえ、健常な時に戻すというのはできない相談なので、とりあえずは必要な状況に応じて補聴器を装着するようにしている。

 

例によって締めは書の話。駄文を連ねるブログであっても、常に何か情報は提供していきたい。下に掲げるものは現役の耳鼻科医によるもので、耳について、その精緻な構造から驚くような脳の機能、補聴器に至るまで、わかっていない点も少なくないと率直にのべた上で、非常に網羅的・包括的に書かれているお勧めの良書である。
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2016年11月25日 (金)

夫はペット以下?

なんでも、民進党の党首の蓮舫氏がテレビの娯楽番組で家庭を紹介し、「夫はペット以下」とやったらしい。男性の政治家が「妻はペット以下」とでも言おうものなら、いくらセンスのないつまらぬ冗談であっても、真っ先に青筋立てて怒るのはこの人のような気もする。

 科学技術の予算の仕分けで、政権与党にいたこの人が「2番じゃダメなんですか?」と大真面目な顔で言っていたのを私はよく覚えている。1番を目指して必死になって努力して、結果が2番、3番ならいいほうで、実際は、選外が大半だ。それは仕方ないことだが、先進技術こそが命の日本が最初から負け犬根性で取り組んでどうする、と強く憤慨したものだ。まさか国籍問題は関係あるまいが、野党に、少しは重みがあり味のある人材はいないのかと、大仰に嘆いてみたくなる。その一方、民進党はその議論が「田舎プロレス」「茶番」と揶揄されたことに腹を立て謝罪要求とか大層な抗議をしている。誉められる言葉遣いではないかも知れないが、そこまでするほどのことかと思ってしまう。


政治はさておき、ペットにかこつけて我が家のペット、セキセイインコの話。以前にも触れたように、今のサチで
3代目だが、重さたかだか30グラム程度の小鳥であっても、それぞれに個性がある。

初代の「ハッピー」は、白を基調に少し青が混じった色で、性格は最も穏やかで、指に止まるのが好きだった。ケージからさほど出たがるふうもなかったが、扉を開けるとまずは指に止まってひとしきり。どのインコもケージの外では飼い主の肩がホームポジションで、特に初代は飛び回るよりもここを好んでいたようだ。ケージに戻すには、まずは指に止めて、開けた扉のところに連れていくとポンと戻ってくれた。

2代目の「フク」は逆さまにぶら下がるのが好きで、飛び回って部屋の一番高いところにコウモリのように逆さにぶらさがって止まるのが常だった。指に止まるのはあまり好きではなかったと見える。だから、ケージに戻すのに難渋したが、扉を開けておけば自分から勝手にケージに戻ることを発見してそれで解決した。他の2羽にはできないことなので、青が鮮やかだった2代目はかなり頭がよかったに違いない。そう思って見れば、眼光なかなかに鋭い気がする。

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以前に紹介したことのある3代目の「サチ」はケージの外に出るのをことさらに好み、足音が聴こえると、ピッピッと短く鳴いたり、ピュルルールーと奇麗な声で鳴く。そして、ケージ内をバタバタ動いたあげく直近の柵に張り付いて、“出せ”と催促のパフォーマンス。

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サチはどういうわけか指には全く止まらない。指を出しても、開けたケージの扉のところから直接飛び上がる。まずは私の肩にサンキューフライトをして、その後、部屋の中をアチコチ飛び回ったり、お気に入りのティッシュの箱をつついたりして遊んでいる。3代目はあまり器量のいい容姿とは言えないが、声は一番綺麗だ。

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掴まえようとするとギギッと鳴いて逃げる。指にも止まらず、自分で戻ることもしないので、出したはいいがケージに戻すのがやっかい。幼鳥の頃は簡単に掴まえることができたが、1歳半ともなればそうはいかない。一計を案じて、電気をパッと消して真っ暗にして、動きが止まったところを掴まえるようにしている。写真はあえなく御用となった時のもの。インコには表情筋がないのでその心情はわからないが、おそらく、「ちょっと早いんじゃないでしょうか」と不満に思っているに違いない。

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インコは人間の眼では見えない波長の光が見えるそうだが、トリ目というぐらいで、暗いところは苦手のようだ。もっとも、同じ鳥でも夜行性のフクロウは夜目が利くわけだから、鳥だからと一括りにはできないだろう。観察というほどのことをしているわけではないが、同じ種類の小鳥であっても、それぞれに個性があってなかなか面白い。いい歳をしてセキセイインコと遊んでいるというのはいささか気恥ずかしくはあるが、秋の夜長、それもまた一興にしていると、写真を御笑覧頂けたら幸いである。

なお、今回はコンパクトデジカメでちょこちょこ撮っただけだが、一眼レフの手習いをしているところなので、少し習熟したら今度はいい写真を撮ってみたい。インコは色が多彩なので、絶好の被写体になるだろう。

2016年11月15日 (火)

高齢者による自動車事故

高齢者による自動車事故の報道が絶えず、誰しもが胸を痛める悲惨な事例が相次いでいる。本稿で苦い体験を交えて少し語ってみたい。

 

相次ぐ事故…高齢ドライバーが運転を「卒業」するには

と再アップされていた記事には改めて身につまされる。
Events8827m
http://www.iza.ne.jp/topics/events/events-8827-m.html

 

私自身、当時80歳を超えていた亡父の車の運転を止めさせるのに非常に苦労した。実家の近所の人から、「どうも運転がおぼつかないようで、危ないんじゃないでしょうか」との声があり、帰省の際に「先日、自損事故を起こした」との話も母親から聞いて、「これはいけない」と、止めさせようとした。

 

何度か説得したが全く効をなさない。のらりくらりと自己正当化ばかりして耳をかさない。相当に強く言って、ついに、「わかった」という返事に安堵したのも束の間、次に帰省した時に母親が「まだ乗っている」と。私にイの一番にそれを伝えるということは、母親はとっくに自らスパッと止めていただけに、なんとかしなければと強く思っていたのだろう。当時は仕事が特にストレス多く、ようやく時間を得て遠隔地から帰省してもまた同じ話の繰り返し。暗澹たる思いで職場にトンボ帰りするというのは辛いものがあった。

 

そんなことが何度かあり、あくまで開き直りの頑なな態度についに堪忍袋の緒が切れて、車の鍵を絶対に分からないところに隠すという強硬手段に出た。私が少し暴力的な人間であれば、何らかの暴行に及んだかも知れない。その時はそのぐらいの怒りを覚えていた。そこまでしなければならなかったこと、それなりに愛しんで育ててくれたであろう父親に対して嫌悪感を覚える自分が情けなくもあった。

 

私の場合は、後味が悪かったにせよ未然で済んだ。でもそれは、たまたま幸いだったというだけのことで、危ない時期は間違いなくあった。実際に老親に他人を死傷させる事故を起こされてしまったら悪夢どころの話ではない。被害者も被害者の御家族も、たまたま暴走の場に遭遇したというだけのことで何らの落ち度もないだけに、「どうして止めなかったのか」と、筆舌に尽くせない深い悲しみ、悔しさ、怒りが起こるであろう。つい最近も、認知症が疑われる87歳が起こした事故の巻き添えで児童が亡くなり、83歳の運転する車が暴走して30代の男女2名が死亡したという報道もあった。

 

ベストセラーと言ってもいいほどによく読まれている『加害者家族』(鈴木伸元 幻冬舎新書)によれば、犯罪の中でも、自動車運転過失致死傷等に分類される犯罪は断トツに多いようだ。もちろんそれは高齢者に限らない。私自身もそうだし、車を運転する限り誰にでもその罪を犯す可能性がある。リスクゼロはできない相談であっても、ハイリスクは避けねばならない。高齢者のリスクが高いことは確かだ。認知症は論外としても、生理的現象としての心身の衰えは誰にも起こることを大前提にせねばならない。

 

運転の過誤で他人を死傷させた高齢者は刑事に問われる犯罪者になり、身内はいわゆる「加害者家族」になってしまう。『加害者家族』を読むと戒め以上に恐ろしくなる。法的責任の如何に関わらず、被害者家族から糾弾され、社会からも白眼視され、塗炭の苦しみを味わうことになる。私自身、止めさせることの難しさを身に沁みて知ったので、多くは常識人であろう家族を責める気にはなれない。恐らく家族も心配はしていたに違いないし何とかしようとしていたと思う。でも、起こってから悔やんでも遅い。

 

仮に制約を課すとして、何歳で線を引けばいいのだろうか。実のところ、高齢者の活動度、すなわち、活動への意欲、知的能力、身体能力は個人差が非常に大きい。また、生活の上で必要という場合もあるだろう。活動が制約されてしまえば衰えは進む。全ての能力が同じように低下していくわけでもない。対策の難しさはこういったところにある。

 

免許証返上の一つの目安は75歳のようだが、免許証は身分証明書になるので、運転を止めても更新はしておくという人もいる。なお、更新の際の認知症の検査は、やらないよりはましかも知れないが、あてにはならない。

 

評論家然とした言はおくとして、自分自身が何歳で運転を止めるか、ということは切実な問題だ。ヒヤッとしたことが何度もあり、運転がうまいとは自分でも思っていないので、少し早めにハンドルをおかねばならないだろう。車に乗らなくてもさほど支障のない生活の組み立てを今から想定しておく必要があり、あれこれ思案している。

 

「やめる」と積極的な判断ができる時ならいいが、正常な判断が失われているということが自覚できない状況での判断に委ねてしまうわけにはいかない。何かの時には開封するようにと身内に伝え、毎年更新しているエンディングノートには、自分で決めて身内に公言している年齢になって自ら止めない時は、「車を取り上げるように」と明記しておくつもりである。高齢者の運転というのは、大きな、そして深刻な社会問題だとつくづく思う。

2016年11月 8日 (火)

GW150914

GW150914」は、わかる人にはすぐわかるが、わからない人はいくら考えてもわからないので、タイトルにこういう言葉を使うのは快感だ。思わせぶり、恰好つけ、気取りか、いずれにしてもその程度のこと。

 

いかにも難しそうだか、この言葉自体は実に単純。Gは重力のGravitationalで、Wは波のWave15というのは2015年に発見されたということを示し、0914はそれが914日だったということを表している。アメリカのLIGOという研究施設で2015914日に初めて確認された重力波のことだ。

物理学者というのはしかめっ面をして常人にはとうてい理解できないやたら難しいことばかりやっている印象を誰しもが持つが、プロジェクト名や施設の名前は語呂あわせとしか思えないような茶目っ気を感じさせるものが多い。人物も、ローレンス・クラウスさんはチャラ男風だし、KEKの多田将さんもしかり。案外に面白い人達だ。誰でもが知っている、世界の物理学を一変させたかのアインシュタインからしてこれだから、推して知るべしかも知れない。
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命名は単純でも、その内容は全くもって難解だ。というか、サッパリわからない。ブラックホール同士が合体した際に発生した時空のさざ波である重力波が10億年以上の旅をして地球に届いたのをつかまえたという。下記がその証拠。もともとアインシュタインがその方程式から予測し、間接的な証拠はあったらしいが、変化があまりにも軽微なため直接的につかまえることができたのは今回が初めてで、物理学史上に名を刻む偉大な業績だという。

Ligo

http://www.ligo.org/science/Publication-GW150914/science-summary-japanese.pdf

我々は物を落とせば下に落ちるというのはわかりきったこととして深く考えることはない。が、重力というのは難しい。リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンが地球と月が引力で引き合っているのではないかと着想し、質量を持った物同士は引き合うという万有引力の法則を打ち出したというのは有名な話だ。その法則は近似としては今も正しい。そのニュートンも、はるかに離れた物同士がなぜ引き合うのかについては考察が及ばなかった。それに解を与えたのがアインシュタインで、下記の方程式がそれである。
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http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F#mode%3Ddetail%26index%3D3%26st%3D0

 

なんだ、意外に簡単な式だ、と思いそうになるが、記号をまとめて美しくしているだけのことで、これがとんでもなく難解。仮定のおきかたで解がいくつも出てくるらしいし、テンソル微分だの何だのが必要で、一般人はサジを投げた方がいい。要は、質量があればその周囲の時空が曲がるということを示しているようだ。モノが坂を落ちるように、その曲がりが力を及ぼすと。ならリンゴが落ちるのは時空が曲がっているからか、ということになるが、それもまた常人にはわからない。

 

ブラックホールもまたアインシュタイン方程式の産物で、そこでは巨大な質量が無限小の点に収束し、物理学が破たんしているという。こういう点は規定のしようがないので、とりあえず、ここを超えたらもう二度と脱出できないブラックホールですよ、という事象の地平面というのが想定されている。方程式からこれを考え出したのがアインシュタインと同じドイツ系ユダヤ人のカール・シュヴァルツシルトで、第一次世界大戦に従軍した時の傷病で早逝している。では星がどういうふうになったらブラックホールになるのかというのを考察して導いたのがインド人のチャンドラセカールである。その時は不遇であったが、後年にノーベル賞を授与され、今もX線衛星にその名が刻まれている。

 

ブラックホールは難解な代物だ。そこでは物理学が破たんしているというのだから、どんなに優秀な物理学者でも理解できていないということだ。記事を読んでいると、ブラックホールは物質ではないという人もいるし、物体と表現しているものもある。そのあまりにも強い重力で“光さえ抜け出せない”とよく言われているが、光には質量がないのに、どうして重力が関係あるのか、という単純な疑問が生じてしまう。私もこれには随分悩まされた。とりあえず、時間と空間という概念そのものが存在しないか、空間が極端に曲がっているため直進するはずの光が身動きとれなくなる、と暫定的に受け止めておくようにしている。動かない光というか光子は決して認識できない。だから真っ暗だ。ところが、これにもホーキング輻射という素粒子のトンネル効果が現れて出てくるものもあるというからこれまたわけがわからない。ブラックホールの周囲もはなはだややこしい。

 

わからないことをいくら考えても無駄なので、重力波の観察がどうしてそんなに重要なことなのか、ということに触れておきたい。これは比較的簡単で、今までは、主として、電波やX線、可視光や紫外線などの光の仲間で宇宙を観察していくほかなかったのが、それとは全く別な手段、重力の変化を波でとらえてそこから宇宙で起こった現象を観測していく道筋ができたということである。日本にはKAGRAが稼働途中にあり世界が期待を寄せている。光や重力波以外にも、宇宙観測の手段の一つとして日本のお家芸であるニュートリノもある。多様な手段によってそれぞれの弱点を補いあい、格段に多くの宇宙の情報が得られることが期待されるようになったのである。

 

宇宙はとにかく難しい話ばかりだ。重力もまだまだ一筋縄ではいかないらしい。研究者は、宇宙のことが好きではあっても、研究は苦しいと思う。一般人も、理解しようと努力する人は苦しいだろう。でも、私のように、そんなことはサジを投げて、単なる好奇心で“お気楽”に見ている分には、宇宙というのは無茶苦茶楽しい。ちょくちょく書いていきたいと思う。

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