2020年6月27日 (土)

ボルトン前アメリカ大統領補佐官の暴露本のことなど

ジョン・ボルトン前アメリカ大統領補佐官の暴露本を巡って色々と喧しい。それはそうだろう、アメリカ大統領のすぐそばにいて、国際的に重要な外交の場にいた人の“暴露”が関心を惹かないはずがない。前宣伝は派手でも、いざ蓋を開けてみればさほど目新しいことでもない、というのがよくある話だが、さて、どうなのだろう。

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「不動産屋のトランプ大統領には思想・哲学がなく、知識欲にも乏しい」と言ったらアメリカ最大の国家機密の暴露になるかも知れない。ま、これは私が勝手に書いたこと。ただ、自己正当化や他者への責任転嫁は若い時からの常套手段だったようだから、当たらずといえども遠からず、だと思っている。今から30年以上前、私がアメリカに一時居住していた時も、トランプ氏は何かとメディアを賑やかしていた。

今までのいきさつを軽視して、制裁や脱退、撤退などの脅しを振り回す外交はいつか何らかの形で破綻すると思うが、強大国アメリカの国民が自ら選んだ大統領を世界はとりあえずそれなりに尊重せねばならない。これはトランプ氏にとって快感だろう。

ボルトン氏がどういう人かについて私はあまり知識がない。衛星放送の北朝鮮特集の中でのインタビューからすれば、彼は北朝鮮について間違いなく非常に詳しい。これには驚いた。かの国を詳しく知れば知るほど、対応に苦慮するはずだ。ボルトン氏もその上で対応を模索したのだろうが、トランプ氏のパフォーマンスのやり過ぎには苦り切っていたのかも知れない。親北の文在寅大統領の言動には、「頭がどうかしているのではないか」と思っていたはずだ。

ボルトン氏の書を原文で読む能力も根気もないので、訳本が出たら読もうと思っているが、こういう世相で、一読に値する日本の新刊書がある。それは重村智計(しげむらとしみつ)氏の『日韓朝「虚言と幻想の帝国」の解放 戦後75年の朝鮮半島』(秀和システム)だ。毎日新聞記者、早稲田大学教授などを務めた重村氏には、朝鮮半島に関する言で私は最も信をおいており、手に取って確かめることなく、新聞広告を見てすぐにアマゾンから書を取り寄せた。

書を開いて、正直なところ当初はちょっと失望した。ソフトカバーでそれなりの厚さはあるが、字が大きくていかにも密度が低い。ポツポツと文節を短く区切り、読みやすいと言えば読みやすいが、あまり味のある文章ではない。しかし読み進めてみて、変わらぬ率直なもの言いで、私の知らなかったことも多く書かれていて、さすがだと感じた。朝鮮半島の戦後で、安在鴻の名前が出てなかったが、重村氏はどう考えているのだろう。

韓国は反日民族主義を拠りどころにするほかなく、北朝鮮は金日成民族主義だと重村氏は記しているが、書についてはここで紹介するよりも読んで頂いた方が早い。私にとって驚いたのは、重村氏が、在日韓国人の李隆(イ・ユン)氏に触れていたことだ。この李隆氏は私の知己で、30年近く前、当時朝鮮半島に関する書を読み漁っていたことから私は知識に少々自信があり、「在日の印籠でビビると思ったら大間違いだ」と、当時のパソコン通信での大喧嘩が出会いの始まりであった。

居住地が近いことで李隆氏と直接に会い、一時は友人とも言える付き合いをしていた。英語が流暢な彼に助けてもらったこともあるし、彼の要請に応えて私がそれなりの便宜を図ったこともある。私が3冊目の本を書いた時、「無名の駅伝選手がいきなりフルマラソンのトップランナーになったようだ」と褒めてくれた時は、普段が辛口なだけに、無性に嬉しかった。

当時聞いたところによれば、彼は朴正煕を題材にとった小説を書こうとしていて、資料蒐集のためにあちこち飛び回っていたようだ。私も沖縄に移籍したため、次第に疎遠になってしまった。

「重村さんは非常に優れたジャーナリストだ」と言った私に、李隆氏は、朝鮮半島の問題であの人の右に出る人はいないだろうと同意しつつ、「見かけは貧相だが、重村さんは大金持ちで子だくさんなんだ」と、事実かどうか、関係ないことを語っていた。相互に知己だったというのは書で初めて知った。本を読みながら、李隆氏は面白いキャラだった、と懐かしく思い起す。

差別告発のパフォーマー『朝日新聞』は、在日韓国・朝鮮人を記者として長らく採用していなかった。そんな中、右で鳴る産経新聞社は李隆氏を在日第一号の記者として採用した。その後、李隆氏は社を辞し、渡米している。

重村氏はスタンフォード大学で李隆氏と知り合ったようで、李隆氏の訳本、『黒い憂鬱』を書中で紹介している。今は黒人差別が大問題となっているが、逆に「affirmative action」、被差別者として優遇された面もあり、黒人がそれに甘えてしまう構造の問題を提起した良書である。訳文もこなれている。

ボルトン氏の暴露本のことを冒頭において、重村智計氏、李隆氏と話が横すべりしてしまった。論文ではそうはいかないが、雑文綴りでは、そういう尻取り的、横すべり式の、読み方、書き方を好んでしているので、これはこれでお許し頂きたい。

2020年6月20日 (土)

日本海海戦

新型コロナによる移動制限で売り上げが激減した観光業界を支援しようと、旅費の一部を政府が負担する「GoToトラベル」というキャンペーンが行われるらしい。大いに進めてもらいたいものだ。具体的なことがわかれば、私もあやかりたい。

旅と言えば、昨年末に対馬を訪れ、建立されていた記念碑でロシア水兵が対馬の北東の海岸に漂着していることを知りブログに書いた。1904年(明治37年)2月8日に始まった日露戦争において、1905年5月27日、東郷平八郎率いる日本海軍連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が激突した日本海海戦は、対馬沖、対馬海峡が主戦場であった。それまでは日本海と漠然と受け止め深く考えもしなかった。旅にはこういう効用もある。

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なぜ日露戦争が起こったのかについて、簡潔に書くのは私の力量では難しい。ズルズル関連づけていけば、日清戦争はもとより、幕末のロシア艦船の日本侵入事件にまでさかのぼらねばならない。日露戦争全体については児島嚢氏の大著に詳しい。

ここでは、帝政ロシアが拡大政策を続け、満州を支配下におき、三国干渉で遼東半島の権益を得、さらに朝鮮半島にまで触手をのばそうとして日本の不満を高め不安に陥れたことによる、と記しておこう。日本は、非戦、開戦で国論が二分していたが、結局、旅順港口のロシア艦船への海軍の攻撃を端緒として開戦に踏み切る。陸軍は朝鮮の仁川から上陸して北上していった。ここから有名な苦難の旅順要塞攻撃、要衝である二〇三高地の確保につながる。日本海海戦の1年半近く前のことである。

日本海海戦に関する一般向けの書としては『海の史劇』(吉村昭 新潮社)が傑出しているのではなかろうか。小説仕立てではあるが、膨大な資料を蒐集して執筆する吉村昭らしく、かなり事実に沿っているように思える。

『海の史劇』は、バルチック艦隊のロシア出航から書き起こし、地中海からアフリカ西海岸、喜望峰を回って、マダガスカル、インド洋、ベトナムなどを経由して、スエズ運河を利用した後発艦隊と合流しながら、半年以上かけて日本近海に赴く苦難の過程を詳しく描写している。

当時世界一と言われたバルチック艦隊を迎え撃つ連合艦隊は、艦船の数に劣り、主砲の射程距離も劣っていた。普通に考えれば勝ち目はない。もし撃滅されてしまえば、制海権を失い、大陸に展開した陸軍への物資、弾薬、人員などの補給路が断たれてしまう。今の我々は大勝利という結果を知っているから、さほど感じないが、実のところ、これは国家の興亡をかけた闘いだったわけである。そのぐらいロシアは強国であり横暴であった。

ではなぜ勝利したか。ひとつには情報である。諜報員を使ってバルチック艦隊の動きを細かく把握しようとしていた。ウラジオストックを目指していたことはつかんでいたが、最短である対馬海峡のルートか、太平洋を回って津軽海峡あるいは宗谷海峡のルートを取るのかについてはわからなかった。ウラジオストックに入り、そこの艦船と合流し、態勢を整えられたら、ますます勝ち目はなくなる。どうしてもそれは阻止しなければならない。日本近海で『信濃丸』が最初に発見し、『和泉』が併走して行方を追うことで、東郷平八郎が想定していた通り、対馬海峡に入ることを確認している。

その前に、黄海での海戦でロシア太平洋艦隊を取り逃がして旅順港への引き籠りを許してしまうという苦い体験があった。その際の科学的分析で、敵の主砲の射程距離は日本を凌駕していても、距離8000mでの砲撃は命中率が低いことを掴んでいる。艦船の速度では勝っており、短距離での砲撃力は日本に利があると見ていた。だから、世に丁字戦法と呼ばれている、敵前8000mで進路をふさぐかのような大回頭というリスクをあえてし、その後6500mの距離に縮まったところで集中砲撃を開始したのである。これによってバルチック艦隊は壊滅する。

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参謀秋山真之など、優れた人材を擁したことも大きかったであろう。敵を知り己を知り、緻密な戦術と柔軟な対応、第二次世界大戦での日本軍の失態を描いた『失敗の本質』をまさに逆にしたような感がある。それでも当時の日本の国力は青息吐息だったという。吉村昭の手による、小村寿太郎全権による講和条約締結について書かれた『ポーツマスの旗』も名著だと思う。

吉村昭は『海の史劇』のあとがきで、「講和条約締結後に起こった日本国内の民衆運動は、日本人が戦争と平和について未成熟な意識しかもたぬ集団であることをしめし、その意識が改善されぬままに後の歴史を形作っていったように思う」と指摘している。

ただただ戦勝に沸く国民と、国を守ることを第一義におき冷厳に国力を自覚していたその時の政府首脳との間には大きな隔たりがあった。“その時の政府首脳”が、驕りと国民への媚びにより“その時の政府首脳”でなくなったことに日本の最大の悲劇が始まる。

さて、この当時は各国から観戦武官が戦場に同行するという仕組みがあり、日本艦隊には、艦船譲渡の縁でアルゼンチンのドメック・ガルシア大佐が同行していた。彼は、兵の士気が高く、規律があり、砲撃の精度を向上させるための猛訓練に励んでいたことを激賞している。彼の観戦記は長らく秘密文書とされていたが、今は日本語に翻訳されている。

東郷平八郎は京都の赤松小三郎の塾での門下生であり、洋学、砲術に通じた赤松小三郎から理論などを学んだはずだ。事後に、恩師を偲び感謝と冥福を捧げていたという。また、横須賀の海軍ドックがあればこそ艦船の整備を十全に行うことができたわけで、その創設の最大の貢献者である悲劇の幕臣小栗忠順の遺族に深い感謝の意を捧げたといわれている。

本稿で掲載した図はWikipediaによる。

2020年6月 8日 (月)

横田滋さんの慟哭

横田滋さんは、奥様の早紀江さんと同じく、おそらく日本でもっとも有名な一般人のひとりだろう。愛娘のめぐみさんが拉致されるという、あのおぞましい悲劇さえなければ、市井の一家族、一夫婦として、普通の、そしてかけがえのない、幸せな日々を過ごしたはずだ。

その横田滋さんが6月5日午後2時57分に87歳で逝去された。どれだけ悔しく辛い思いであったか、私には表現する言葉もない。慟哭の半世紀に思いをはせ、涙が止まらなかった。

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翌6月6日の読売新聞「編集手帳」は、「たくや てつや おとうさん おかあさん もうすぐかえるよ まっててね めぐみ」という当時小学5年のめぐみさんが旅先から出した便りを紹介して哀悼の一文を捧げていた。この便りの2年後、1977年11月15日、新潟市内で下校中だった中学1年のめぐみさんは、まるで神かくしにでもあったように忽然と姿を消す。

理由も何も全くわからず、「いったいどうして」と、御夫妻は帰らぬ愛娘の行方を探して狂奔する。北朝鮮に拉致されたことが判明したのはそれから20年後のことだ。しかも生存していると。この時の御夫妻の衝撃と怒りはいかばかりだったろう。

「帰して」「おとうさん、おかあさんにあいたい」と、船中で、そしてかの国で、めぐみさんは繰り返し泣き叫んでいたという。「めぐみ、おとうさん、おかあさんがきっと助けてあげるからね」と大きな運動を起こしたのはそれからのことである。署名運動、広報活動、日本政府への請願、アメリカ政府への訴えなど、考えられること、やり得ることは全てされたのではないか。

2002年10月、当時の小泉政権と北朝鮮との交渉により、拉致被害者の一部が帰国を果たす。その中に横田めぐみさんの姿はなかった。めぐみさんは死去した、として遺骨の一部が渡されたが、鑑定により、別人だと判明している。

読売新聞の編集手帳子は、横田滋さんへの哀悼の一文を次の一節で結んでいる。全くその通りだ。

     日本海の向こうに人の心を持たない国がある

2020年6月 1日 (月)

賭け麻雀

賭け麻雀は常習賭博になるらしい。黒川弘務前高等検事長が新聞記者と賭け麻雀をやっていたということで、例によってメディアが叩きやすいところをとことん叩くという習性をいかんなく発揮している。

賭けのレートは点ピンというから、大勝ちすれば2、3万円、大負けしてもそのぐらいの額だ。普通はそこまで動かない。もうすっかり流行らなくなったと聞くが、大学生でもやる時はそのぐらいのレートでやっているだろう。インフレルールでやればもっと動くかも知れないが、それでも身上が倒れるというほどのことはない。これは大人の遊びの範囲ではないか。

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私も、もう40年近く前のこと、“はしかに罹った”かのごとく麻雀に熱中していたことがある。教師が保守的で上から目線の地方で、面白きこともなく高校生活を過ごしたので、進学してより、こんな面白い遊びがあるのかと、はまり込んだ。もちろん賭け麻雀だ。先の論からいけば私は賭博の常習者だったことになる。やったことがない人にはわからないだろうが、そもそも何も賭けない麻雀は面白くない。ツキか腕か、うまくこなしたゲームには何がしかの褒章が欲しいというのが人間の性だろう。

点数の数えかたすら忘れかけている今でも、機会があれば喜んで麻雀をやると思う。そのぐらい好きだったが、我がセンスのなさに嫌気がさし、また、仕事を抱えてそうそう思うようにできないまま足が遠のき、ここ30年くらいはほとんどやったことがない。

私はあまり知らないので語る資格はないのだが、身上を壊すという意味であれば、競馬、競艇、競輪、オートレースなどの方が、よほどリスクが高いのではないだろうか。こちらはギャンブルとして堂々と認められている。それでも足りないのか、カジノまで公認しようとしている。“聖人君子”のマスコミ諸子は是非こちらの構想を潰して欲しい。

『三たびの海峡』など多くの作品がある作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)こと、精神科医の森山成彬氏は「ギャンブル依存症」がいかにやっかいで、自分自身を苦しめ、家族を苦しめているかを伝え、その悲劇の軽減を訴えている。お金がなくなればやりようがないはずだが、あちこちからお金をかき集め、あるいは借金などをして、そうまでしてやりたい人もいる。どうしたらいいのか私にはわからないし、病気にしてしまうのもどうかと思うが、ともかく、ギャンブルには魔性が潜んでいることは確かだ。

高等検事長の麻雀については書いた通りだが、ネット報道によれば、送迎のタクシー代を記者に持ってもらっていたという。高い地位にあり強大な公権力を有しているわけで、事実であれば、それは好ましくない。

検事の強大な権力は冤罪の温床である。村木厚子元厚生労働省局長が5ヶ月も拘留され、無罪となった事件は今も記憶に新しい。この事件の場合は検事が逮捕されているが、現実には、強引な捜査で冤罪を作り、そのままになっている事件も数多いように思われる。

リクルート創業者の故江副浩正氏、ライブドア事件の堀江貴文氏などの有名人、さらに政治家、『検察に死の花束を捧ぐ』という書を遺して自殺した人もいるし、撚糸工連事件での横手文雄氏、リクルート事件に関連した元官房長官の故藤波孝生氏、ムネオハウスの鈴木宗男氏のことなど、どうもひっかかる。その手の書は結構読んだつもりだが、総じて、検察は脅しのような苛酷な取り調べと強引な調書作成をしようとしている。「それは違う」と調書を突っぱねたら勾留が長くなる。ひどい話だ。皆が異口同音に嘘をついているわけではあるまい。ちなみに、撚糸工連事件に関わった検事のひとりは、車を暴走させ、人をひき殺したあげく、居丈だけに開き直り、知る限りでは逮捕下での取り調べを受けていない。

ともあれ、検察は強大な権力にあぐらをかいて人権蹂躙をやり得る組織であることは確かだ。麻雀のことなど私にはどうでもいいが、社会は検察に厳しい目を向けていかねばならないと改めて強く思う。

2020年5月 8日 (金)

江戸時代に麻疹で24万人が死亡

恋わずらいか何か、若い時分に誰でもが経験するささいな苦い体験を「はしか(麻疹)のようなものだ」、と表現することがある。だから普通には麻疹はたいしたことがない、と思われている。しかし、実際には麻疹は特徴的な発疹に高熱をきたし、重篤な合併症で致命的にもなる結構な重症疾患だ。

今まさに世界を悩ませている新型コロナ同様に、麻疹もウイルスによるものである。下掲の写真は麻疹ウイルス。新型コロナに似ているが種類が異なる。幸いにしてこちらにはワクチンがあり、ほとんどの人が予防接種を受けていて、散発的な流行は見られるものの、昨今は社会問題化することはあまりない。ただ、一旦発症すれば決め手となる治療薬がないという点では新型コロナと同様だ。

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『江戸暮らしの内側 -快適で平和に生きる知恵-』(森田健司 中公新書ラクレ)によれば、江戸時代末期の1862年に麻疹が大流行し、江戸だけでも約24万人の死者が出たという。当時の日本の人口は約3000万人と言われおり、当然にして江戸以外の地域でも死者が多くあっただろうから、人口の約1%が死亡するというとんでもない致死率である。原因もわからずもちろん治療法などあるはずもなく、ただただ神仏に祈るほかなかったに違いない。

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今の新型コロナは、日本において1億3千万人の総人口を母集団にとれば、感染者は約0.01%(実際はもっと多いと思う)、死亡者は0.0005%ぐらいなので、人口の1%が死亡するという流行がいかに凄まじいものであったかがわかる。季節的には春から初夏なので、今の新型コロナと少なくとも大流行のはじまりは重なっている。

『江戸暮らしの内側』は、なぜ江戸で蕎麦(そば)が大人気になったのかということも解説されていてまことに面白い名著だ。なんでも、そもそもは饂飩(うどん)の方が人気が上だったのが、醤油の江戸への流通とダシの工夫がカギとなり蕎麦が饂飩を大逆転したらしい。そういうことは全く知らなかった。

さて、江戸時代は麻疹に限らず、大地震や大火、津波、飢饉、富士山噴火など、庶民が苦しむようなことが多くあった。にもかかわらず、同書によれば、「庶民は、惨劇のただ中で、何とか前を向こうと努力していたのである」と記している。さらに著者は、「この世の地獄のような状況で、それでも前を向かなければ、自分だけでなく、家族も生きていけない。そうなれば、一番良いのは笑うことだったのだろう。耳で聞いても、すぐに真似ができるような生き方ではない」と綴っている。森田健司氏は大阪学院大学経済学部教授で、江戸時代の庶民文化・思想を研究する中で、当時の庶民のたくましさに畏敬を感じたのであろう。意外なことに、道徳も浸透していたらしい。

翻って今の新型コロナ、アベのマスク、アホのマスク、などなど言いながら、ほとんどの人がマスクを着けている。意識の高さは閑散とした街を見ればよく分かる。「バラマキを批判しつつも待ちわびる」とは何年か前のサラリーマン川柳にあったが、なんだかんだ言いながら、みんな10万円を楽しみにしている。現代の人も結構逞しいのではないだろうか。

ただ、人の移動や会食などが激減しているわけだから、特にサービス業の苦境は必然的で、いかんともし難い。政府や行政には大いに支援してもらいたいと思うし、せめてもと、自粛が明けた日には、江戸時代の持たれあいの長屋の精神に倣って、ささやかな消費をしていくつもりだ。

実は、私も、元臨床医としてそれなりの情報収集はしている。一般には見れない医療系ネットからの情報も得ている。間違う可能性もあるので、あくまで末尾にコソッと書いておく。新型コロナは近いうちに必ず収束する。

2020年4月21日 (火)

『ポツンと一軒家』

『ポツンと一軒家』というテレビ番組はまことに面白い。最近は日曜日をまたいでどこかに出かけるということはまずないので、放映の時はいつも見ている。

父母や祖父母、先祖、故郷への郷愁か、そういう生活を自ら選んだか、人里離れたところに住む理由はさまざまだろうけど、登場する皆さんはたいがい明るく屈託がない。取材を試みた大部分はボツになるらしいから、選択されたものだろうし、ある程度の演出もあるのだろうけど、少なくともドラマのような嘘っぽさはない。それでいてドラマのような人生模様が描き出されている。

かく言う私も父親は「ポツンと一軒家」の出身で、私はそこで生まれたらしい。何軒かの集落ではあったようだが、よくあるように、不便さに耐えかねてか、仕事かで出ていった、というパターンである。

かすかな記憶を頼りに、もう何もないその地の近くまで行ってみた。番組ふうにグーグルで表すと下図のようになる。真ん中あたりの茂みが家のあったところだ。この地区には、70歳代の女性がたった一人で暮らしているそうだ。そのうちそこに取材が来るかも知れない。

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崖沿いの斜面の細い道をグルグルと、そのかたが住んでいるところまではさほど問題なく車で行ける。ところが、そこから先はわずかに轍(わだち)がある程度で、写真の先にあるはずの住居跡には徒歩ですら危なくて行けない。

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それにしても、こんなところでどうやって暮らしていたのか。峠なら交通の要衝として宿場という手もあろうが、とてもそんな場所ではない。農業か林業だろうけど、生活の糧にできそうな広い畑地はなさそうだし、田んぼも無理だろう。特産品も聞いたことがない。木の切り出しも容易ではない。

亡父はここから学校に歩いて通い、寄宿舎を利用して、旧制中学から、今の教育学部、当時の師範学校に進んでいる。本当は帝大に行きたかったと口ぐせのように言っていた。両親を早く亡くし、姉弟も早逝したため、山林の一部を売って学費にし、自家用車まで保有したと聞いた。当時は木材に価値があったのかも知れない。その後もしばらくここに家があって、バイクで勤めに出ていたらしい。親不孝にして生前は考えたこともなかったが、今思うに、たいした頑張りではある。亡き母もよくこんなところに嫁いできたものだ。番組に惹かれるのもそういうことが関係あるのかも知れない。

『ポツンと一軒家』では、人々が神社を大切にしていることが伺える。私のルーツの山の稜線のかろうじて歩いていける端っこにも祠があり、もうお詣りする人も手入れする人もおらず、朽ち果てて崩壊寸前の姿になっている。昔時は、村人達が、豊穣を願い、厄災のないことを祈ったのだろう。

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実のところ、この地の山林に私名義のものがまだある。書類上で相続しただけのことで、正確な場所も境界も知らず、全く実感はない。時々電力会社関係から「木を切ってもいいか」という打診があるぐらいだ。山荘でも建てて仙人のような生活に回帰すれば少しは受け継いだ山林を管理できるかも知れないが、そんなことは私にはとうていできない。もちろん子供達にとっては遠く離れた全く縁がない場所である。

このままでは、今まさしく社会問題化している所有者不明の土地にいずれなることは間違いない。そこで、役所に行ったり、森林組合に相談したりした。山林は環境には重要でも個人にとっては実価値がなく、聞いたところによれば、同じ悩みを抱えている人が非常に多いらしい。

相談はしたものの、その後音沙汰なく、仕方がないとあきらめていた時に、「無償供与という形でよければ、今後をお引き受けします」との連絡が森林組合からあった。先で社会に迷惑をかけてはかえって先祖に申し訳けないので、それでお願いすることにした。ダイヤモンドも金も石油も出ないが、結構立派な木はある。保安林としての意義も大きいし、遠い将来に何かのお役に立ってくれたら嬉しいと思う。

このようないきさつがあるだけに、『ポツンと一軒家』のかたがたの心意気にはうたれる。私がそうであるように、後ろめたさと、「できるものなら自分もそうしてみたい」という憧れもちょっぴり抱きつつ、多くの人がこの番組を見ているのではないだろうか。

2020年4月11日 (土)

高齢者の日常に潜むリスク

新型コロナウィルスは、「日常におしよせた非日常の巨大なリスク」だ。「まさかこんなことが起こるとは」というのが多くの人の思いだろう。

さて、新型コロナはさておいて、今回は、リスクはリスクでも、「高齢者の日常に潜むリスク」の一端について触れてみたい。いつもは書などを引用するのだが、これについては自分の言葉で語ることができる。

というのは、私の今の業務のひとつとして、年間7000件以上にも及ぶ救急隊の搬送記録すべてに目を通しているからだ。必要に応じてその後の診療記録も参照している。

これで非常に目につくのが高齢者の転倒だ。つまずいた、階段を踏み外した、脚立から落ちた、急なめまい、エスカレーター、飲酒、などなど、原因はさまざまである。脳神経疾患、心疾患などによる場合もある。ただ単に転んだというだけでは救急車は呼ばないから、搬送されるのはおそらく氷山の一角だろう。

とある論文によれば、高齢者の転倒の一割が骨折を伴うという。多いのが大腿骨の頭というか頸のところが折れる大腿骨頸部骨折だ。高齢者が転倒して動けなくなり太もものつけねを痛がる場合はまずこれを疑う。手首の骨や上腕骨を骨折する場合もある。

転倒して頭を打撲して出血してしまうというのもよく見る。頭皮は血流が多いので出血が派手に見えるが通常はたいした量ではない。ただ、周りの人がびっくりして救急車を呼ぶわけだ。バスの乗降や歩径路のブロックが危ない。運が悪いと、頭部の打撲で急性硬膜下出血や外傷性くも膜下出血を起こしたりする。また、すぐに発症するわけではないが、慢性硬膜下出血の原因になったりすることもある。

慢性硬膜下出血(血腫)は、受傷後3ヶ月以内ぐらいに血液を混じた液体が緩徐に溜まって脳を圧迫し、性格変化や認知機能障害をきたす。緩徐に発症することが多いため、認知症として見過ごされてしまうこともある。頭部CTを撮れば一発で診断でき、局所麻酔で穿頭洗浄術という比較的簡単な手術で症状が劇的に改善するが、見落とされると死につながりかねない。決して稀ではなく、患者にとっても医師にとっても重要な疾患である。

クラスター、オーバーシュート、ロックダウン、だのという今流行りのカタカナ用語で高齢者の転倒を表現すれば、ロコモティブシンドロームという。そういう難しい言い方をせずとも、ヨロヨロ、ヨタヨタと、高齢者は転びやすい、と受け止めておけばいい。下図は日本臨床整形外科学会のホームページに掲載されていたもの。

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では、どう対応していけばいいかというと、これが難しい。搬送記録に目を通しているのも、それ自体が目的ではなく、そこから社会や医療体制に還元できる何かを引き出そうとしているわけだ。いつかは誰にも死が訪れるわけで、それは避けえない。だから、端的には、要介護になる時期をできるだけ先送りして、要介護の期間をどれだけ短縮できるか、ということが重要だ。そのためにはまずは実態を知らねばならない。

転倒は骨折のリスクで、骨折は明らかに要介護のリスクだ。ある程度の回復は得ても、高齢者ほど失われた貴重な日時の損失は取り戻しにくく、廃用性萎縮が起こり易い。バリアフリー化、手すりの設置などは本当に重要な対応だとつくづく思う。

リスクは何気ない日常に潜んでいる。高齢者になれば長年慣れ親しんだ自宅の階段も注意せねばならない。ちょっと電球交換を、という脚立、これは非常に危ない。足元がおぼつかない人は、エスカレーターではなく、面倒でもエレベーターを使った方が安全だ。ほんのささいな一歩がタイミングよく踏み出せないから転ぶ。こういったことをあげていけばきりがないぐらいだ。

転倒して骨折などの災難にあった個々の人は、全体はわからない。自分は運が悪かったと思いがちだ。でも決してそうではない。救急隊の搬送記録は実態をかなり反映している。ここでは、特に高齢者において、日常に多くのリスクが潜んでいますよ、とまずは伝えておきたい。

2020年3月24日 (火)

西川渉氏への追悼

西川渉(にしかわわたる)と聞いても、多くの人はどういう人なのか全く分からないだろう。だが、航空業界、とりわけヘリコプター業界の役員クラスの人であれば絶対にその名を知っている業界の超有名人だ。

その西川渉さんが2020年2月16日に逝去された。氏のブログ『航空の現代』は「お気に入り」において欠かさず読んでいたのだが、更新がなくなり、体調が悪いのだろうかと思いつつ、そのままになっていた。久しぶりにアクセスして訃報を知った。一日のアクセスカウントが3000ぐらいあったそうだから相当に広く愛されたブログだ。

大腸がんを患い、手術を受け闘病しておられたし、1936年生まれで83歳ぐらいなので、仕方がないとも思う。しかし、それでも残念だ。

西川渉さんは、今では全国50ヶ所以上に基地がある日本のドクターヘリ事業の最も強力な推進者の一人である。業界に身をおき数々の役職を歴任した人でもあったが、何よりも特筆すべきはその高質な評論であろう。内外の航空関連誌に丹念に目を通し、現状の分析だけでなく、最先端を、そして歴史を、わかりやすく読みやすく解説し、時には厳しい批判、あるいは賛辞をも送っておられた。また、空の安全を常に気にかけ、結果的に最後の掲載となった2019年1月31日付けの記事は『<山岳飛行>その安全を確保するには』と題されたものであった。

1996年から続けられた記事はあまりにも膨大で、そのどれもが含蓄が深く、かいつまんで紹介することはとてもできない。それらから私がどれだけ学ばせて頂いたかわからない。「航空の現代」で検索すれば今でも一部を読むことができるので、是非に訪れてみて欲しい。

氏のように柔らかい筆致で流麗な文章を書くことは私にはとうていできないが、その都度、その都度に、写真や絵を折り込む手法は私も真似もどきをしている。前回の稿の地球がマスクをしている姿も西川氏のブログから拝借したものだ。「引用してもよい」と書いておられるのも有難かった。

航空分野だけでなく、野次馬之介、小言航兵衛などとシャレたニックネームで書評や時事についてユーモアのセンスあふれる記事も書いておられた。どこからどう持ってきたものか、戯画の数々はまことに面白い。下掲は、非効率でなる外国の政府の病院では患者も働かされると揶揄したもの。

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鳴り物入りで航空機の市場に参入するはずだった三菱重工業の国産ジェット機、MRJ、今はスペース・ジェットと名付けられているが、未だに商用機として承認が得られていない。西川氏は、開発集団を「学歴のある馬鹿」として、次のように批判している。少なくとも現時点ではその通りである。

航空機の開発には好奇心に富んだ独創性と冒険心が必要で、入学試験や入社試験の成績だけを追い求めてきたような連中に出来るはずがない。馬之介から見れば、いずれ絵に描いたワラの餅に終わるに違いない。

批判はしても航空機への愛情あふれる西川氏は、本当は国産MRJの成功を待ち望んでいたはずだ。翼の上にエンジンを置くという独創性と冒険性を実現させたホンダ・ジェットの成功には、病床にあってさぞ快哉を叫ばれたことだろう。

航空業界はがんじがらめの規制があり、頭のいい高学歴のエリートが馬鹿なことをしていると政治家や官庁を批判したものもあるが、実は西川渉氏自身も東京大学理学部の卒業生総代、つまり主席卒業である。御尊父も九州大学医学部卒の精神科医で、紀行文などもものしていた逸材だったようだが、そういうエリート臭は全くなかった。ただ、容貌は端正で、友人の医師が、“お公家さんみたいですね”と語っていた。私は本物のお公家さんを見たことはないが、そういうイメージ、という点では確かにそうで、うまいことを言う、といたく感心したものだ。

実は西川渉氏には何度もお会いしている。長崎で開かれた航空医学関連の勉強会では西川氏の講演の前座を務めさせて頂いた。私は格違いと開き直って好きなように喋らせて頂いたのだが、「現役の医師にこんな迫力ある話をされた後ではやりにくくて仕方がない、逃げ出したい思いだ」と苦笑しながら前ふりをして、素晴らしい話をされた。我が人生の数少ない光栄な思い出である。

在りし日の西川渉さんを偲んで、HPにあった写真を掲げておく。合掌。

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2020年3月17日 (火)

新型コロナ雑感

ここのところ報道は新型コロナ一色だ。いい加減ウンザリもするが、仕方がない。3月16日時点での報道では、世界で16万6千人が罹患し、死者が6千人を超えたという。これだと一人ひとりがマスクをするよりも地球にマスクをさせた方が早い。下図はSARSの時の戯画。

Sars

それにしてもイタリアはどうしたことだろう。2万5千人ぐらい感染し、死亡者は1800人以上だそうだ。日本も偉そうなことは言えぬまでも、イタリアは日本など問題にならないぐらいに被害がひどい。対策をしてこなかったのかと思いきや、少し遅ればせながらも、それなりに厳しい対応をしている。一説には高齢化があると言われるが、それは日本も同じことだ。なぜなのか。

イギリスは、端的に言えば、完全防御にはサジを投げ、できるだけ軽く罹患して多くの人が免疫を持つことを期待しているそうだ。普通は、思ってもそんなことはなかなか口にできないものだが、アドバイザーが真剣にそう考えているのか、あるいはあの首相のキャラならではの言葉かも知れない。もちろん厳しい批判を受けているが、私は、これには一理はあると思っている。1918年頃に流行し、全世界で5000万人が死亡したというスペイン風邪(インフルエンザ)の時は、類似ウィルスに免疫があった人が助かったという話もある。ただ、決め手となる治療薬がなく、重症化のメカニズムが分かっていないので、軽く罹患して免疫をつけるという器用なことができるかどうか。

日本では、複数の20代の若い人が人工呼吸管理を受け、幸いに快復しつつあると報道されている。患者はもちろんだが、現場のスタッフがどれだけ重圧だったか同情に堪えない。重篤化や死に至るのは高齢者が多いとしても、若いから大丈夫ということにはならないようだ。

最近になってサイトカインという言葉がメディアに出るようになったが、前回の稿で触れたように、過剰反応でこれが悪いことをしている可能性はある。ただ、現場で対峙している身からすれば、「可能性がある」「かも知れない」というのは意味がない。評論家ならぬ身には、するかしないかの「決断」が最重要で、自らの経験では、そういう瀬戸際では“みんな黙って俺を見ている”状態であった。

それはともかく、ここまで社会に不安が拡がると、安部首相を責めようがどうしようが、多大な負の社会的影響は避けられない。現に、ホテルや旅館などの旅客業、航空業界、エンターティンメント業界、芸術系の業界は既に苦境に陥っているという。何とも気の毒なことだが、自分だけが傍観者でいることはできない。いずれ負の影響が回ってくる。私に関しては予定していた公演が2つ中止となり、もうひとつも少々怪しい。しかし、本格的に負となればそんな可愛い被害ではとうてい済まない。

暴論をはけば、1億2千万の人口から見れば、罹患者はごく一部だ。それに、対策がなされていないわけではない。不安を煽りすぎだ。PCRに関して口を出す素人の論など、全く気にせず切り捨てていい。メディアにも、芸能人のくだらぬ言を無節操に取り上げるなと言いたい。百家争鳴の今、専門家なる人の意見も金科玉条にする必要はない。

今まさに叩かれている“アクティブシニア”ならではかも知れないが、私に関してはあまり委縮せず、自らが罹患しない限り、生活のスタイルを変えるつもりはない。無駄遣いはしないし、そんな余裕もないが、レジャーであれ何であれ、やりたいことはやるつもりだし、買いたいものは買えれば買う。

私は経済には全く疎いが、それぞれがそこそこお金を遣っていかなければもちつもたれつの社会は維持できないと確信している。過剰な不安感と委縮こそが不況の原点だ。

2020年3月 6日 (金)

多様性の不思議

この地球上の生物は本当に多様だ。ヒト(人)をとってみれば、骨や器官などは解剖学的に同じであっても、人種の違いがあるし、同じ人種であっても、背が高い、低い、痩せている、太っている、と容貌が異なる。機能的にも、速く走れる、歌が上手い、数学がやたら得意などなど、違いというか才能をあげていけばきりがない。何十億人といても全く同一はない。

ヘビが好きな人はあまりいないと思うが、この地球上で最もうまく環境に適応してたくましく生き抜いてきた種のひとつがヘビである。その種類は3000にものぼるという。「蛇足ながら」とつけ加えるのは、ヘビに足を描いて台無しにしたという故事にならって、余計なことかと迷いつつ、知識をひけらかす時の決まり文句だ。だが、ヘビはもともとトカゲから進化したようで、内部にかすかに足の痕跡が見られるという。ヘビの種類も数も多いのは我々一般人にはあまり有難い話ではないが、生物学的には興味深く貴重な存在らしい。そのせいかどうか、ヘビが好きでたまらないという奇特な人もいる。

鳥はというと、1万種ぐらいある。インコなど、ペットとして大人気だ。フクロウも、飼い方は難しくてもうまくいけばよく慣れて癒してくれるらしい。鳥は一般的には空を飛ぶわけだが、ペンギンやダチョウ、あるいはクイナのように、飛ぶことをやめた鳥達もいる。

動物の多様性は語ればきりがないが、単純なはずの単細胞である細菌も実は種類が非常に多い。一部の種は体内で人間と共生している。いわゆる常在菌は通常は悪いことはせず、むしろ、層というか叢を形成してたちの悪い菌の進入を防いでいる。抗生物質を濫用すると、この常在菌叢をやっつけてしまい、かえって防御能力を低下させてしまう。普段は存在しているだけで悪いことをしない細菌が突然のようにひどい感染を引き起こすということもある。なぜそうなるのか誰もわからない。

ウィルスはというと、生物とみなすかどうかも判然としていないが、その種類は多くある。殻に包まれ、増殖に必要なエッセンスだけを持っているものの、独自での増殖はできず、生物に入り込んで増殖する。今は新型コロナウィルスが世界を揺り動かしているが、ウィルスは太陽周囲の炎の形、つまりコロナ型が多く、形態的には、今流行っているものが特別というわけではない。ただ、これも多様性というか、性質が異なっていて、我々を悩ませているわけだ。下図は太陽のコロナと新型コロナウィルス。

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紛らわしいが、インフルエンザ菌は細菌であり、それによって起こった感染をインフルエンザとは言わない。一般に言うインフルエンザの原因はインフルエンザウィルスによる。

新型コロナに対して、本来は免疫力を弱めるため感染症には禁忌のはずのステロイドの吸入薬が効果的だったという話がある。それだと、増殖したウィルスが悪いことをするというだけでなく、生体の過剰反応が重篤化の原因になっているかも知れない。情報が非常に多いようで、実のある情報というのは意外に少ない。今はまさに“群盲象を撫ず”状態だろう。その中でも、このステロイドについての記事には目が止まった。十分あり得る話だからだ。

生体の免疫系は非常に複雑で、ひとつのシステムとして、危機に応じてあまた多くのサイトカインという物質を出している。これが暴走すると自己組織を破壊してひどいことになる。ステロイドはこれを抑制する。

まさに蛇足だが、ECMOという言葉も出ている。これを治療と誤解するむきも多いかも知れないが、これは人工呼吸器を使っても血液の酸素濃度が致命的に低くなった患者に対して、脱血し酸素化して送血する機械で血液の酸素化を一時的に助ける、いわば瀬戸際に追い込まれた患者の命をつなぐ装置である。色々な問題があってせいぜい数日程度しか使えない。治療というわけではなく、その間に患者が回復しなければどうやっても救命は難しい。もうひとつ蛇足を書けば、感染症の専門医が多くメディアに登場しているが、最後の最後に患者の生死と対峙するのは決して彼らではなく、救急や集中治療の専門医である。日本の死亡者が比較的少ないのは多分ここにある。

それにしても、と思う。どうしてこれほどの多様性があるのだろうか。元をただせば現代の科学からすれば全て電子を代表とする素粒子だ。なのにそこから原子ができ分子ができ組織や臓器ができ個体ができと、とんでもない多様性、途方もなく複雑なシステムができている。人知は砂粒のひとつにもならないだろう。考えていけば、不思議過ぎて思考停止に陥り、辿り着くのは“神”しかない。

神にすがっているとは言えないので、白衣やスクラブを着て経験と知見範囲でもっともらしいことを言いながら、心の中では祈るような思いでいたことを、昨今の報道を見ながらホロ苦く思い出す。患者さんのために、医療従事者のために、そして社会のために、なんとか早く収束して欲しいと心から願わずにはいられない。

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