2018年1月22日 (月)

西郷隆盛 その2 開国

日米和親条約が締結されたのは1854年である。「黒船」のペリーが来航したのが1853年だ。日米和親条約は、下田と函館を開港する約束をして、アメリカと和親でいきましょう、航海に必要な物資については対価を払ってくれたら江戸幕府が便宜を図りますよ、という内容である。この時の首席老中は阿部正弘で、諸有力大名や朝廷との協議は行っていたようだ。

 

“鎖国”という言葉に議論があるように、どの時点をもって“開国”とするかについては実のところ判然とし難い。1854年の“仕方なくしぶしぶ”であった日米和親条約か、あるいは交易にまで踏み込んだ1858年の日米修好通商条約か、一般人とすればまずは幅を持たせて曖昧に考えておくのでよいと思う。

 

天皇の承認である「勅許」がないことが問題となったのは日米修好通商条約である。現実と朝廷の反対の板挟みになった大老井伊直弼が日米修好通商条約に積極的だったとは言えないが、最終的な責任者ではあった。ただし、アヘン戦争で清国がイギリスの武力により手痛い目に遭ったことは日本の幕閣もよく知っており、中でも、老中松平忠固(まつだいらただかた)は一貫して開国を唱導し、「勅許」を請う必要はないと主張していたという。

 

日米修好通商条約の交渉の実務を担ったのは岩瀬忠震(いわせただなり)で、当時のこととて、言葉による意思疎通も十分にできず、国際慣行にも疎い中で、粘り強い交渉を重ねたことは高く評価されてよい。この条約は不平等条約として悪名高いが、今の時代にあっても対外交渉はもめにもめるわけで、当時にあってはまずはよしとせねばならないのではないだろうか。

 

Wikipediaには、「岩瀬忠震が外交官として活躍した時期はわずか5年だが日本にとって外国の植民地支配を回避し、この条約のお陰で日本は世界の列強から逃れられた」とある。ちなみに、条約には「アヘンの輸入は禁止する」と明記されている。さらに特筆すべきは、岩瀬忠震が、幕府から使節をアメリカに派遣して批准、より正当性を持たせるための書類交換、をすることを提案して合意を得たことだ。ここから本格的な近代化への肉付けが始まる。

 

1860年、条約の批准のためにアメリカに向かって出港した2隻は、正使の新見正興と小栗忠順(おぐりただまさ)らが乗船したアメリカ艦船のポーンハタン号と、勝海舟を艦長として福沢諭吉らが乗ったかの有名な咸臨丸であった。条約に腐心した岩瀬忠震はどうかと言うと、井伊直弼に疎まれて失脚したため使節団に加わることができなかった。非常に残念なことに岩瀬は1861年に失意のうちに病没する。1859年に亡くなった松平忠固とともに、日本人として忘れてはならない幕末の偉人であろう。なお、小栗忠順については稿を改めて記す。

 

開国してより幕府はうって変わって積極的な対外交流に出ている。『世界を見た幕臣たち』(榎本秋 洋泉社)は、開国以後、何度も行われた派遣使節について紹介した好著だ。1864年の文久遣仏使節団のことも記されており、スフィンクスを背景にした侍達の写真はこの時のものだ。
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さて、日米和親条約が締結された1854年頃、西郷隆盛は何をしていたかというと、島津斉彬(しまづなりあきら)に見込まれ、西郷もまた斉彬に心酔し、江戸に同行し3年以上も滞在している。その時に水戸藩の藤田東湖の影響を受けて尊王攘夷派になり、多くの人と会って啓発を受けたようだ。

 

1855年頃は、斉彬の養女篤姫の将軍徳川家定へのお輿入れの準備に奔走している。あの西郷さんが嫁入り支度に心を砕いていたというのは何とも面白い。このために相当に勉強を重ね「おいどんはこう見えても、金銀、絹物、玳瑁、漆器の鑑定は玄人だよ」と後年に語っていたという。この頃までは、長身でスリム、今で言うイケメンだったようだ。西郷隆盛の写真はないが、篤姫の写真は残っている。篤姫役の女優さんとはかなり違う印象ではある。
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2018年1月13日 (土)

西郷隆盛 その1

前回の稿で西郷隆盛について触れると書いた。明治維新についてあれこれ書物を見た者として、西郷隆盛は避けて通れない存在である。
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なお、明治維新というのは明らかに後づけの言葉で、江戸時代にあったはずはない。江戸幕府を倒すこの改革は「御一新」と称されていたようだ。とはいえ、逐次注釈するのは面倒なのでこの大改革については「維新」あるいは「明治維新」と表記する。薩摩藩などの「藩」も江戸時代の呼称ではないが、便宜上、藩を使うことにしたい。西郷隆盛も名前の変遷があり、吉之助を多く用いているが、特に必然性がない限り通りのよい西郷隆盛と記す。

 

それで、西郷隆盛について通りいっぺんのことを書いてそれでよしとするのでは、Wikipediaを参照するか関連書籍をひとつふたつ読めば済むことで、このブログを読んで下さる皆様に何ら資するところはない。何事によらず、書くことを動機として読書を趣味とする私にとっても意義がない。そこで、例によって双六的に、他のテーマをはさみながら、何回かに分けて私が理解するところを綴ってみたい。

 

まず、いったい江戸幕府を倒す必要があったのかどうか、について考えてみるのがいいと思う。維新の動きはそこから始まるからだ。私に関してはここがきっちり押さえられていなかったので、おおまかな理解の構築にすら随分と廻り道をしてしまった。

 

結論的に言えば、「尊皇攘夷」を掲げる維新の志士達よりも、幕末の江戸幕府の方がよほど開明的に時代を先取りしており、その意味では倒す必然性はなかったのである。桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の決断で外国と条約を結ぶ「開国」をしてよりは、江戸幕府はもの凄い勢いで外国の情報を仕入れている。外国に留学もさせているし、「お雇い外国人」も多くいた。水戸藩から強い影響を受けたこともあって西郷隆盛ですら若い時は攘夷だったわけだが、外国を打ち払うという“攘夷”が不可能なことは幕府の方がよほどよく分かっていたと思える。

 

朝廷についても、少なくとも私が知る限りでは、江戸幕府が天皇をないがしろにするということはなかった。つまり、終始一貫「尊皇」だったのである。ただ、その「尊皇」は、あくまで政治は幕府に委ねるという前提である。これは言ってみれば「王は政治に関わらない」という立憲君主制度の原型のようなものだ。江戸時代の天皇は神仏習合の社会にあって宗教的に最上位の象徴と見られていたようだ。朝廷は暦の作成などの責も負っていたが、科学的な正確性に欠け、次第に幕府の天文方が担うようになっている。

 

したがって、大老井伊直弼が天皇の許可「勅許」を得ずに開国をしたというのは言いがかりであって、そもそも「勅許」は形式に過ぎず、お伺い的に逐一それを得る必要はなかった。天皇が幕府の政治に口をはさんでいたら決して存続はしなかったであろう。それがなぜあれほどの大騒ぎになったかというと、幕末の孝明天皇が徹底的な「攘夷」で、岩倉具視などの取り巻きの公家も威を借りて本来あるべからざる政治的な動きを行ったからである。また、有力大名が横槍を入れる口実にしたということもある。老中を中心とした幕府の弱体化がそれらを許してしまったということは言えるだろう。

 

明治維新はその流れの中で起こった大きな出来事だ。激動の中で多くの有為な志士が斃れ、幕府側の多くの優れた人材を失う中で、西郷隆盛は生き残り新しい時代を作った人である。

2018年1月 5日 (金)

外相、“おねだり”報道に不快感

河野太郎外務大臣が、専用のビジネスジェット機を要望したことが、“おねだり”と報道されて、相当に不快を覚えたようだ。それはそうだろうと思う。

 

河野さんが希望したのは、ガルフストリームE650ERのようで、確かにこれはビジネスジェットの高級機だ。この機体は小型ながら “足が長い”、すなわち航続距離が長いという特徴がある。日本からニューヨークまでノンストップで飛べる。速度も通常の商用の民間機、ボーイング777787とほとんど変わらない。
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ビジネスジェットには色々な機種があり、話題になったホンダジェットもその一つだ。ただ、これは小さ過ぎるしそもそも長距離飛行は想定していない。ボンバルディアの機種はビジネス機として大きい割に航続距離が短い。セスナと言えば、小型プロペラ機のイメージだが、セスナサイテーションシリーズとしてターボファン、いわゆる小型ジェット機をズラリと揃えている。

 

ちょい紛らわしいのでここで触れておくと、おおざっぱに言えば、通常に言うジェットエンジン、つまりタービンエンジンでプロペラを回すのがターボプロップ、噴射式で用いるのがターボファンである。だから、プロペラ機だけどエンジンはジェットというのも多くある。キングエアー350などの高級小型機や、商用機のサーブ340B、輸送機C-130など機体が大きいプロペラ機の場合はほとんどがターボプロップだ。国産機YS-11もそうだった。ガルフストリームはターボファンだ。

 

外務大臣が専用機を要望というのは、一般国民からすればとんでもない贅沢をしようとしている感があるが、私の意見とすれば、それは全くそうではない。職務上、外務大臣は相当に海外出張が多い。国会対応があって日本との往復を余儀なくされるため、できるだけ効率的な移動を図りたいというのは当然だ。

 

とある新聞社はセスナサイテーションを専用機として擁している。遠くで災害など、例えば火山噴火、海上での船舶の事故、大火災、大津波など、が発生したら、こういうのを使って写真を撮ってくるわけだ。逆に言えばその程度のことである。こういう所が外務大臣の要望をいかにも贅沢な“おねだり”だというような報道をしている。

 

かのガルフストリームが某地方空港の格納庫に鎮座しているのを見てびっくりしたことがある。機体の登録はアメリカだが、日本の某企業が私用機として使っているらしい。重役の移動はほとんどビジネスジェットという会社もある。どこの誰が使っているのかは知らないが、羽田空港の一角にはビジネス機がずらりと並んでいるのを御存知だろうか。それに、例えば海上保安庁は型式が異なるにせよ、ガルフストリームを保有している。トランプ大統領が保有していたのはボーイング757で、これは小型ビジネス機どころの話ではない。まさに商用機に使われる大きさの機体で、こういうのを私用にしていたわけだからあきれるようなスケールではある。そういうことを考えてみれば、日本の外務大臣にガルフストリームを専用機としてあてがうのは間違ってはいない。

 

日本政府の専用機はボーイング747で、いつも2機体制で飛ぶ。ただ、4発のエンジンではあまりにも燃費が悪く、老朽化もあって、遠くないうちに2発エンジンのボーイング777に変更することが決まっている。それでも、莫大な費用を要し、ガルフストリームなど可愛いものだ。

 

お隣の国が国家間の合意を平気で反故にしようとしている。とんでもない話で、それを突っぱねるのは当然のことだ。歴史を見る限り、国民の悪感情の惹起は、誤った優越感と同様に、憲法がどうのこうのということ以上に平和を損ねてしまう。流暢な英語を操る河野さんだが、憶せず屈せず、かつ破綻も回避しつつと、その職務は大変だろうと思う。外務大臣の主務は、究極のところ、外国との交渉や協調を通じて自国民の平穏と平和を守ることにある。いくら難しい事柄であっても頑張ってもらうほかない。私としては応援したい。

 

今年のNHKの大河ドラマは『西郷(せご)どん』だ。ブームをあてこんでか、書店には西郷隆盛本がズラリと並んでいる。ドラマでどういうふうに描かれるのかは知らないが、彼が“征韓論者”というのは誤りで、この西郷隆盛こそは、明治維新後に悪化した日朝関係の修復に尽力しようとした人だ。次稿は西郷隆盛について触れてみたい。

2018年1月 1日 (月)

謹賀新年




2018
 

2018年が皆様にとってよき年となりますように

2017年12月21日 (木)

これは貴重な大笑い

1220日にTBSで中国外務省の華春瑩報道官の記者会見が報道されていた。しばらくアップされていたが、残念ながら今は消去されている。YouTubeにはアップされているので見ていない人は御参照あれ。


華春瑩報道官はいつも冷たく硬い表情で日本にとって愉快でないことばかり言っている。いわば“好かん奴”だ。中国に“好かん奴”と見られていた稲田朋美前防衛庁長官も中国の高官に美人ではあるがと評されていたので、こちらも、華春瑩報道官もなかなかの美人ではあるが、とエールを送っておこう。国際間の見解の違いはあるだろうけれども。

 

その華春瑩報道官が、12月19日の中国外務省の外国人記者との定例会見で、日本人記者が英語で上野動物園のパンダのシャンシャンについて「パンダのシャンシャンが今日(19日)東京で一般公開されたがコメントは?」と尋ねたところ、「日本が中国側と共に4点の共通認識と4つの共同文書に照らして、問題を適切に処理するよう希望する」と全くもってトンチンカンな硬いコメントをのべた。日本の岸川外務事務次官の姓の中国語読みが「シャンシャン」とのことで、まさかパンダのことだとは思わず、外務事務次官へのコメントだと思ってしまったようだ。日本人記者の不正確な発音もあったようだ。表情から伺うに「何だかヘンだなぁ」と感じてはいたようだが。

  

さすがに見かねた中国人記者が質問内容を中国語で伝えると、「あ あのシャンシャンね! 私はてっきり・・・・」と、今まで見せたこともないような破顔一笑の表情。これだと全く普通の、オバサンというかお姉さんというか、相当無理すればお嬢さんだ。
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普段が普段だけに、これは貴重な笑顔であろう。ネットでも馬鹿ウケしているようだ。

 

まさかこれで更迭されることはあるまいけれども、時には微笑みを浮かべる和やかな語りもしてもらいたいものだ。そういえば、日本の場合はいつも菅官房長官が表に出ている。あれはあれで淡々としていて悪くはないが、やはりオジさんの面白くも何ともない語りだ。内閣も隠し玉的な報道官を擁し、時には出してもいいのではないか。全くもって些細なことだが、案外、国際間の緊張をほぐす糸口にはなるかも知れない。


2017年12月12日 (火)

大原綜合病院新病院棟完成祝賀会

123日の一般の方々への大原綜合病院新病院棟内覧会に引き続き、1210日、医療関係者や工事関係者を主な対象として、内覧会とその後に完成祝賀会がサンパレス福島で開催された。私も関係者として1210日に参加させて頂いた。
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新病院の内部を見るのは建設途中もあわせ4回目だが、嬉しいとか感慨深いとかの思いはなく、むしろ見るのが怖い、といった感が先に立つ。テストの成績発表を見る時の気持ちに似ている。「あそこはこうした方がよかった」というのが出てこないかとヒヤヒヤである。いや、あれだけの規模の複雑構造なので当然にして出てはくるだろうけど、今はただ、問題点が運用で軽減できる範囲であることを祈るほかない。

 

私がスタッフとして関わったのは新病院のグランドデザインというかコンセプトの練り直しと企画設計だが、病院の会議室で、あるいは設計会社の会議室で、設計士や病院のコアメンバーと幾度となく激論を交わしてきただけに、新病院には思い入れが深い。都市の中心部によくこれだけの敷地を確保したものだとその手腕に感心しつつも、南北の端で2m以上の高低差がある傾いた細長い土地でのレイアウトには思った以上に手こずった。

 

救急車の進入路ひとつとっても、ああでもないこうでもないと頭を悩ませたことを思い出す。平子健理事長と一緒に消防署を訪問して救急隊員の意見を集約して頂き、結果、通行量が多く他の車がスピードを出していて危険なため、国道13号側からの進入は避けたいというのが大勢の意見であった。これでは当初の想定は棄却せざるを得ない。

 

このことに限らず、そういった感じで意見を聴いていったので、設計士には数限りなく図面の書き換えをお願いした。もちろん、非常に厳しい予算の制約もあった。専門家ならではの経験と技術で根気強く取り組んでくれたことには感謝のほかない。

 

私に関しては特に救急部門について、「現状からすればオーバースペックではないか」という内なる葛藤との闘いであった。しかし、地域から救急への強い要望がある以上、大原綜合病院は現状に甘んじず人的整備を重ね、それに応えていかねばならない病院であり、この機にハードを整備しておかねば、という思いは強くあった。祝宴の際に竹之下誠一福島県立医科大学長がそのことに触れて下さったのには感激であった。

 

導線や部門の位置、広さなどを策定する作業である企画設計がようやくまとまって、これなら建築図面を作る作業の実施設計に移行できるとなった時には、ともども快哉を叫ぶ思いであった。でも、それはあくまで図面の上でのことである。だからこそ実際の建築物を見るにあたって上記のような思いにかられたのである。

 

さて、祝賀会は、その冒頭に遠藤千晶さんの箏(そう)の演奏があり、式典に大いなる華を添えた。まことに惚れ惚れするような澄んだ音色の演奏であった。私は全く知らなかったのだが、箏というのは13本の弦と、音程の調整をするための可動性のある柱(じ)が弦を支えているのが特徴で、これに対して琴の弦は6本で、柱はない。遠藤千晶さんは福島市の御出身で身内のかたが佐藤勝彦院長の治療を受けたという縁があったようだ。既に名をなしている一流の演奏家である。

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錚々たるかたがたの祝辞、乾杯、病院のあゆみの紹介などに引き続いて、福島県立医科大学混成合唱団の合唱が披露された。さらに職員で構成された大原グリーンハーモニー合唱団が加わり、佐藤勝彦院長作詞作曲の曲を、佐藤院長自らの指揮の下での合唱は圧巻であった。病院の御厚意で参列させて頂いた、高校・大学時代に混成合唱団に所属し今は宮城県で勤務医をしている次男に尋ねてみたところ、「指揮もすごく上手だし、合唱も素晴らしいと思う」ということであった。
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中締めのスピーチで小山善久副院長が、「赴任後に、5年後に新病院になる、と聞かされ、その2年後に尋ねたら、4年後という、その次の年に尋ねたら、4年後と返答があった。本当に新病院になるのだろうか」と不安にかられたエピソードを絶妙な語り口で紹介し、会場の大爆笑を誘っておられた。

 

会で配布された『あゆみと未来』と題された「大原綜合病院新病院棟開院記念誌」は涙なしには読めないぐらい、苦労苦労の連続であったことがわかる。経営苦境に追い打ちをかけるような東日本大震災という悲運もあったけれども、特筆されるべき東邦銀行の勇断など、あまた多くの人々に助けられたこともあって、どん底から不死鳥のように立ち上がってきている。

 

「人を愛し、病を極める」、大原綜合病院の理念である。大正13年に世界に先駆けて「野兎病」を発見した大原八郎博士を先人に拝する大原綜合病院ならではの素晴らしい言葉だ。その頌徳碑は今、新病院玄関に掲揚されている。大原綜合病院に関われたことを誇りに思い、これからまだまだ続く苦闘を乗り越え、地域に信頼される確固たる医療の砦とならんことを願ってやまない。

2017年11月29日 (水)

不正続きの日本工業界

これではメードインジャパンの名が泣くというものだろう、と月並みで大仰な嘆きをしてみたくもなる。ちょっと前には三菱自動車のリコール隠し、燃費不正、東芝の不正会計、神戸製鋼や東洋レーヨン子会社のデータ改ざん、日産やSUBARUの検査不正、などなど、何とまあゾロゾロ出てくるものだ。

 

我が愛車のスバル・インプレッサG4もリコールの対象になるのか、と懸念していたら、案の上、ディーラーから連絡があった。「手抜き検査だったんですか?」と意地悪的に尋ねてみると、「いやいや、そう言われてしまえばそうなんですけど、資格者2人がすることころを資格者1人と無資格者1人でやっていた次第で、製品自体には問題ないはずなんですが、改めて2人できちんと再検査させて頂くようにします。どうもすみません」とのことであった。

 

私もバッシングの輪に加わりたいところだが、実のところ医療界も、カルテ改ざん、隠蔽、誤診や医療ミスなど、あまた多くの不祥事で紙面を賑わせてきた。今も少なくない。工業界へのバッシングどころではなく、そういうのを見聞きするにつけ、他人事ではないと、医療界で長くお世話になった者として身が細る思いの方が先に立つ。「血液型を誤って投与してしまった」との報告に蒼くなったのがつい昨日のような気がする。投与したのは血漿製剤で、すぐに気づいて止めたので実害はないはずだと思いつつ、ミスはミスとしてきちんと伝えるのは、情けないながら、やはり勇気が必要であった。

 

楽観と対応の拙さが惨憺たる結末になったのがまだ記憶に新しい雪印乳業の事件だ。健康被害とともに、誰でもが知っていた超一流ブランドがあっという間に崩壊してしまった。「不安が残る原料を廃棄していれば、あるいは、異常を知った時点で最大限の手段を講じていれば」と、当時の社員は痛恨の思いだったであろう。だが、遅かった。社長の対応の拙さもバッシングに輪をかけた。

 

メディアは概してすべからく悪意表現で糾弾するが、起こった事柄は、悪意度というか怠慢度は、あるいは被害は、それぞれにかなり異なっているのだろうと思う。大体にして共通しているのは、あるいはメディアが叩きやすいのは、当事者というか会社に誠実さが欠落していて、内部告発的なもので明るみに出るということだ。

 

コンプライアンスの遵守ということがよく言われる。ルールはルールであって守らねばならない。守る必要がないのならルールを変更すればいい。話としてはいたって単純なのだが、いざ実践となると、それがきちんとできないからこんなことになってしまう。


概して言えば、いくら現場が頑張っていても、社長か、あるいは取締役であれ部長であれ、役職に相応しくない人がその役職についている状況だと、トラブルが起こりがちで、その後の対応も拙くなる。有能な指揮官が少ないことを「第二次世界大戦の日本軍兵士状態」と揶揄して語ったことがある。下から上への力が働きにくい構造も問題だ。名門の大企業東芝が危機に陥ったのはほぼ間違いなくトップの判断の誤りだと思うが、裕福なトップは前途不安な若手社員から罰される心配はない。東芝再興の祖とも評価されるメザシ好きで有名だった元社長は自らを律し、相当な緊張感を持って組織を率いていたのだろう。

 

しかし、起こったことを嘆いても仕方がない。日本は、いくら外国人観光客が増えても、観光では存続できない。依るべき資源がない以上、技術力、工業力、そして貿易で生きていくほかない。例え目先の利益を損ねたとしても、失った信用を是非に取り戻してもらいたいと切に願っている。

2017年11月18日 (土)

医療報道拾い読み

ちょっぴり医療とうたいながら、ここのところチョッピリも書いていないので、今回はネットや新聞で見た医療関連の報道の拾い読みを、どんなことを考えながら見ているのか、ちょっと書いてみる。なお、私にはメディア以外の情報はなく、あくまで個人的な推測である。

 

板門店で北朝鮮兵士が南側に脱出しようとして銃撃されたという事件があった。どういうわけか「生命に別条ない」と当初は報道されていた。銃撃されてそれはないだろうと思っていたが、実際、非常に危ない状態だという。

 

短期間で二度の手術が施行されたことの意味は一般のかたには分かりにくいだろうが、これは外傷外科ではしばしば行われることで、状態が悪い場合は、最初の手術では、致命的となる出血をおさえ、腸管の損傷による腹腔内汚染を最小限にすることに特化する。完全な修復は期さない。これをダメージコントロールと言う。まずそれをして命をつなぎとめ、しかる後にまともに縫合すらしていない腹壁を開け、損傷を再確認して必要な処置を行う。銃撃で心停止に近い状態になるほどの重傷を負った國松元警察庁長官の場合に施行されたのもこのような手術である。いずれも外傷専門医ならではの適切な処置だ。

 

北朝鮮兵士の事例は、未だ意識不明ということが報道で強調されていたが、頭部外傷や心停止をきたしたエピソードがなければ、救命できれば意識は必ず戻る。状態が悪くて人工呼吸が施行されていれば、仮に意識があっても鎮静剤などで人為的に無意識状態におくため、意識があるとかないとかはあまり意味がない。

 

それにしても、拉致問題の悪辣さにも度重なる威嚇や恫喝にも怒りを覚えるが、その一方、一般の国民一人ひとりに罪があるわけではなく、かの国の人権無視の悲惨な状況には胸が痛む。トランプ大統領はあまり好きではないが、20年以上の北朝鮮ウォッチャーとしては、彼の北朝鮮に関する言は正しいと思う。強大な戦力が展開中は口実となるような挑発行動を何もしないのはかの国の狡猾な常套手段だ。いつまでも大規模訓練をしてはおれないわけで、トランプさんも手玉に取られている。

 

元若嶋津、二所ノ関親方がサウナの後、自転車で転倒して意識不明で倒れているところを発見され、緊急手術を受けたという報道があった。当初は「生命に別条はない」とも書かれていたが、それはあり得ない。そもそも、意識不明だけれども生命に別条ない、という状況は極めて少ない。例えば睡眠薬の大量服用が明らかであれば、意識不明であってもほぼ確信をもって「死に至ることはまずない」と言えるが、通常は、意識不明というのはそれだけで命にかかわる重症である。仕方ない面もあるにせよ、急ぎの報道では、「何のことやら」と、理解に苦しむような内容が少なくない。報道から時間が経てば少しずつ正確になってきて、ああ、そうだったのか、となる。

 

二所ノ関親方については、未だに意識が戻っていないのなら、転倒による急性硬膜下血種である可能性が高い。紛らわしい病名に急性硬膜外血種がある。どちらも意識障害をきたすほどの血種があれば緊急手術の対象となる。頭蓋骨のすぐ下に血の塊ができる急性硬膜外血種は後遺症なく意識回復が得られることが多い。急性硬膜下血種は血の塊がより脳の表面にできるもので、脳実質の損傷を伴っていることが多く、意識回復が遷延するか、回復しない。緊急手術をしても死に至ることも少なくない。

 

自転車に乗る前にくも膜下出血を起こしていたのではないかという推測もあるようだが、確かにくも膜下出血をきたしても当初は意識がはっきりしていることはある。それであっても、ひどい頭痛でとても自転車には乗れないだろう。ただし、当初は出血量が少なく、肩こりや気分不良、軽い頭痛で発症し、経過を見ているうちに再出血により重篤な意識障害になることはある。頭のCT写真を見ればどれかはたいてい一発で分かるけれども、そこまで報道されることはないので分からない。ともあれ、かつての人気力士で、アイドルだった高田みづえさんの夫の二所ノ関親方の回復を祈りたい。

 

アンパンマンの番組で声優をしていたかたが57歳で高速道路上で急死していたという。大動脈解離と報道されているが、動脈が裂けて破裂するこの疾患ならそういう状況は起こり得る。多分そうだろう。それにしても、ハザードランプをつけて路肩に停止していたというのはすごいことだ。激烈な痛みに襲われ、薄れゆく意識の中で咄嗟にそうしたのだと思う。

 

大動脈解離にも色々なタイプがあるが、最重症例はこのパターンであっという間に命を失う。こぶ、すなわち瘤を作るタイプであれば健診などで事前に見つかることがあるが、瘤がなく動脈の膜がいきなり裂けて破裂するタイプは事前には全く分からない。

 

くも膜下出血も大動脈解離も、直前まで元気で、青天の霹靂のように襲ってくる病魔なので、何とも恐ろしい。しばしば報道される壮年期のバスの運転手の突然死も多くはこれらだ。健診ではまず予測不可能で、休養を取っていたかどうかも関係ないように思う。急性心筋梗塞はいきなり心停止の一種である心室細動をきたさなければ事故回避行動の余地はある。

 

 

私の場合はそれを職業としてきたので、医療関連の報道は、時に首をかしげながらも、読みやすい。他の分野は、やはり分からない。特に経済に疎いので、株価についての報道には検証能力が全くないのが残念だ。医療報道などからして、メディアを無検証に過信するのは禁物だと思うようにしているが、どうなのだろうか。そんなこんな、今回は思ったまま感じたままに綴ってみた。

2017年11月 9日 (木)

早期の英語教育

2歳の孫と一緒に絵本をめくっていた時、言葉がまだ覚束ないない彼が「ィク!」とのたまう。「ん、イマなんつった?」、と思わず聞き返す。そうするとニコニコと嬉しそうな顔をしてやはり「ィク!」。「ああ、ケーキのことなの」と私。そうは言ったものの、英語の発音としてはたかだか2歳の孫の方が正しいと、我がジャパニーズイングリッシュの「ケーキ」が思わず恥ずかしくなる。
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そのあと、今度は飛行機の絵を見て「ァプㇾン」。さすがにこれは再現性があると悟ったものの、はてなぜなのか、と、狐につままれたような思いにかられる。母親に尋ねてみると、「この子は幼児向けの英語番組がすごく好きで、いつも見てるんです」と。そういうことかとようやく納得。余計な雑念が全くなく、真っ白な状態で音をそのままとらえるので、正確な発音になるわけだ。どうせそのうち忘れるだろうが、音への親和性は残るだろう。

 

早期の英語教育には賛否両論があるようだが、英語に泣かされた私としては、大いに賛成である。日本語は日本にいる限りどうやったって必ず習得できる。

 

thの音は非常によく出るし習うのでさすがに覚えるけれども、日本人にとってこの音は自然には絶対に出てこない。また、日本語にはないというか、区別をつけないので、lrの発音は相当に英語が達者な人でないと音が出せないし聞きとれない。英語圏の人達にとっては全然違う音らしいが、それが我々にはわからない。bとvも気をつけないと間違うし、csheも日本語ではさして区別はないが、音としてはかなり違うようだ。sitshitを間違うとえらいことになる。

 

こと左様に日本人にとって英語は悩ましいわけだが、いにしえのいきさつからどこか共通しているのか、韓国語は習得が早いようだ。スペイン語は日本語と同じ表音文字なので、覚えやすいらしい。

 

外国人の日本語習得は結構難しいのではないと思うのだけど、デープ・スペクターさんやパックンことパトリック・ハーランさんは実に見事に操るし、流暢な日本語を話す外国人は少なくない。感心するのが外国人相撲力士だ。みんな日本語がうまいので、組織として相撲部屋は語学教育に長けているように思える。これはあくまで推測だが、外国語を喋る人が少ないので、遠慮容赦なく日本語のシャワーを浴びせる中で自然に習得させているのだろう。

 

ノーベル賞の益川敏英さんは、英語なんてできなくても関係ない、と豪語しておられた。このぐらいの人になるとそうだろうけど、やはり世界の公用語として最も多く用いられている英語に慣れた方がいいことは確かだ。私の世代だと受験以外にはあまり役に立たない文法ばかりやっていた英語の授業も、今は相当に実用的なものに変わりつつあるらしい。いいことだと思う。

 

とはいえ、言葉はあくまでコミュニケーションの道具に過ぎないので、面白い話とか、しっかりした意見交換、あるいは自国の歴史や文化のことなど内容のある話、ができることが重要だ。英語を話したいがために日本人に話かけるアメリカ人はいない。負け惜しみながら、私はそちらで勝負したい。

2017年11月 1日 (水)

空から見た浅間山と一切経山

初めて伊丹空港から仙台空港に飛んだ。機体はエンブラエル190で、私にとっては初搭乗。どういうルートを飛ぶのかなぁとキョロキョロと下を見ていた。台風21号が通り過ぎ、また次の台風が来つつあるという、台風にはいささかウンザリではあったが、幸いにしてこの時はその合間の快晴であった。

 

伊丹空港を離陸して、日本海側を飛ぶのかと思いきや、機体はあまり高度をあげずにそのまま北東に飛ぶ。富士山の直上かやや北側を飛んだのではないかと思う。遠くに冠雪した北アルプスの峰々が綺麗に見える。

 

しばらくすると、大きな火口というか外輪山の中にくっきりとした火口がある山が見えてきた。頂上付近に雪が積もっているため姿がはっきりとわかる。浅間山である。過去に何度も大きな噴火を繰り返し、今も小噴火を続けている現役バリバリの活火山だ。
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1783年、天明3年の大噴火では1500人近くにものぼる犠牲者が出ている。火口から12㎞、山の北側にある鎌原村は岩屑なだれによってほぼ埋め尽くされ、477名が犠牲となり、村の生存者は小高い場所にある観音堂にかろうじて避難できた93名だけだったという。この時のことは発掘調査で次第に明らかにされており、『浅間山大噴火の爪痕』(関俊明 新泉社)に詳しく記載されている。位置的には鎌原村とは反対側だが、軽井沢と小諸は浅間山麓にあるので、万が一にまた大噴火が起これば多くの人々は、軽井沢のセレブの皆様も、生きた心地がしないであろう。大噴火がないよう祈るほかない。

 

しばらくすると、福島の山々が見えてきた。吾妻山系である。この時は仙台空港に向けて高度を既に下げていたので、山というより大きながけ崩れとしか思えない一切経山と火口がはっきりした吾妻小富士がよく見える。
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写真でわかるように、一切経山の表側は火山ガスのせいで緑が全くないが、北側には緑があり五色沼という鮮やかなコバルトブルーの綺麗な湖がある。恥ずかしながら私はそれまで山の裏側にこんな湖があるというのを知らなかった。これは、別名、魔女の瞳と言うらしい。魔女はこんな素敵な瞳をしているのだろうか。少々祟られてもいいからお会いしてみたいものだ。
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http://www.yamaquest.com/detail/issaikyozan-1949/375.html


今は忙しくも何ともないが、少しは忙しかった頃からの習性で、予定はできるだけ早くポンと決めて、一旦決めたら変えないようにして、航空券なども安いうちに早く取るようにしてきた。今回の伊丹‐仙台航路もそうで、初めての機体が体験でき、窓側の1人掛けの席で、綺麗な景色を見ることができて1万円というのは実に割り得感のある移動であった。台風で泣かされることもあるけれど、やはり空の旅も楽しい。

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